第三話 ミソッカス王子 ルディ ③
「そ、その……アルテナが結婚しないのは、ひょっとして、私の所為なのかな?」
自らの口から飛び出た言葉で動揺したのは、他ならぬルディアスの方だ。
八歳も年上の女性へ掛けるにしては些か生意気な物言いであるし、なによりも、アルテナがどの様に受け止めたか……。
そう気が付けば、胸の奥から込み上げてきた羞恥心に苛まれて居た堪れなくなってしまう。
(うわ! 子供のくせに背伸びをして、とか思われたんじゃないかな……)
後悔しても後の祭りだが、それでもアルテナの反応が気になったルディアスは、恐る恐る顔をあげた。
だが、自分の目線よりも高い位置にある彼女の顔は、『きょとんとしている』といった風情のものであり、年若い王子の失策を嘲笑うようなものではなかった。
それどころか、主君の心遣いに気付いたアルテナは、その美しい顔を笑み崩れさせるや、照れ臭そうに頬を染めて感謝の意を口にしたのである。
「エドガー様が口になさった御言葉を気に掛けておられるのでしょうか? でしたら、その必要はありませんわ。私はオルトハイネ家の嫡子ですし、代々受け継がれてきた『天馬の巫女』としての使命もありますから……今はまだ結婚など考えてはいません。でも、お気づかいには、心から感謝申し上げますわ」
その自然体の物言いや仕種からは一片の虚勢も感じられず、ルディアスはほっと胸を撫で下ろしたのだが、それでも、胸の片隅に蟠った疑念を完全には払拭できなかった。
ルディアスにとってアルテナは、実の家族にも勝る存在と言っても過言ではない女性だ。
血の繋がった身内からも冷遇され続けてきた妾腹の末弟の後見役を引き受けてくれたばかりではなく、武術や勉学の師として懸命に仕えてくれている有情の才媛でもある。
しかし、才色兼備の呼び声も高いアルテナだが、結婚話は元より、浮いた話一つ聞こえてこないことを、ルディアス自身も以前から不思議に思ってはいたのだ。
他には類を見ない女性騎士ばかりの『天馬騎士団』を率いている優秀な騎士団長でもあり、女性のみと騎乗の契りを結ぶ天馬との仲介役を務める巫女姫の血を継ぐアルテナ。
その声望はエレンシア国内はいうまでもなく、海洋諸国家連合オケアヌスに所属する他の国々でも周知されているほどだ。
当然だが、そんなアルテナを妻として迎えたいという求婚者は星の数ほどもいたし、実際に他国の王族からの申し込みもあったらしい。
だが、アルテナ本人も、父であるグレアム・オルトハイネも、首を縦に振ることはなかった、とルディアスは聞いている。
しかし、祖国に対する忠誠心は称賛されて然るべきなのかもしれないが、王家に連なる者として、その厚情に甘えることが正しいとは思えない……。
そんな負い目をルディアスは懐いているのだ。
(オルトハイネ家の嫡子とはいっても、所詮は女性の身だ……グレアムが養子縁組した者に家督を継がせる可能性は否定できないし、恋をして異性と結ばれた段階で天馬の巫女としての力も失われてしまう……)
アルテナ自身が置かれている状況はひどく脆いものであり、姉と慕う女性の幸せを願う末王子にしてみれば、気が気ではないというのが偽らざる心境だった。
だから、自分の不甲斐なさが原因で、彼女までもが侮辱される不条理が腹立たしくてならないのだ。
悔しまぎれの末の無作法だったとはいえ、エドガーが口にしたアルテナへの嘲弄は聞くに堪えないものだったし、辛うじて抑えはしたが、純粋な怒りを覚えたのは紛れもない事実だ。
長兄であるミハイルとの確執が原因で国がふたつに割れていなければ、後先考えずに殴りかかっていたかもしれない。
(でも、そんな度胸も力もなく、無礼で傲慢な兄上の振る舞いを諫められもしないなんて……こんな情けない私に仕えてくれているアルテナに申し訳ないよ……)
勝手に思案に暮れて落ち込むのはルディアスの悪い癖だが、長く側近を務めてきたアルテナには、そんな主の心の機微など御見通しだ。
生来の優しさと他者への気遣いを忘れないこの若き王子を、アルテナは仕えるに足る主だと心に決めている。
だからこそ、そんなルディアスが落ち込んでいる様は見たくはなかったし、況してや、その原因が側近たる己に在るなど断固として看過できるものではなかった。
譬え、それが取るに足らないものだったとしてもである。
だが、真面目な顔をして意見するのも憚られてしまい、努めて陽気な表情を取り繕ったアルテナは、敬愛する王子へ言葉を掛けた。
「どうか御案じ召されませぬように……伴侶など得ずとも人は生きてゆけますわ。いざとなれば家督は養子を取れば済みますし、巫女の後継者を輩出する家は他にも多数存在しています……優れたペガサス騎士の育成に生涯を費やす酔狂な女が一人ぐらい居てもいいでしょう」
「だが……それでも、アルテナには幸せになって貰いたいのだ……」
思わず口を衝いて出たのだろう、自身の言葉に顔を赤くするルディアスの様子が微笑ましくて、込み上げて来た誘惑に抗えなくなってしまう。
だから、暗い顔を俯かせている主の耳元に朱唇を寄せるや、艶を含んだ声を装って囁いたのだ。
「あら、嬉しいですわ。でしたら、ルディアス様の愛妾の末席にでも加えて頂きましょうか? 尤も、こんな行き遅れの年増でも良ければですが?」
その効果は劇的だった。
「なっ!? な、なんてことを! 私なんかに嫁ぐ? いや、問題はそこじゃないよ! 愛妾? そんなのは絶対に駄目だよっ! 迎えるならば、ちゃんと正妃として……って……」
完全に想定外の申し出『私を娶って頂けますか?』に大いに狼狽したルディアスだったが、目じりを下げて口元を手で押さえているアルテナを見れば、口をへの字に曲げて憤慨するしかなかった。
「なんだよ、もぉ──ッ! 私を揶揄ったのかい!?」
「うふふ……お許しください、王子。兄君らの仲を取り持つべく悪戦苦闘なさっておられるのに、私ごとき軽輩の事情にまでお気遣い頂けることが嬉しかったので、つい軽口を叩いてしまいました」
気恥ずかしいのか、顔を赤くして文句を言う主の様子が可愛らしく思えて仕方がなかったが、生真面目なアルテナは表情を改めてから言葉を続ける。
「この身へのお気遣いは有難い限りですが、今は国の将来を左右しかねない時でもありますので、その様な些事は捨て置かれませ……何が一番大切なのか、見極めを誤れば国が亡ぶことさえあるのです。どうか、ご賢察を賜りますように」
その諫言に胸を打たれたルディアスは、己の未熟さを恥じて素直に頭を下げた。
「分かったよ、アルテナ。兄上たちの説得が不調に終わったから、どうやら弱気になっていたようだね。余り時間は残されてはいないが、最後まで諦めずに頑張ってみるよ」
「それでこそ、私が敬愛して已まないルディアス様ですわ。私も全力でお支えいたしますから、余り変なことでお悩みになられませぬように」
「勘弁しておくれよ! 自分が頼りない子供だってことは充分に理解しているからさぁ! アルテナの相手なんか務まらないよね。背だって私の方が低いし……」
他意のない忠告のつもりだったのだが、思惑に反して拗ねるルディアスが愛おしく思えたアルテナは、柔らかい微笑みと共に素直な想いを口にした。
「そんなことはありませんわ。お気づきになってはおられぬようですが、あなた様は立派な御志と御見識をお持ちの貴人であらせられます。どちらが不釣り合いなのかなど論ずるまでもないでしょう。それに、いずれはルディアスさまに相応しい御伴侶が現れるはず……ですから、その日に備えて精進なされませ」
(買い被るにもほどがある……)
美しい朱色の瞳をキラキラさせているアルテナからの励ましが妙に重く感じられたが、期待を裏切るような言葉を口にすれば、武術訓練のレベルが上がるのは目に見えている。
だから、弱気の虫を呑み込んだルディアスは、顔を引き攣らせながらも生真面目な後見役殿へ満面の笑みを返すのだった。
◇◆◇◆◇
兄王子らへの説得は一先ず冷却期間を置くことで一致したルディアスとアルテナは、この後の予定について意見を交わした。
「各省庁の大臣や長官たちとも話がしたいが、明日の夕方以降でないと都合がつかないらしい。それまでは、養護院で行われる慈善活動を手伝うつもりだよ」
ルディアスが口にした『養護院で行われている慈善活動』とは、月に数回催されている〝炊き出し”のことだ。
エレンシアの王都があるミュートス島は比較的大きな島だが、中央を南北に走る霊峰バレンティーアによって東西に分断されており、西側は休火山帯を含む不毛の大地が続いている。
また、沿岸地域や近隣の海域に密集している小島群も、海鳥らが生息するのみの無人島ばかりで生産性は皆無だ。
おのずと人間が暮らせるのは東部地域に限られるのだが、土地が瘦せている所為もあり、主たる産業は漁業と牧羊のみという有り様だった。
総じて国民の暮らしは困窮しており、特に親を喪った孤児らの救済は急務なのだが、それも王位継承による混乱で儘ならない状況が続いている。
それを見兼ねたルディアスは、己に裁量を許された僅かばかりの資金を惜しまずに費やし、自らも炊き出し作業を手伝っているのだ。
「でしたら、私も御供致しますわ」
アルテナは気安く応じたが、そんな彼女をルディアスが制す。
「駄目だよ。明日は年に一度だけ行われる『月下の契り』があるじゃないか。巫女を務めなければならない君の手を煩わせるわけにはいかないよ」
「大丈夫ですわ。手筈はアイリーンらが整えてくれますし、儀式は深夜に行われますから、夕方までならば時間は空いております」
「そうかい……では、手伝って貰おうかな。人手は多い方が助かるからね」
そう告げるや否や早々に踵を返したルディアスの背中を笑顔で見送ったアルテナだが、すぐに表情を曇らせてポツリと呟く。
「王子のお気遣いは嬉しいけれど……男のことで悩むなんて二度と御免だわ……」
そして、重い溜め息をひとつ吐いてから、ゆっくりと歩き出すのだった。