第三話 第二野球部始動
第二野球部の入部が決まった日から俺は練習が始まった。
日本のスポーツは90年代くらいに入ってようやく科学理念を用いたトレーニングをいれる様になったがそれでもまだまだ浸透してるとは言いづらいが、田中先生はこの時代では珍しいウェイトトレーニングを取り入れていた。
この時代はまだまだウェイトトレーニングをやると無駄な筋肉がついて動きの邪魔になるとして敬遠する日本の野球指導者が多かったが特に投手は「絶対にウェイトトレーニングはやるな!」と、始動する野球指導者は徹底するものが多く昔からの自重トレーニングである腕立て、腹筋、スクワットが主な筋肉トレーニングだったが2000年代に入った後はウェイトを中心とするトレーニングが主力となった。
そんな中で田中先生はこの時代では珍しい科学トレーニングに対する理解は高い為にウェイトトレーニングを取り入れてる事に躊躇はない様に感じた。
更には……。
「自主練をするのは構いませんが休憩する事も忘れない様に、そして水分補給はキッチリと行ってください」
『はい!』
小まめな水分補給をする様に指示していた。
90年代に入ると流石に脱水症状の危険性が立証される様になると練習中でも水分補給をする様に指示するスポーツ始動者達は増えてきたが、そんな風潮を良しとしない根性論に盲信する様な指導者も一定数いる為に科学トレーニングを「甘えだ!」と全面否定する様に練習中の水分補給も身体が重くなる余計に汗をかいてダメという認識が強い為に「水を飲むな!」と、怒鳴る様な指導者はまだまだ一定数存在する。
因みにこの大和第六高校野球部の監督である石井監督はそんな根性論の監督の為に練習中の水分補給は御法度らしく、練習前にできるだけ水を飲んで飲み溜めしようとする野球部員も多いらしい。
その為に昭和時代の高校野球は練習中に水を飲めない、科学理念を無視したスパルタトレーニング、強豪校なら一年奴隷、二年平民、三年神様という極端な縦社会という事もあって昭和時代の高校野球を経験した年代の人達は大半の人が口を揃えて答える「高校野球はこの世の地獄」と。
まあ、そんな時代を経験しながらも新しいことも取り入れて昔の身体に負担がかかるだけの間違った練習を強要しない田中先生を俺は尊敬するよ。
中にはそれを知りながら練習を強要する監督や上級生が俺の時代にもいたからな。
ーーー。
田中は現在、職員室である高校に電話をしていた。
『珍しいですね。先輩から電話をかけてくるなんて』
「久しぶりですね花丸君」
『相変わらずの敬語口調ですね。自分は後輩なんですから普通にタメ口で構いませんよ』
「この話し方が僕が最も話しやすい言葉なので気にしないで下さい」
田中の言葉に後輩の花丸は「変わりませんね」と、苦笑い気味に呟いた。
一人称の僕口調に加えて高校生活の三年間は年上だろうと同学年であろうと後輩だろうと敬語口調を崩さないのはある種の強い拘りすら花丸は感じた。
この花丸は田中の大和第六高校野球部時代の一学年下の後輩であり、田中が石井監督の判断で補欠にされていた時に大和第六で内野手のレギュラーとして活躍し全国大会にも出場した経験を持ち、大学野球でも東都リーグで好成績を納めた後は教員の道に進み、現在は都立金山高校の野球部の顧問を勤めている。
都立金山高校は、都立高校でありながらも毎年東東京都大会でベスト16に入る高校として有名であり、私立が上位を示す中で必ずベスト16、過去には夏大、秋大で決勝戦まで進んだ実績もあり、それは花丸が顧問になっても変わらず、そのため高校野球ファンからは都立の星と称されている。
「実は今回花丸君に電話をかけたのはお願いがあってきました」
『お願いですか?』
「はい。僕が顧問をしている第二野球部と練習試合をしてもらいませんか」
『せ、先輩の第二野球部とですか?』
「はい。今年こそ第二野球部が公式戦出場する権利を勝ち取る為にも強い高校との練習試合は欠かせませんからね」
『先輩の意気込みは分かりますが、野球部ならまだしも第二野球部の部員達では力の差がありすぎませんか?無論、先輩の頼みですから自分は構わないのですが……』
強いチームと練習試合をする事は良い経験となるが、あまりに実力差が離れすぎてる相手との練習試合の場合は下手をしたら選手に強いトラウマを植え付ける事にもなるので、大人と子供の間にいるデリケートな高校生には刺激が強すぎるのではと花丸は心配していた。
「普通なら試合をする前から戦意喪失するでしょう。ですが今年は超大物が二人も第二野球部に入部しました。一人は小中共にある事情で無名ですが実力は保証しますよ。ただ二人目は君も知っている有名人ですよ」
『自分がですか?』
「シニア時代、通算打率五割、本塁打50本、盗塁阻止率八割という脅威の成績を残した関東No.1捕手、佐久間筑波君ですよ」
『え、あの天才佐久間ですか。なんでそんな逸材が第二野球部に入部してるんですか!?普通なら大和第六高校がスポーツ推薦で野球部に特待生として入部してもおかしくありませんよ!』
それ以上に自分もスカウトしていた一人であると花丸は心の中で呟いた。
関東No.1捕手という評価であるが、それは彼が所属していたシニアチームは東京都の中では中堅に位置するチームであった為に佐久間が才能があっても強豪チームとの差は簡単にはひっくり返す事はできない為に、彼は最後まで全国に出場する事はなかった。そのため彼は肩書きとして全国ではなく、関東No.1捕手という異名となっていた。
しかし、それでも佐久間の実力は本物であると強豪校のスカウトは誰もが認めている為に多くの高校が即戦力捕手として目を光らせて特待生としてスカウトする数はかなり多かった。
『そんな逸材を入部テストして落とすなんて、相変わらずですね大和第六は』
「そうですね。昔から自分の思い通りに動かない選手は絶対に使わないという強烈な意志表示を改めて感じましたよ」
『しかし先輩。そんなスーパールーキーを大会前に練習試合とはいえ披露していいんですか。自分のチーム確かに私立と比べて戦力が常に足りないですが、それでも金山が練習試合があると聞けば東京の強豪校は偵察に来ますよ」
「構いませんよ。今回の遠征は新戦力の二人の力を試す事と同時に力はあるのに理不尽な入部試験で落とされて自信を無くした生徒達に少しでも刺激になればと練習試合を申し込んだのですから」
『分かりました。先輩がそこまで期待するスーパールーキーを筆頭とした大和第六高校第二野球部の練習試合の申し込み了承しました』
「ありがとうございます」
ーーー。
ズドォォォオオン!!
「相変わらず豪速球を完璧にコントロールしてるな。普通豪速球の投手は制球力に難がある投手が多いんだがな」
「ナハハ、そこは俺が天才だからだよ!」
「ここに実践で活用できる変化球でも覚えてくれれば完璧なんだが」
「ふふふ、おとこ和田篤史に変化球という姑息な手段は必要ないのだ!」
「嘘つけ。不器用で投げられないの間違いだろうが」
旧校舎の設置されてるグラウンドにある古びたブルペンで俺は練習後に和田の球を受けていた。
本人がまだ投げ足りないから受けてくれと頼まれて第二野球部キャプテンの浜崎先輩の了承を得て「今日は三十球までな」という事で投げ込み許可を得た。
それにしても完璧にコントロールできる豪速球があるんだから出来れば変化球を覚えさせたいが、和田自身が変化球を投げる事を嫌ってる。試しに投げさせたら少ししか変化しないションベンカーブだし、しかも投げる直前のモーションがストレートとカーブと違いが丸わかりの為にストレートとカーブの見極めがバッターには簡単な為に下手にションベンカーブを投げてカーブを狙いうちにされて痛打されるのが目に見えてる為にカーブは却下となった。
実際に田中監督も和田に変化球を覚えさそうとしたらしいが監督は「本人が必要と思う時まで変化球を覚えさせない様にしましょう」と、和田自身が本気で変化球を覚えようとするまで監督から変化球の話題はそれ以上はなくなった。
「でも和田君も凄いけど、そんな和田君の豪速球を簡単に捕球できる佐久間君も凄いよね」
俺達に話をかけてきたのは黒髪のショートヘアで笑顔が似合う小柄な女子である山本真里が話をかけてきた。
第二野球部の女子マネージャーで俺と同じ一年生で俺と同じ一年C組のクラスメートでもある。
「俺は中学からマシンで160以上の球を受けてきたんだ。和田のノビある豪速球には驚いたけど、別に捕れないわけじゃないからな」
「流石期待のスーパールーキーですな。余裕のコメント。もっと過激なコメントを期待してたんだけど」
「どんなコメントを期待してんだよ」
「もうつまらないよ佐久間君」
ブーブと文句を言う山本の言葉に俺は呆れた。
「だって佐久間君常に冷静で笑った表情をあまり見た事がないんだもん。なんか雰囲気が私達と違うんだよね。同世代というよりは田中監督以上に大人というか」
「言われてみればなんか佐久間は雰囲気がタメとは思えないくらい違うよな」
そりゃあ本当の年齢は高校生じゃないもん。
俺は既に異世界歴を含めれば三十を超えた三十路のオッサンだもん……(汗)。
だから……。
「色々あったんだよ色々と」
だからこう言って誤魔化すしかない。
実際に異世界で常に死と隣り合わせの環境に十年もいたせいで平和な日本人の感性とはだいぶかけ離れていた為に、この並行世界の地球に飛ばされた直後にこの世界の戸籍を手に入れて小学校に入ったが、見事に孤立した。
子供って奴は大人以上に敏感で、自分達とは全く違う異物を排除する様な防衛機構が備わってる為にこの世界にきてからまと交友関係を構築した経験が全くないな。
よくてリトルとシニアチームの面々くらいかな。俺がこの世界でマトモに交友関係を構築できたのは……まあ、そんか感じに俺の本質に気がつれそうになって焦ったが二人は何か言いたくない事でもあると感じてこれ以上は聞いてくる事はなかった。
その翌日に、田中監督から次の日曜日に練習試合が組み込まれて、東東京都大会ベスト16の常連の金山高校と告げられて第二野球部は俺と和田を除いて驚愕して叫んだ事を記録しておく。