第二十話 夏の甲子園大会1
大和第六高校が西東京都大会で優勝した事が世間から注目された。
西東京代表は長年西東京TOP3と呼ばれた南海大付属創世高校、稲山実業高校、一大付属第四高校によって代表が決まっていた為に大和第六高校が西東京TOP3と称された3校を破って西東京代表の座を勝ち取った事で野球雑誌やマイナーな地元新聞に大きく報道された。
だが、それ以上に大和第六高校が世間から注目を浴びているのは大和第六高校の選手達は高校球児では珍しい坊主頭ではないからだ。
無論野球の邪魔にならない学校の規則の範囲という制約があるため基本的に短髪で黒髪(地毛は例外)だが、それでも野球の強豪校でありながら坊主頭でない事は珍しい事もあってテレビ局・週刊誌・新聞が大々的に報道した事もあって地元を中心に有名だった大和第六高校野球部は若い世代を中心に人気となって日本全国でもかなり有名となった。
十代から二十代を中心とした若い世代からは……。
「坊主頭じゃないから大人びてカッコいい」
「高校球児なのにオシャレ」
「坊主頭強制じゃないのが良い」
「髪型が自由にして羨ましい」
と、地元同様に全国の若い世代を中心に肯定的に受け取られていた。
そもそも同世代の中学生・高校生は野球部に入ると強制坊主という伝統に対してかなり反発感が強く、特に多感な時期でもある学生にとって昔からの伝統だからと強制的に坊主にされるのは嫌悪感が強い為に最近では運動に自信がある子供達はサッカーやバスケの方に流れてしまうケースが多くなった事もあって大和第六高校のヘアスタイル自由はかなり好印象であった。
逆に地元の年配層と同様に大和第六高校の髪型自由は日本全国の年配層から根強い反発があった。
「高校球児らしくない!」
「高校球児なら坊主にせんか!」
「高校野球の伝統を壊すな!」
「他の競技と神聖なる野球を一緒にするな!」
と、こんな感じで激怒して俺達を非難しまくる年配のおっさん達がテレビで映っていた訳だ。
中には他の競技に対する差別発言もあったがこの世界はまだ90年代の日本であるためテレビも世間も21世紀の時代と比べて認識が違う為に問題発言と認識はされなかった。
何年かたったら昔の問題発言集として誰かが動画に公開してネットによる公開処刑にされるかもしれないが……。
まあ、そんな感じで試合が始まる前から大和第六高校は世間の注目を集めているからこれで優勝なんてしたらどうなるんだろうな。
ーーー。
高校野球の頂点を決める夏の甲子園大会が始まった。
全国大会出場校で唯一坊主頭でない大和第六高校がアイドルの様な扱いを受けて世間から注目が集まったが高校野球界では大和第六高校は西東京TOP3を撃破して西東京代表の座を勝ち取った高校という認識しかないためそれほど関心は強くなかった。
それでも高校卒業後にプロ入り確実と言われる守備はお粗末だが160キロ豪速球と規格外なパワーでホームランを量産する和田と、走攻守共に高レベル纏まっている佐久間という有望株はいるが、それでも夏の甲子園優勝は現在の強豪校の基礎を作り上げ、現在でも有望な選手が全国から集まり毎年優勝候補筆頭の大阪代表の西の横綱『AL学園』と関東最激戦区神奈川予選を勝ち抜いた東の横綱『浜丘高校』の二校に注目が集まっていた。
周りから優勝候補とされてないが、大和第六高校は気にしないで真剣に戦った。
一回戦は和田が先発し、自慢の最大160キロのストレートは全国でも通用し、苦しい夏予選を勝ち抜いた都道府県代表バッター達を寄せ付けないピッチングを披露した。
それでも全国大会に出場する都道府県の代表という事もあって和田に対する対策は練ってきた様で和田のストレートに何人かのバッターに当てる事に成功していたが、それでも和田のストレートとムービング系の変化球に対応するのは難しく和田攻略は難しかった。
実際に和田が九回まで投げ抜いて二失点で抑える事に成功していた。和田本人は二失点した事が悔しい様であったが先発投手がフルイニングを投げて二失点なら十分に立派なのだが、それでもプライドが高い和田は納得しておらず「今度は完全試合したる!」と、叫んでいた。
大和第六高校は予選大会準決勝・決勝共に好投手と当たった為に本来のバッティングを披露出来なかったが、それを払拭する様に打ちまくった。
実際に試合が終了した後のスコアは12ー2と、二桁特点を叩き出して全国の強豪校に大和第六高校の打撃力をアピールした。
続く二回戦は佐久間が先発し、控え捕手の五反田が先発マスクを被った。
一回戦は佐久間が捕手であったのに投手もやるという珍しい光景に甲子園球場にいる観客達は唖然とし、佐久間を知らない高校野球ファンからは相手校にたいする奇襲で佐久間を投手として起用したと思った様だが残念ながら佐久間の投手としての実力は本物であった。
先ずは球速152キロのストレート。
これは一回戦で投げた和田のストレートより遅いが、それでも高校野球なら全国クラスの高校なら絶対にエースとなる速球だが、それでも一年生で160キロを投げる和田と比べたらまだ常識の範囲であった為に相手チームも「これなら対応できる」と佐久間は打ち崩せると自信満々だった。
そもそも全国大会出場するチームは練習試合でも本戦でも150キロクラスのストレートを投げる投手と対時する事は多い。
一昔前なら150のストレートは選ばれたモノ、与えられたモノしか辿り着けない天才や怪物の境地として認識されていた為に高校野球では絶対に150を投げる投手は現れないと思われていた。
しかし近年は野球技術の向上や古い体質でなかなか新しいトレーニング理論が入り辛い日本野球界にも科学トレーニングを実施するプロ野球チームやアマチュア野球チームも増えてきており、その成果もあってまだまだ珍しいが150を超えるストレートを投げる高校生投手も増えてきたのだ。
その対策もあってマシンで150から160を想定してバッティング練習する高校は増えてきた。
だから本来なら佐久間のストレートも全国大会出場する強豪校なら見慣れた速度なのだがバットに擦りもしなかった。
佐久間のストレートはベンチやテレビからでは分かりづらい異質なノビがあった。
佐久間のストレートは高校野球では滅多に見られないノビのあるストレートに相手チームは悪戦苦闘していたし、その異質にノビあるストレートを完璧にコントロールできる制球力も持ち合わせてるから余計に手に負えなかった。
二巡目に入ると強豪校としてのプライドを捨てて監督の指示でバットを短くもって長打は捨てて確実にミートする作戦に切り替えたが、そんな作戦など意味がないと言わんばかりに佐久間が投げる変化量とキレがあるカーブ、高速スライダー、縦スライダーに加えてチェンジアップでタイミングをズラして空振り三振にした。
八回が終わる頃には8ー0と大差がついていた。
それでも佐久間は緊張することなく九回も二人を完璧に抑えて打者は後一人となった段階で佐久間のこの時点での成績は無四球、無安打、14奪三振という異次元の記録を叩き出していた。
「あと一人だが気にしないで投げろよ佐久間」
「大丈夫ですよ。記録は二の次で勝てばいいんですから」
「やっぱり気がついていたか」
「それは八回からセフティを連発してくれば嫌でも分かりますよ」
そう、俺はあと一人凡退か三振に抑えれば完全試合が達成される。
高校野球で完全試合は予選大会では強豪校対弱将校との公式試合ではよくある事だが全国大会である甲子園大会で完全試合はまだ誰一人も達成されていない。
実際に甲子園球場の観客達は長い高校野球の歴史で誰一人も達成できてない完全試合が生で見れると期待されて騒がしかった観客席も今はシーンと息を呑んで見ている。
そんな偉業を目の当たりにしたいのか、観客達は完全試合達成を期待してるが俺達の対戦相手である相手チームはそうでなく。夏の甲子園大会で誰も達成されてない完全試合を食らった高校という不名誉な記録にされたくないのか八回から意地でも塁に出ようと三打席連続セフティーバントを敢行した。
相手チームのセフティーバントに観客のブーイングは凄まじく
「タマついとんのかワレ!」
「おどれらそれでも県の代表かいな!」
「バントで完全試合防ぐ算段、高校球児として恥かしくないんかいワレ!」
と、俺達が西東京都決勝戦で試合した南海大付属創世高校同様……いや、下手をしたらそれ以上に酷いヤジかもな。
大阪ジャガーズ対東京ラビッツとの試合同様にヤジ飛ばしてない。実際に相手チームの群馬代表の橋前育成高校の選手の何人かは甲子園球場の観客ヤジにビビってるしな。
てか完全試合が目前に迫って物凄い手のひら返しだな。だって橋前育成高校の選手達がヤジをもらう前は大和第六高校があのオッサン達からヤジ貰っていた。
高校球児のクセに何チャラチャラしとんねんとか、高校球児なら頭をまるめてこんかいとか色々な罵詈雑言を食らったからな。
「じゃあよろしくお願いしますね五反田先輩」
「ああ、俺達に高校野球の歴史に新たな偉業を追加される瞬間を見させてくれ」
プレイを再開して俺は最後のバッターに集中する。相手ベンチから「何がなんでも完全試合は阻止しろ!」と聞こえて相手バッターも何とか当てようと最初からバントの構えだ。
これに甲子園球場は更にヒートアップして相手チームに対するヤジが集中してバッターも表情が強張ったがそれでも相手は何がなんでもバットに当てて完全試合は阻止するという意思表示を俺は感じた。
五反田先輩は高めのストレートを要求して頷き俺はストレートを投げる。
相手チームの橋前育成高校のバッターはバントの構えからバットを当てたが打ち上げてしまいピッチャーフライとなった。
そのフライを難なくキャッチした事で試合が終了して甲子園球場から凄まじい歓声が響き渡った。
大和第六高校は長い歴史を誇る高校野球全国大会で春の選抜大会で一回だけ除いて完全試合を達成した学校が現れなかった為に、夏の甲子園大会ともなれば存在もしなかったので、誰も成し遂げなかった完全試合という偉業を成し遂げたのだ。
後日。新聞やテレビ局が特番を組んで夏の甲子園大会で初の完全試合が達成された事がニュースで大大的に報道されたのだった。




