第十八話 西東京都大会決勝2
一回は両チーム共に無得点で迎えた二回の表も和田のストレートに反応するのが難しい南海大付属創世高校は四番は何とか強豪校の意地を見せて和田のストレートに当てたがライトフライになり、五番、六番共に三振で終えた。
なお、和田が予選大会で許した被安打は僅かに四で、四死球は高校野球では珍しくプロ野球の審判並のストライクゾーンを採用した高校野球では狭い審判による判定によるもので僅か2で、失点も1という好成績だ。
そもそも和田のストレートが打たれにくいのは球が速い事も理由に入るがそれ以上に打たれないのは和田のストレートは通常の投手が投げるストレートよりも高回転である事も理由に入る。
俺が生まれた世界で野球の本番アメリカのメジャーリーグでアメリカンリーグ優勝チームとナショナルリーグ優勝チームによってアメリカNo. 1のチームを決める試合であるワールドシリーズでワールドチャンピオンの立役者となった上○浩○はメジャー投手の中でも球速は遅い投手だったが、それで一番から九番までホームランを狙えるメジャーのスラッガー達を抑えてワールドシリーズ制覇に貢献出来たのはストレートとフォークの組み合わせと呼ばれてるが、それ以上に球速以上に高回転のストレートを投げ、そんな高品質なストレートを完璧にコントロールした事が大きいとも言われてる。
実際に本人も「スピードガンはファンサービス」と、公言しているので重要なのは球が速い豪速球よりも初速と終速差が少ない質の高いストレートに加えて完璧なコントロールが重要と言っている。
それを証明する様に俺が生まれた世界で2020年代は球速以上に日本のプロ野球でもメジャーリーグでも球の回転数を重要視する様になっていた。
和田のストレートも初速と終速が少ない為に豪速球以上に通常のストレートよりも浮かび上がり早く見える為に打者打ちにくいのだ。そのためプロでも打つ事が難しい和田のストレートを並の高校球児では打つ事は予想以上に難しい。
二回も好投した和田のお陰でこの回も無得点で切り抜けた大和第六高校。
四番は首相の浜崎先輩だが相手投手は高校野球では珍しい左投手でありMAX140キロのストレートと縦に変化するドロップカーブとスクリュー気味に変化するフォークを武器とする本格派の投手であった。
キレのあるドロップカーブとストレートのコンビネーションに浜崎先輩は内野フライで終わった。
『五番、キャッチー佐久間君』
よし、俺の番だ。
俺も今大会はかなり好調でホームラン数は西東京大会では一番ホームランを打ってる事もあって敬遠してくる学校が増えてきたのだ。
だけど相手はまだ試合が始まったばかりであるため試合が拮抗している終盤ならまだしも試合が始まったばかりの初っ端から敬遠作は実行に移す時ではないと判断した様だ。
一球目は縦に変化するドロップカーブ。
通常のカーブが山なりで横に変化するのに対してドロップカーブは縦に変化しながら落ちる変化球であり、変化球の球種が少ない日本野球黎明期には単にドロップと呼ばれて変化球といえばドロップと認識されていた。
「ストライク!」
インコースギリギリにドロップカーブを投げ込んできた。
球速は110キロくらいだが、変化量はかなりエグいな。
左打席の俺にはサウスポーから投げるドロップカーブは軌道が見えずらいな。
だけど普通に勝負してくれるなら問題はないな。
確かにサウスポー独特の軌道で投げられるドロップカーブは厄介だけど投球フォームはこの時代では典型的なオーバースローだからか惑わされる心配もない。
二球目はインローにストレート。
低めの外一杯に投げたストレートはストライクゾーン球一個分外れたコースだ。
選球眼があるバッターなら見逃すが、見極めが甘い並のバッターなら振ってしまうコースだな。ミートポイントが広い金属バットならプロやメジャー選手クラスで上位打線を任される選手ならヒットやホームランに出来るが、メジャーよりパワーがない高校野球の選手なら当ててもフライやゴロになるコースだけど……
(悪いが俺相手に外すならもボール二個分外すべきだったな)
カキィィイン!!
俺は金属バットの特性を利用してフルスイングした。
相手バッテリーは当ててもゴロやフライになると踏んだのだろうが俺が打った球は弾丸ライナーとなって場外ホームランとなった。
俺は手を上げながらホームを回った。
このホームランで南海大付属創世高校は俺を最大限に警戒したが六番バッターの和田の存在も忘れてないか。
「おりゃあぁぁああ!」
ガキィィィィン!!
俺がホームランを打った後に和田も続いてホームランを打ったのだ。
和田は打率は俺より若干低いがパワーなら現段階の俺より上の為に多少は詰まっても金属バットなら無理やりバックスクリーンに飛ばせるだけの規格外のパワーを持ってるので俺の次に和田というスラッガーの存在は驚異であった。
二連発のホームランで相手投手は崩れると思ったが、甲子園出場常連校の意地を見せて残りのバッターは無難に抑えた。
その後は投手戦となり、南海大付属創世高校は相手エースは俺と和田以外なら抑える自信があった様でランナーがいても俺と和田の勝負は完全に避けた。
この行為に「卑怯者!」「そんな事してまで勝ちたいか!」と、高校野球ファンと思われるオッサンの罵声が聞こえてきた。
相手エースもそんな罵声を聞いて悔しそうな表情をしていた。
和田は「勝負しやがれ!」と観客席にいるオッさん達同様に怒っていたが俺は敬遠作は何とも思わない。
敬遠も立派な野球の戦術だし、勝てる可能性が高い方を選ぶのもチームとして正しい選択だ。
負けてもいい真っ向勝負を選択して喜ぶのは観客だけで選手にとって負けを選択する作戦は嬉しくもないしな。
その後は投手戦で拮抗していたが中盤から和田の守備難をついた作戦を実行に移されてた。俺達が和田のカバーに入ったがそれでもエラーが重なって失点しまったがその後は何とか粘って3ー1で大和第六高校は勝利した。
なお、俺と和田は勝負は最初の一打席だけで残りの打席は全部敬遠だった。
しかし、その後は俺も盗塁したりして周りを引っ掻き回して敬遠で打てないなりにチームに貢献して、大和第六高校もスクイズを一回だけ成功して追加点を手に入れたりもしていた。
西東京都大会を優勝した大和第六高校は念願の甲子園出場の権利を獲得できて誰もが嬉し涙を流して観客席で応援してくれた人達も「おめでとう!」「次は甲子園で優勝だ!」と、いった感じで歓迎してくれた。
本来なら試合終了後は学校に戻って反省会をした後に練習したりするのだが、甲子園出場という快挙もあってOB会から「お祝いさせて下さい」と、言われて俺達野球部はOB会の奢りで大和第六高校の寮で祝賀会が開始された。
三年生達は「今日の事は絶対に忘れない」と言い祝賀会で涙を流しまくっていた。
まあ、高校野球最後の夏に高校球児が誰もが憧れる高校野球の聖地である甲子園に行く事ができたのだから無理はない。
こうして俺たち大和第六高校野球部は西東京代表として全国大会出場する資格を手に入れたのだった。