第71話 帰国
ルカートに向かう馬車の中には、シルヴァーナとパトリックが向かい合って座っている。
馬車の窓から外を見ると、パトリックたちと共にロロも馬に騎乗していて、共に前へ進んでいる。
「ヴィルシュが素直に帰してくれたのは、シルヴァーナのおかげですね」
「今になってちょっとやりすぎたと思っているんです。ルカートとの国交に支障が出ないか心配です」
シルヴァーナがそう言うと、パトリックは笑って首を振る。
「大丈夫ですよ。後のことは任せて下さい。ヴィルシュもこれでしばらくは大人しくなるでしょうし、ルカートが主導して上手くやっていきますから」
パトリックの頼もしい言葉に、シルヴァーナはホッと息を吐く。
シルヴァーナのしたことで、更に逆恨みをされてしまったらと恐ろしく思っていたのだ。
「それにしても、シルヴァーナが教会に現れた時は本当に驚きました」
「あれは……、全部ロロがしたことです」
「ロロ……、あれは何者ですか?」
パトリックは窓の方をちらりと見て、馬に乗るロロに目をやる。
シルヴァーナもその姿を見ながら、困ったように眉を下げて笑った。
「よく分からないんです。本人も記憶を失っているらしくて……」
「魔物……、ではないのですか?」
赤い髪に赤い瞳という姿は、確かに魔物のような印象を受ける。魔物なんてそうそうルカートにはいないけれど、遥か昔にはいたと言われている。
過去の聖女が、強大な魔物を滅ぼしたという言い伝えもある。だからパトリックが疑うのも頷けた。
「分かりません。……でも、私は悪しきものではないと思うのです」
「シルヴァーナの心臓を奪ったのに?」
「はい。これは本当に私の単なる直感のようなものなのですけれど、彼を信じてみたいと思ったんです」
「直感……。そうですか……。シルヴァーナがそう言うのなら、大丈夫かもしれませんね」
パトリックが笑って頷いてくれたことにホッとして、シルヴァーナも笑顔を向ける。
「そういえば、ライアン王太子も王太子妃も、本当に善行を積めば元の姿に戻るのですか?」
「それは私も心配でロロに訊ねたのですけれど、あの姿は5年もすれば徐々に戻っていくそうなんですって」
「え!? じゃあ善行っていうのは……」
「嘘だそうです」
シルヴァーナの言葉にパトリックは目を瞬いた後、苦笑を漏らした。
シルヴァーナもまた同じように苦笑すると、ロロを見て肩を竦める。
「善行をせよと言って、本当に悔い改めれば良し。もし反省もなく、今以上に心を醜くするようなら、その時はもっと手痛い『お仕置き』をすると、ロロは言っていました」
「なるほど……。まぁ、あれだけ怖い思いをして、反省もしないのなら、確かに王族としての器ではないでしょうね」
パトリックの冷静な言葉に、シルヴァーナはなんと答えていいか分からなかった。
自分にあんな酷いことをした人だと分かっていても、老人の姿になった二人を見て、少しだけ哀れに思った。
できれば心を入れ替えて、国のために正しいことを行ってほしいと思うばかりだ。
「これできっとシルヴァーナの評判はもっと遠くまで伝わり始めるでしょう。国に戻ったら、今後のことをしっかり話し合わなくていけませんね」
「これまで通りという訳には……」
「いかないでしょうね」
「そうですか……」
シルヴァーナは小さく溜め息を吐いて、窓の外を見つめた。
ベルンハルトとメルロー村で静かに暮らす未来はまだまだ遠そうだと思うと、また溜め息が漏れるのだった。
◇◇◇
国境を越えてルカート王国に戻ると、そのまま王都に向かった。
馬車の到着を城の前で待っていてくれた国王と王妃は、シルヴァーナの顔を見ると、思いがけず抱きしめて帰国を喜んでくれた。
「ああ、良かった! 本当に生きた心地がしなかったのよ!」
「パトリックもよく無事に戻った! よくやった!!」
まさか国王と王妃に抱き締められるとは思わず、恐縮してしまったシルヴァーナだったが、心から喜んでくれている二人がなんだかとても嬉しくて、少しの間そのままでいると、国王が王妃の肩を叩いた。
「ブリジット、皆長旅で疲れているだろう。早く中に入って休ませてやらなければ」
「ああ、そうだったわ。わたくしったらあんまり嬉しくて……。シルヴァーナ、パトリックも……。あら……?」
王妃は涙を拭って顔を上げると、ちょうど馬を降りてきたベルンハルトたちの方を向いて言葉を途切らせた。
国王も不振な様子でベルンハルトの隣を歩くロロを見ている。
「ロロ、ちょっとこっちに来て」
これは先に紹介してしまった方がいいだろうとロロを呼び寄せると、ロロは小走りで近寄ってくる。
周囲の兵士たちも、不思議なものを見るような目でロロを見ている。
「陛下、王妃様、ご紹介します。今回の解決に一役買ってくれたロロです」
「ロロ……? 異国の者か?」
「それについては長い話になると思いますので、ぜひ中でお話したいと思います」
「そうか、分かった。男爵たちも一緒に中へ。皆から話を聞こう」
国王はそう言うと、城の中に入り広いサロンのソファに腰を落ち着けた。
一通りの説明をそれぞれが話し、シルヴァーナもベルンハルトたちの動きを改めて聞いた。
「なるほど……。皆それぞれ随分と苦労したようだな。それでもこうして全員が無事に帰ってきたのを嬉しく思う。本当によくやった」
「ヴィルシュは本当に何を考えているのかしら……」
「王都までの道で、たくさんの滅んだ村を見ました。流行り病は我が国よりも酷い有様のようで、人心を纏めるために聖女を利用したかったのでしょう」
パトリックの言葉に国王は眉を顰める。
「これで戦争になるとは思いませんが、国交はなかなか難しい相手ですね」
「オーエン伯爵はどう思う?」
「殿下と同意見です。今回の件でこちらの立場がいくらか優位にはなったでしょうが、何事も慎重にする必要がある相手でしょう」
「なるほど……」
政治的な話になって口を挟むことができず、シルヴァーナは窓辺に立つロロに視線を向ける。
ロロはこちらにはまったく興味を示さず、じっと窓の外を見ていた。
「それにしても、やはりシルヴァーナの存在は他国にとっても魅力的なのだろうな」
「父上、僕はやはりシルヴァーナには王都に来てもらった方が良いと思うのですが……」
「そうだな……」
「そうよ、シルヴァーナ。また悪人が現れたら、すぐ攫われてしまうわ! 王都の教会でしっかり警護を受けてちょうだい!」
「王妃様……」
心配だと顔に書いてある王妃の顔を見つめて、シルヴァーナは困ったように眉を歪める。
その気持ちはとても嬉しいけれど、やはりそうすることはできないとシルヴァーナは首を弱く振った。
「本当にありがたいお話ですが、もう私は教会に戻ることはできません」
「シルヴァーナ……」
「先ほどお話した通り、私の力はロロに与えられたものでした。ティエール神から与えられたものではないと完全に判明した今、教会に戻ることはできません」
もし聖女としてまた教会に戻っては、ヴィルシュと同じことをすることになってしまう。
「私……、嘘を吐きたくありません……」
呟くようにシルヴァーナが言うと、隣に座ったベルンハルトがそっと手を握ってくれた。
俯いていた顔を上げ、ベルンハルトの目を見つめる。
「陛下、王妃様。シルヴァーナは私が守ります。必ず、守ってみせます」
「男爵、だが……」
「私の家はメルロー村です。ベルンハルトと家に帰ります」
今回のような危険がまたあるとしても、やはり気持ちは変わらない。
ベルンハルトと離れて教会に戻ることは、絶対にできない。
「でも心配だわ……」
「大丈夫です。ヴィルシュで強い味方を得ましたから」
そう言ったシルヴァーナは、ロロを見る。その視線に気付いたロロは、ゆっくりとそばに近付くと、シルヴァーナの背後に立った。
「もちろん。シルヴァーナの命は私が守る。何者からも守ってみせよう」
ロロのその言葉に、国王と王妃は目を合わせると、二人は仕方ないという風に笑みを作った。
「分かった。そう言うなら引き留めることはできないな。ただし、必ずシルヴァーナを守るのだぞ」
「はい!」
ベルンハルトがしっかりと返事をすると、ロロも真剣な顔で頷いた。
◇◇◇
「さて、私は騎士宿舎に戻るかな」
話が終わり、城の外に出ると、ノエルが大きく伸びをして言った。
「ノエル、今回は本当にありがとう。なんてお礼をしていいか……」
「そんな顔をするな。貸しにしておいてやると言っただろ? 俺に何かあった時、助けてくれればそれでいい」
「ノエル……」
「ノエル様! 絶対にお助けします! 絶対です!」
シルヴァーナが両手を握り締めてそう言うと、ノエルは驚いた顔をした後、声を上げて笑った。
「頼もしい言葉だな。その意気なら今度は自分で悪党を返り討ちにできるんじゃないか?」
ノエルは楽しげにそう言うと、ポンポンとシルヴァーナの肩を叩いた。
そうして4人と別れ、去って行った。
「さて、俺たちも帰るか」
「ええ」
「母上が心配しているだろうなぁ」
「あら、お兄様も来るの?」
「当たり前だ! 家に帰るまで心配だろうが!」
「でも、お義姉様が心配してるんじゃないの?」
「うっ……」
エラルドは眉を歪めて唸ると、がっくりと項垂れた。
「仕方ない……。私も家に戻るか……」
「お義姉様によろしく言っておいてね」
「義兄上、落ち着いたらご挨拶に行きますので」
「いい。私が行くから、お前たちはゆっくりしていろ」
エラルドは笑顔でそう言うと、シルヴァーナの乗る馬車のドアを開ける。
「大変な思いをしたんだ。嫌なことは忘れて、しばらくは二人でのんびり過ごせ」
「ありがとう、お兄様」
エラルドの手を取って馬車に乗り込んだシルヴァーナは、改めてお礼を言った。
エラルドが来てくれなかったら、きっと自分はこんなに早く戻って来られなかったかもしれない。争い事をあまり好まない性格なのに、これほど危ない目に合わせてしまって、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「可愛い妹と義弟のためなら、兄はどこへだって助けに行くさ」
「お兄様……」
「義兄上……」
ベルンハルトに顔を向けたエラルドは、ポンとその肩を叩く。
「シルヴァーナを頼んだぞ」
「はい」
ベルンハルトがしっかりと頷くと、馬車に乗り込む。その後に付いてロロが馬車に乗るのを待って、エラルドは「出してくれ」と御者に命じた。
ゆっくりと動き出す馬車の中で、エラルドの姿が見えなくなるまで見つめると、シルヴァーナは浮かせていた腰をゆっくりと戻した。
「はぁ……、やっと家に帰れるわね」
「ああ、帰ろう。俺たちの家に」
「ええ……」
シルヴァーナはそう言うと、ベルンハルトの肩に頭をもたれる。
正面に座るロロの顔を見つめて、優しく微笑み掛けた。
「ロロも、一緒に帰ろうね」
「ああ……」
少しだけ嬉しそうなロロの返事に、ベルンハルトとシルヴァーナは目を合わせると、嬉しそうに微笑み合った。