第7話 ここにいればいい
「妻に大声を上げるな! 失礼な奴らめ。王都の騎士だからといって、傍若無人に振る舞ってもいいなどと思うなよ!」
「なんだと!?」
「なぜ私が遺体を隠す必要がある? 私はただ罪人の埋葬を請け負っただけだ。その遺体が消えたのは、そちらの落ち度だろう。家の中を捜したいなら勝手に捜せばいいが、見つからなかった時は、責任を取ってもらうからな」
ベルンハルトの低い声に、騎士たちは反論できず口を閉ざした。
どうなるかとハラハラした気持ちで見ていると、険しい表情だった騎士は小さく溜め息を吐いて身を引いた。
「失礼をした。想定外のことに、冷静さを欠いたことは詫びよう。私たちは一度、報告のために王都に戻るゆえ、もし何か分かったことがあれば教えてほしい」
「分かった。遺体を盗む者などいないとは思うが、私の方でも調べてみよう」
騎士たちはそう言うと、一度丁寧にシルヴァーナに挨拶をして、屋敷から出て行った。
ドナートが扉を閉めると、シルヴァーナはその場に座り込んでしまう。
「お、おい!? 大丈夫か!?」
「こ、腰が抜けた……」
シルヴァーナは半笑いでそう答えると、おろおろするベルンハルトを見上げる。
先ほどの格好良さは一瞬で消えて、また元の物慣れない雰囲気に戻っていて、笑ってしまった。
「妻って、なんですか?」
「え!? あ!! それは、あの……、咄嗟に……。すまない……」
隣に膝をついて、しょんぼりとするベルンハルトに、シルヴァーナは微笑む。
「ありがとうございます。昨日も、今日も、助けてくれて。迷惑じゃありませんか?」
「そんな! ……そんなことは、ない」
シルヴァーナが立ち上がろうとすると、反射でだろう、ベルンハルトが手を差し出した。
その手を掴み、立ち上がる。
「ベルンハルトさんは、どうしたらいいと思いますか?」
「え?」
共に立ち上がったベルンハルトは、少しだけ考えると口を開いた。
「生き返ったのが聖女の奇跡なのだとしたら、君は本物の聖女だ。王都に戻り王太子と結婚しても、誰からも非難されることはない」
「私を殺した相手でも?」
「……聖女は国の宝だ。王家に嫁ぐのが、一番良い」
「王太子が酷い人でも?」
「…………」
シルヴァーナの言葉に、ベルンハルトは眉を歪め黙ってしまう。どんな答えを出してくれるかと静かに見つめていると、ふいに目が合った。
「でも、シルヴァーナが嫌なら、ここにいればいい」
その答えに、シルヴァーナは弾けるように笑った。
昨日会ったばかりなのに、ベルンハルトにそう言われて、とても嬉しい。
「ありがとう、ベルンハルトさん。考える時間を下さい。その間、ここにいてもいいですか?」
「もちろんだ」
繋いだままだった手を見下ろすと、慌ててベルンハルトが手を離した。
その様子に、シルヴァーナはまた笑うと、「よろしくお願いします」と、改めて言った。
◇◇◇
中断していた朝食を食べ終え、しばらくはゆっくりしているといいと言われ、居間でお茶を飲んでいると、ベルンハルトが自室から出てきた。
「少しは落ち着いたかい?」
「はい。どうにか……」
「俺は少し出掛けるが、気兼ねなくゆっくりしていていいから」
「どちらへお出掛けに?」
「村に畑仕事だ。今は色々な野菜の種蒔きがあるから、手伝いに。どこも人手不足だからな」
「あ、なら私も一緒に行っていいですか?」
ベルンハルトの言葉に、シルヴァーナは立ち上がる。
少し驚いた顔をしたベルンハルトは、どうしようかという風に返事をできずにいる。
「閉じこもって考えていても、気持ちが落ち込むだけなので、体を動かしたいんです」
「だが、あまり出歩かない方が……」
「旦那様、大丈夫なのではありませんか? あの騎士たちはもう王都に出立したでしょうし。女性の声を聞いた者がいるのなら、客人だと紹介しておいた方が不審に思われないかもしれませんよ」
「そうか……」
説得力のあるドナートの言葉に納得したのか、ベルンハルトは小さく頷いた。
「では、い、一緒に、行こうか?」
「はい!」
ぎこちなく誘われて、シルヴァーナは笑顔で返事をした。
それから屋敷を出て歩きだすと、昨日の夜はよく分からなかった、村の全貌が見えてきた。
森を切り開いてどうにか畑を作っているのか、あまり広くもない農地がしばらく続くと、遠くに村が見えだす。小さい家が細い道に沿って何十軒かあり、その先には小さい教会の尖った屋根が見えた。
(あの教会から逃げてきたのか……)
暗闇の中で見た時はなんだか怖ろしく感じたが、陽の光の下で見る教会は、赤い屋根のこじんまりとした可愛い建物だった。
木々の隙間からはほんの少しだけ墓地も見える。
「ここが村の中心だな」
そう言ってベルンハルトが足を止めたのは、数軒の家に囲まれた、広場だった。中心と言っても、何かがある訳でもなく、ただ古びたレンガが敷かれただけの場所だ。
「領主様、おはようございます。あら、珍しい! お客様ですか?」
近くの家から出てきた恰幅の良い女性が明るい声を上げる。その後ろから男性が顔を覗かせて、シルヴァーナは少しだけ緊張した。
昨日の夜、見掛けた男性に雰囲気が似ていたのだ。
「おはようございます、領主様。お客様がいるのなら、種蒔きは我等でやっておきますよ」
「あ、いや、俺も手伝う」
「私も手伝わせて下さい」
「え? 君もやるのかい?」
ベルンハルトの言葉に続いてシルヴァーナが言うと、ベルンハルトは驚いて振り返った。
「農作業はやったことがないから、足を引っ張ってしまうかもしれないけど、だめですか?」
「そんなことは、ないが……」
「あらあら! こんな綺麗な人が? あ!! もしかして、ついにお嫁さんを見つけたんですかい!?」
「え!? あ、や、そうじゃなく……、いや……、そうなのか?」
女性の嬉しそうな声に、しどろもどろで答えるベルンハルトに、シルヴァーナは苦笑を漏らすと一歩前に出た。
「シル、えーと、シェーナです。よろしくお願いします」
さすがに本名はまずいかと偽名を名乗り丁寧に挨拶をすると、夫婦だろう二人は顔を見合わせ、それから笑顔になって何度も頷いた。
「いやぁ、良かった良かった。領主様ももう28歳になるから、本当にそろそろと思っていたんですよ」
「さすがにこればっかりは、あたしたちじゃ役に立たないし、やきもきしていたんですよ」
「そうなのですね」
「そ、そんな話はいいから! さっさと仕事を始めるぞ!!」
ペラペラと話し出す二人に、ベルンハルトは大きな声を出して遮る。
その照れた様子にまた二人は笑うと、「はいはい」と言って仕事の準備を始めた。
そうこうしている内に、他の家からも人が出てきて、あっという間に広場に人が集まりだす。
皆、シルヴァーナのことを興味津々の様子で見ていたが、全員が集まると、すぐに畑に向かい出した。
「私のこと、妻ということにしておいて大丈夫ですか?」
もしベルンハルトに今現在、婚約者や想い合っている人がいるなら、すぐにでも妻というのは訂正して客だと言わなくてはと、シルヴァーナがこそっと訊ねると、ベルンハルトはぶんぶんと首を大きく振った。
「問題ない。俺が最初に言い出したことだ」
「でも、ご迷惑になるなら」
「大丈夫だ」
「そう、ですか?」
(それなら、まぁ、このままでいいか……)
ベルンハルトがそう言うなら、そういう人はいないのだろうと、シルヴァーナはそれ以上言うのをやめた。
「人手が欲しいと思っていたが、まさか領主様の奥方様になる方が来てくれるとはねぇ」
「やっとメルロー村にも春が来たなぁ」
「嫌だよ、あんた。もうすっかり春でしょうが」
前を歩く村人たちは、笑い声を上げながら口々にシルヴァーナのことを話している。その嬉しそうな顔を見て、シルヴァーナも口許を緩ませる。
聖女になったばかりの頃は、どこへ行っても喜ばれた。けれど大きくなる内に、何もできないことが知られるようになると、いつも溜め息を吐かれていた。常に失望を与えていて、それが苦しかった。
けれど今、嘘だとしてもここに来たことを喜ばれて、少しだけ嬉しく感じる。
(偶然でも、ここに来られて良かった……)
ベルンハルトの横顔をちらりと盗み見たシルヴァーナは、自然の匂いを感じながら清々しい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。