第62話 作戦を練る
パトリックがヴィルシュの王宮に入ると、ほどなくしてシルヴァーナと共にエクランド侯爵の屋敷に行くことになったと伝令が来た。
「エクランド侯爵の屋敷? あの廃墟に行くのか?」
「いえ、それが……、エクランド侯爵と名乗る者が王宮におり、聖女様の祖父を騙っているそうです。ですから、向かうのは違う屋敷であろうと殿下は予想しています」
「シルヴァーナの祖父!?」
報告を受けたエラルドは声を上げて驚く。
「義兄上、エクランド侯爵は病死したのですよね?」
「そうだ。確かに亡くなっているはずだ。なるほど……。シルヴァーナを懐柔するために身内を偽装したということか……」
「そんなこと……。すぐに露見するようなことを、なぜ……」
「シルヴァーナが祖父のことを知っていればこの手は使えないだろうが、もし知らなければ多少なりとも時間を稼げる。身内がいることで安心させるか、人質として脅すか。何度かでもこの手でシルヴァーナを従わせることができれば、その間に聖女として立場を確立できると考えたんだろう」
エラルドの言葉にベルンハルトは顔を歪める。すべてが卑怯な手で吐き気すら覚える。
優しいシルヴァーナが祖父の命を盾に取られれば、どんな無理なことも従うだろう。この前の衆人環視の中での恐ろしい儀式も、きっとそういうことなのだろう。
「どの屋敷に向かうかを今探っておりますので、分かり次第お知らせします」
「ああ。そうしてくれ」
「厳重な警戒が予想されます。どうにか聖女を連れ出す算段をお考え下さい」
「分かった」
伝令の男性が部屋を出て行くと、エラルドは腕を組んで考え込む。
「屋敷に向かう道中か、屋敷からか……」
「どちらもかなり難しいことですね」
「ああ……」
パトリックの部下を使えたとしても数人だろう。そんな人数で、どう立ち向かえばいいのか、ベルンハルトも頭を悩ませる。
ふとノエルに顔を向けると、ずっと黙って窓の外を見つめていた。
「ノエル、何か良い案はないか?」
ノエルはゆっくりと顔をこちらに向け、少ししてから口を開いた。
「ある」
「あるのか!?」
ノエルの返事に二人が驚いて声を出すと、ノエルは腕を組んで小さく頷く。
「屋敷に着いてからで十分間に合う。それほど難しくはないだろう」
「どんな作戦だ!?」
「それは、その場になったら教える」
「は!? ノエル、どういうことだ!?」
二人は立ち上がってノエルに詰め寄るが、視線を外したノエルはもう話す気がないのか、また窓の外に視線を移してしまう。
ノエルのおかしな態度に、ベルンハルトはエラルドと視線を交わし首を捻った。
それでもこれだけ自信満々な態度だということは、かなりの確率でシルヴァーナを助け出せる見込みがあるのだろう。
「義兄上、ノエルは戦闘のプロです。こう言うからには、自信があるのでしょう。ノエルの作戦に乗ってみませんか?」
「どんな作戦かも聞いていないのに、信じれられるか」
「それはそうですが……。では、俺たちは俺たちで作戦を立てましょう。ノエルの作戦が上手くいけばよし。上手くいかなければ、俺たちが立てた作戦を決行する。これでどうですか?」
ベルンハルトが譲歩案を出すと、エラルドは難しい顔をしてしばらく黙った後、小さく頷いた。
「……そうだな。それでいこう。とにかく色々な案を出して、できるだけ成功率の高い作戦を立てよう」
「はい、義兄上」
こうしてベルンハルトたちが作戦を立て始めて5日後、ついにシルヴァーナは王宮を出た。
向かう先は前日になってやっと判明したが、王都より半日ほどの距離にある貴族の屋敷らしく、誰の所有かまでは調べる時間がなかった。
知らせを受けた3人は、先回りをして屋敷のそばの森に潜んだ。屋敷のそばの町は厳戒態勢ではあったが、森までは兵士が立つことはなく、どうにか見つかることなく夜を越え、一行が到着する時間となった。
「屋敷の周辺は相当な兵士で守られているが、どうするつもりなんだ、ノエル」
「なに、大した数じゃない」
ノエルは状況を確認しても、まったく動じた様子はない。
本当にどんな作戦なのか、まったく教えてくれなかったが、それでもベルンハルトはノエルを信じていた。
学生の時から、ノエルの作戦が失敗したことはない。だから十分に信頼できると思っている。
「この屋敷をエクランド侯爵の屋敷だと偽っているということか……」
「すべて嘘で塗り固めて……、何一つ真実がない……」
国の代表である王族が、まったく信頼できないなんて、この国はどうかしている。
こんな国に明るい未来があるとは思えない。
「今はそれを考えていてもしょうがない。とにかく夜を待とう。ノエル、それでいいな?」
「ああ」
エラルドの言葉に静かに頷いたノエルは、静かな目を真っ直ぐに屋敷に向けていた。
◇◇◇
動きがあったのは、日が暮れて少し経った後だった。
遠目に見ても屋敷が慌ただしい雰囲気に包まれている。使用人たちが血相を変えて走り回っている。
「何かあったのか?」
「何でしょうか……」
暗闇の中で、じっと屋敷を見ていると、微かに使用人たちの焦った声が聞こえてくる。
「医者を呼んでくるんだ!」
「解毒する薬を持たせるのを忘れるなよ!」
途切れ途切れに聞こえた声に、ベルンハルトは顔を顰めた。
(解毒……? まさか……)
嫌な予感が胸に這い上がってきて、ベルンハルトはギュッと手を握ると、腰を浮きかけた。
その肩をノエルが押し留めた。
「私が行く」
「ノエル!?」
「屋敷の中は混乱している。この機に乗じて屋敷に侵入する」
「無茶だ! どれだけ兵士がいると思っているんだ!!」
エラルドが厳しい声で制止すると、ちょうど馬に乗った使用人が屋敷を飛び出した。
それを見てノエルは立ち上がる。
「二人はあの使用人を捕えろ」
「は?」
「捕まえて事情を聞け。私はシルヴァーナを連れて、本物のエクランド邸に向かう」
「ちょ、ちょっと待て! どういうことだ!?」
ノエルの言っている意味が分からず、エラルドが困惑した声を上げる。だがノエルは説明する気もないのか、歩きだそうとしてしまう。
ベルンハルトは慌てて立ち上がると、ノエルの肩を掴んだ。
「俺も一緒に行く!」
「お前は来なくていい」
「でも! シルヴァーナがまた危ない目にあっているかもしれない! もし毒を飲んだのがシルヴァーナだったら……」
今まで傷によって命を落としても、必ず生き返ってきた。けれど毒を飲んでも大丈夫かは分からない。
今も苦しみもがいているかもしれない。そう思うと居ても立っても居られなかった。
「お前が行っても意味はない」
「だが一人では無茶すぎるだろ!」
「私は平気だし、シルヴァーナは不死だ。毒で死ぬことはない」
「な……、そんなこと分かる訳……」
はっきりと断言したノエルに、さすがにベルンハルトも不審に思ったが、ノエルは視線を外すことなく真っ直ぐにベルンハルトを見つめてくる。
その様子にベルンハルトは違和感を覚えた。
「ノエル、お前……」
「もう行く。あちらで合流しよう」
ノエルはそう言うと、走り出してしまう。
遠ざかる背中を見つめ、ベルンハルトは迷う気持ちを振り切ってエラルドを見た。
「義兄上! 俺たちも行きましょう」
「ノエルの指示に従うのか?」
「はい。あの使用人を捕えて、事情を聞きましょう」
ベルンハルトの言葉に、エラルドを覚悟を決めたのか大きく頷くと、ノエルとは反対の方へと走り出した。