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第61話 エクランド侯爵邸

 それから5日間はパトリックを歓迎する晩餐会や催し物が開かれ、王宮は華やいだ雰囲気が続いた。すべての行事に参加させられたシルヴァーナは、聖女の格好で公の場に出るのは嫌だったが、パトリックがそばにいてくれると思えばどうにかやり過ごすことができた。

 そうしてついに6日目の朝、エクランド侯爵の屋敷に出向くことになった。

 シルヴァーナが久しぶりに王宮の外に出ると、前庭には馬車が何台も準備されていた。


「すごい数だな……」


 パトリックが周囲を見渡しながら呟く。

 馬車の周囲には兵士たちも数多くおり、出発の準備を進めている。かなりの大所帯にシルヴァーナも顔を曇らせる。


「兵士がこんなに……」


 分かっていたことだが、この兵士たちをかいくぐって本当にベルンハルトは助けに来るのだろうか。

 もし見つかってしまえば、今度こそその場で殺されてしまうかもしれない。


「シルヴァーナ、あちらに到着してから対策を練りましょう。僕たちもできる限りのことをしなくては」

「……そうですね」


 パトリックの前向きな言葉に、シルヴァーナは励まされると、二人で馬車に乗り込んだ。

 ほどなくして動き出した馬車が停車したのは、夕方になる頃だった。馬車を降りたシルヴァーナは目の前の大きな屋敷を見上げる。

 3階建ての屋敷はかなりの大きさで、周囲には高い塀が設けられている。同行した兵士たちとは他に、屋敷を守る私兵もいるようで、警備は恐ろしく厳重に見えた。


「王太子殿下、妃殿下、よくお越し下さいました」


 屋敷の前で腰を深く落とし挨拶をしたのは、老齢の女性だった。白髪に茶色の瞳をしており、年齢の割には張りのある声をしている。


「侯爵夫人、今日はそなたの孫と、ルカート王国の第二王子を連れてきたぞ」

「なんという光栄なことでしょう。我が家にこんなにも高貴な方々をお迎えできるとは……。それに……」


 そう言うと侯爵夫人は、ふいにシルヴァーナに視線を合わせた。


「シルヴァーナ、ああ、やっと会えたわね!」

「あ……」


 駆け寄って抱き締められたが、シルヴァーナは何も言えなかった。


「顔を良く見せて。やっぱりクレアに似ているわね」

「お祖母様……?」

「ええ、そうよ。あなたのお祖母様よ。よく帰ってきてくれたわね」


 侯爵夫人は目に涙を浮かべて頷く。


(この人も嘘を吐いているの……?)


 そうは見えない。確かに孫の帰りを喜んでいるように見える。けれどパトリックの言葉を信じるならば、この人は赤の他人なのだ。


「シルヴァーナ」


 パトリックに硬い声で名前を呼ばれ、シルヴァーナはハッとして身を引いた。

 戸惑った顔を侯爵夫人に向けると、その目はパトリックに向けられた。


「お目に掛かれて光栄でございます、殿下」

「……パトリックです。突然押し掛けてしまい、申し訳ありません」

「そのようなことお気になさらず。殿下の来訪は、我が侯爵家の誉れでございます。ごゆるりとお過ごし下さいませ」


 ヒューゴの案内で玄関ホールに入ると、正面には大きな階段があり、壁中に絵画が飾られていた。


「あれが私と妻の結婚した頃でございます」

「娘のクレアの肖像画はないのか?」

「それが……、クレアが家を出てしまった時、怒りに任せて処分してしまったのです。今では後悔しています」


 肩を落として言ったヒューゴの様子を見て、シルヴァーナはパトリックと目を合わせる。

 ライアンたちは侯爵が本物であると証明できるものを用意してから、屋敷に案内するはずだと、パトリックは予想していた。

 だがヒューゴの言葉は真実味があるように感じる。『駆け落ちをした娘の肖像画を処分してしまった』というのは、いかにもありそうなことだ。


「あなた、殿下はクレアの肖像画をお探しなの?」


 後ろに付いて歩いていた侯爵夫人が口を挟んだ。


「そうなのだ。殿下はクレアのものが何かないかとおっしゃっておられてな」

「それなら……。わたくしの部屋に小さなものがございますので、持ってこさせましょう」


 そう言って侯爵夫人が指示をすると、すぐにメイドが手のひらに乗るくらいの小さな肖像画を持って戻ってきた。


「奥様、こちらでよろしいでしょうか」

「ええ、そうよ。殿下、これはクレアが6歳の頃にものです。どうぞご覧下さい」


 侯爵夫人の差し出した肖像画には、茶色の髪に緑色の瞳の少女が描かれている。ライアンはその肖像画とシルヴァーナを見比べて小さく頷いた。


「お前に似ているな」

「そう、でしょうか……」


(確かにお母様のような気もするけど……)


 髪色や瞳は誰かに聞けば分かるはずだ。この肖像画が本物か偽物か分からないが、この程度なら捏造するのも容易い気がする。


「これだけしかないのですか?」


 パトリックの質問に、侯爵夫人は困った顔をして首を振った。


「当時、夫にクレアの物はすべて捨ててしまえと言われて、こっそり取っておいたのがこの肖像画だけだったのです」

「それでは、あなた方が本物の親族か証明できませんよ」

「そんなことを言われましても……」


 シルヴァーナは肖像画から目を離すと、屋敷の中を見渡しながらゆっくりと歩く。


(私……、この屋敷に来たことがあるのかしら……)


 少し前、ライアンにヴィルシュ王国に来たことはあるかと問われた時、ほんのわずかに思い出したのは、どこか大きな屋敷に行った景色だった。

 本当に小さな頃で、どんな用事で来たのかは分からない。それでも確かに知らない屋敷に入った覚えはある。

 けれど壁に飾られた絵画を見ても、何一つピンとこない。


「シルヴァーナ、どうですか?」

「……分かりません。思い出せなくて……」

「そうですか……」


 パトリックは小さく頷くと、ライアンは肩を竦めて笑った。


「本物かどうか確かめるなら、クレアを連れてくるべきだったな。パトリック王子」

「……そうですね。ですが本物だという証明はできていませんよ」

「それは勝手にそちらが偽物だと言っているだけだろう。ここまで来てやっただけありがたいと思え。後はお前たちで調べるなりなんなりするがいい」


 ライアンはそう言うと、侯爵に案内されて廊下を進んで行く。

 その背中を見ていたシルヴァーナの手を、侯爵夫人が優しく握った。


「シルヴァーナ。よく分からないけれど、わたくしは本当にシルヴァーナのお祖母様よ。疑うなんて悲しいわ」

「お祖母様……」

「今日はあなたのために、美味しい料理もたくさん用意したの。嫌いなものはなくて?」

「は、はい……」

「良かった。さぁ、難しい話は男の方にお任せして、わたくしたちはお茶をしながらお話しましょう」


 侯爵夫人にそのまま手を引かれてしまうと、シルヴァーナは仕方なく歩きだした。

 それから2時間ほどすると、晩餐会が開かれた。個人の屋敷とは思えないほど豪華な部屋で、全員がテーブルを囲んだ。


「思いがけず殿下と遠出ができて、わたくしとっても嬉しいですわ」

「そうか……」


 シャロンの言葉にライアンは素っ気なく答えると、ワインを口にする。

 それでもめげずにシャロンはライアンに話し掛け続けた。


「殿下、この屋敷のすぐ近くに綺麗な湖があるのです。明日、行ってみませんか?」

「遊びに来た訳ではないぞ」

「ですが、せっかくですもの。少し足を延ばしてみてもよろしいんではなくて?」


 二人の会話をなんとなく聞いていたシルヴァーナは、一瞬何かが引っ掛かって食事の手を止めた。


(王太子妃はこの地域のことに明るいのね……)


 王都からそれほど遠くもない土地だし、有名な湖ならヴィルシュの誰でも知っているのかもしれない。

 それでも何か気になってシャロンをちらりと見た時、隣に座るヒューゴも視界に入った。


(ん……?)


 シルヴァーナは小さく首を傾げる。


(なんか……、似てない?)


 顔の造りもそうだが、雰囲気がなんだか似ている気がする。ヒューゴはだいぶ白髪が混じっているが、シャロンと同じ黒髪だ。瞳の色は違うが、目の形や鼻の形など、とても似ている気がする。


(気のせい? でも……)


 思わずまじまじとシャロンの顔を見つめていると、その視線に気付いたのか、シャロンと目が合ってしまった。


「どうしたの? わたくしの顔に何か付いてる?」

「あ、いいえ! も、申し訳ございません……」


 シルヴァーナは慌てて顔を下に向けると、取り繕うようにワインに手を伸ばした。

 少し落ち着こうと、ワインを飲み、変に思われないように食事を続けようと、フォークに手を伸ばした瞬間、胸の辺りに燃えるような熱さを感じた。


(なに……っ……)


 アルコールが強かったかと思ったが、そうではなかった。

 のどの奥から込み上げてくるものに耐え切れず、口から溢れたものを見て目を見開く。

 口元を押えた両手が真っ赤に染まった。


「ぐっ……うぅ……」

「キャー!!」

「シルヴァーナ!!」


 ぼたぼたと口から血が落ちる。姿勢を保っていられずぐらりと身体を傾けると、ドサリと床に倒れ込んだ。

 ライアンとパトリックが視界に入ったが、胸の痛みが酷過ぎて目を開けていられない。


「どうしたのだ!? シルヴァーナ!!」

「シルヴァーナ! シルヴァーナ!!」


 胃の奥が燃えるように熱い。全部を吐き出してしまいたいのに、それができず痛みは身体中に広がっていく。


「しっかりしろ! シルヴァーナ!!」


 遠くで名前を呼ばれたけれど、答えることなどできる訳もなく、シルヴァーナはまた込み上げる吐き気に堪えきれず、また血を吐き出した。

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