第57話 挫ける心
意識が浮上してゆっくりと目を開けると、ライアンの顔が間近にあった。
酷い疲労感に息をするのも辛かったが、強い怒りにライアンを睨み付ける。その視線を受け止めて、ライアンは笑みを深くすると持っていた槍を振り上げた。
「見よ! 聖女が息を吹き返した! これがラヴィネラ神の与えた不死の力だ!!」
観衆の戸惑いが混じるざわめきは変わらない。ライアンはその様子を見て、シルヴァーナの体を抱き起こした。
「立て」
「……立て……ません……」
ライアンの言葉を拒否している訳ではなく、あまりにもだるくて立ち上がることなどできないとそう言ったのだが、ライアンは許してはくれなかった。
「今立たなければ、このお披露目は失敗だ。それでいいのか?」
何度も何度も脅しをかけられて、シルヴァーナの心は挫けそうだった。
なんの躊躇もなく自分を殺す相手に、たった一人でどう立ち向かえばいいのかまったく分からない。
味方になってくれるだろう祖父と会わせてくれたのは、単に人質として使い道があったからだろう。
狡猾なライアンに対して、シルヴァーナは自分があまりにも非力であることを思い知らされるだけだった。
「さぁ、立つんだ」
もう一度促され、シルヴァーナは歯を食いしばって身体に力を込めた。床に手を付き、両足に体重を乗せる。その途端、ぐらりと身体が揺れたが、ライアンが両肩を支えた。
シルヴァーナはその手をやんわりと降ろさせると、ぐらぐらと頭が揺れながらもゆっくりと立ち上がる。
シルヴァーナが背筋を伸ばして観衆に向き合うと、ついに大歓声が上がった。人々が口々に「本当に生き返った!」「本物の聖女だ!」と歓喜し興奮している。
「不死なる聖女シルヴァーナを称えよ!!」
ライアンの晴れやかな声が、さらに観衆の声を盛り上げ、歓声は収まりそうにない。
シルヴァーナは立っているのが精一杯で、もう何も考えられなかった。視界がぐるぐると回り、人々の歓声が頭の中に響き、冷や汗が流れてくる。
もう数秒ももたないと思った時、ライアンが背後から勢いよく抱き上げた。
「よくやった」
「酷い……人……」
どうにか悪態を吐いたが、ライアンは気にした様子もなく歩きだす。そうして教会の中に入ると、国王が顔を覗き込んできた。
「本当に不死なのだな……」
「陛下、これで民衆はもう王家に逆らうことはなくなるでしょう」
「そうだな。ここまで派手に見せつけたのだ。しばらくは静かになるだろう。ライアン、よくやった」
国王は笑顔でそう言うと、ライアンの肩をポンと叩き、去って行った。
「殿下、癒しの力も本当なのですか?」
「シャロン、見たであろう? シルヴァーナの力は本物だ。シルヴァーナは王家にとってなくてはならない人物なのだ」
「そう、でございますね」
シャロンは頷きながらも、その目はまだシルヴァーナを疑っているように歪められている。扇で口元を隠してはいるが、滲み出る嫌悪感は隠しようがなかった。
「殿下、お召しものが血で汚れますわ。他の者に任せては?」
「よい。私が運ぶ」
やんわりと言ったシャロンの言葉を否定すると、ライアンはさっさと歩きだした。
「降ろして……自分で……歩けます……」
「意地を張るな。顔が真っ青だぞ」
「殿下……」
「お前は生き返った直後は、力を使い果たしているのだろう?」
歩きながらそう言うライアンの顔を見上げ、シルヴァーナは眉を顰める。
(もう殿下は私の体を分かっている……)
野盗の矢に倒れた時、ライアンはすぐそばにいた。その後も屋敷で自分がどういう状況だったのかを観察されていた。
あれがなければここまで思い切ったことはできなかっただろう。
(最初から全部、これをするための計画だったんだわ……)
観衆の前で不死の力を見せつけることは、凄惨な光景ではあるが、生き返った姿はあまりにも衝撃的で、強く印象に残るものだ。
ライアンは人心掌握のために自分の死を利用した。それも何の躊躇もなく。
(なんて恐ろしい人なの……)
アシュトンとはまた違う冷酷さを感じ、シルヴァーナは身体が震えだした。
祖父も、そして自分を取り戻そうとしているベルンハルトたちも、こんな人を相手に戦うのは、あまりにも危険過ぎる。
(どうしたらいいの……)
自分が大人しくしている以上、皆に危害は及ばないかもしれない。けれどまさかこの国に一生いるなど考えられない。
絶望が押し寄せてきて、きつく目を閉じると、ベルンハルトの顔を思い浮かべる。
(諦めちゃだめ……。ベルンハルトもきっと諦めてない……)
それだけが今のシルヴァーナの希望だ。何をされようと、ベルンハルトを信じて踏ん張るしかないのだ。
「何を考えている?」
ふいに声を掛けられて視線を上げると、ライアンがベッドにシルヴァーナを降ろした。
やっとライアンの腕の中から逃れられて、ホッと息を吐く。
「お前が生き返るのに、10分ほど掛かった。さすがにその間は気をもんだが、お前は確かに生き返った」
「私が……目を覚まさなかったら……、どうするつもりだったんですか……?」
「お前は生き返ると信じていた」
「信じて……」
ライアンの言葉にシルヴァーナは顔を顰める。
「私の腕の中で死んだお前は、鼓動も呼吸も確かに止まった。その身体にまた命が戻った時は、さすがに私も感動した」
顔を近付けて言ってくるライアンは、うっとりとした目をまっすぐに見つめてくる。
「で、殿下……」
「何度殺してもお前は生き返る……。素晴らしいな」
あまりにも顔が近くて、身を捩るように逃げようとしたが両腕を掴まれてしまう。
そのまま強引にキスをされて、シルヴァーナは咄嗟にライアンの唇を噛んだ。
「……っ……」
顔を離し眉を歪めるライアンの目を睨み付けると、ライアンは指を唇に添えてふっと笑う。
「血の味のする口づけは初めだ」
「私は!」
「しばらく休養を与える。ゆっくり休め」
怒りのあまり身体のだるさも忘れ起き上がったシルヴァーナに、ライアンは優しくそう言うと、踵を返し部屋を出て行った。
ドアが閉まり激しいめまいに襲われたシルヴァーナは、またベッドに倒れ込むと、ヴィルシュに来て初めて声を上げて泣いたのだった。