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第54話 逃走

 ベルンハルトは森の中を走る馬上で、手綱を持つ手を強く握り締める。


(あと少しだったのに……)


 奥歯を噛み締め、自分の不甲斐なさに腸が煮えくり返る思いだった。

 エラルドのおかげで折角シルヴァーナに追いついたというのに、結局助け出すことに失敗してしまった。それも逆にシルヴァーナに助けられる形で、逃げ出すことになってしまい、ただただ情けなかった。


「ベルンハルト、頭を切り替えろ。まだチャンスはある。まずは逃げ延びなければ」

「ああ……」


 並走するノエルが声を掛けてくれ、ベルンハルトは小さく頷く。

 背後に追手の気配はない。なぜか兵士たちは追い掛けてきていないようだ。だが決して逃してくれる訳がない。今はとにかくここから離れるしかない。

 そうして計画を練り直し、必ず次こそはシルヴァーナを取り戻さなくては。


(待っていろ、シルヴァーナ……)


 ベルンハルトは心にそう誓うと、先を走るエラルドの背中を追い掛けた。

 1時間ほどで森を抜けると、その先は荒野のような土地になった。人の気配のない朽ち果てた村を2つほど通り過ぎ、そうしてまた1時間ほど走り、間もなく夜明けという頃、エラルドが馬の速度を緩めた。


「あそこで一度休もう」


 そう言ってエラルドが指差した先には、大きな屋敷があった。

 ゆっくりと近付いてみると、随分大きな屋敷で、ベルンハルトの家の3倍はありそうな大きさだ。だが壁や屋根はかなり劣化しており、手入れは随分前からされていないように見えた。

 半開きのままで草木に覆われてしまっている門を潜り屋敷の前まで来ると、エラルドは馬を降りた。


「義兄上、ここは?」

「ここは、母上の実家だ」

「え……?」


 エラルドはそう言うと、目を細めて屋敷を見上げる。ちょうど朝日が差し込んで、屋敷の姿がはっきりと見えた。

 荒れ果てた庭に、伸びっぱなしの蔦が、屋敷の壁から窓ガラスを割って室内に入り込んでしまっている。明らかに数十年は放棄された様子に、ベルンハルトは首を傾げた。


「ここが?」

「ああ。かつてのエクランド侯爵邸だ。とにかく中に入ろう。暖くらいは取れるだろう」

「私は馬を隠してから入る。先に行っていてくれ」

「分かった」


 ノエルはそう言うと、馬を連れて裏手の方へ歩きだす。ベルンハルトはエラルドと共に屋敷の玄関へ向かった。


「開きますか?」

「どうだろうな」


 大きな両開きのドアはすでに鍵が壊されていて、何の抵抗もなく開いた。広い玄関ホールに入ってみると中はがらんとしていて、二人の足音がやけの大きく響いた。


「何もないですね……」


 ほこりの匂いに満ちた室内を見渡しベルンハルトが呟く。エラルドは眉間に深い皺を作り言葉もなく頷くと、玄関ホールから続く部屋へ入る。

 大きな暖炉がある広い部屋にはぼろぼろのソファセットが置かれていた。テーブルやイスもあり、かつてはここで家人が寛いだのだろうと思わせた。

 壁には色々な絵画が飾られているが、その中の一つに、夫婦だろう男女が並んで描かれている肖像画があった。


「これが、私の祖父と祖母だな」


 エラルドはベルンハルトの隣に並ぶと、同じようにその肖像画を見上げる。

 30代ほどでいかにも厳しい性格が見て取れるような鋭い目をした男性と、顎の細い神経質そうな女性は、穏やかで優しいクレアとは随分性格が違うような気がした。

 けれど男性の緑色の瞳はクレアとシルヴァーナにそっくりで、やはりどこかしら血縁であると感じさせた。


「伯爵、ベルンハルト、薪があったぞ」


 ふいに背後で声がすると、両手に薪を持ったノエルが部屋に入ってきた。

 そのまま暖炉の前に膝をつくと、手早く火を着ける。あっという間に火を大きくさせると、こちらに顔を向けた。


「伯爵、暖まって下さい」

「ああ、ありがとう」


 エラルドは笑顔を見せると、大きく息を吐いて暖炉の前に置いたソファに座った。

 ベルンハルトもイスを持ってくると腰を下ろす。ずっと馬を走らせて、さすがにもう足は限界だった。


「伯爵の読みは当たりましたね」

「当たったは当たったが、シルヴァーナを取り戻すことはできなかったな……」

「義兄上はなぜあの屋敷で王太子が宿泊すると分かったのですか?」


 王都でエラルドの作戦を聞いた時、実はかなり疑っていた。何本もある街道のどこを通るのか、どこに宿泊するのか、何の情報もないのに、なぜエラルドはあの屋敷を特定できたのだろうか。


「ヴィルシュ王国は土地こそルカートよりも大きいが、大きな町はそれほど存在しないんだ。大体の貴族は王都に住んでいて、地方はあまり発展していない。それに加えてここ数十年の流行り病のせいで、かなりの数の村が滅んだらしい」

「なるほど。それを加味して考えれば、おのずと王太子が滞在する町は絞り込めると」

「ああ。王太子の性格からして、適当な宿に泊まるとは思えないしな。だが運が良かったのは確かだ。思いの外一行の進みが遅かったから追い付けたんだ」


 エラルドの説明に納得のいったベルンハルトは、これからどうするかを考えじっと火を見つめた。


「伯爵、これからどうするか、何か良い案はありますか?」

「ここから王都まで、もうそれほど距離はない。私たちが姿を見せてしまった以上、兵士の警戒も強まるだろう。隙を突いて取り戻すのはかなり難しいだろうな」


 ノエルの質問にエラルドは溜め息を吐いて答えると、前かがみになり項垂れた。

 しばらく沈黙が続き、火の粉が爆ぜる音だけが室内に満ちると、ふいにノエルがまた口を開いた。


「伯爵は、ヴィルシュのことをなぜそこまで知っているのですか?」

「……母はヴィルシュの生まれだということしか、私に話さなかった。どうしてルカートに来たのか、祖父や祖母は健在なのか、まったく教えてくれなかったのだ。そうなると逆に気になるというものだろう?」

「まぁ、確かに……」

「母の家のことを調べる内に、ヴィルシュ王国のことも徐々に詳しくなっていってな。今ではその知識を買われて、ヴィルシュの地理やら経済やらを調べる仕事に就いているんだ」

「そうだったのですか」


 ベルンハルトはエラルドの説明を聞きながら、ふとさきほど見ていた肖像画に目をやった。

 その視線に釣られるようにエラルドも肖像画を見上げると、ポツリと呟いた。


「お祖父様やお祖母様が生きていて下されば、もしかしたら助けて下さったかもしれないな……」

「ではお二人は……」

「随分前に亡くなったよ。流行り病で、二人とも……。そして一人娘だった母上は、エクランド侯爵家を継がなかった」

「だからこの屋敷はこんなに荒れ果てて……」

「ああ。爵位は返上され、この家は放棄された。この先に村もあるが、そこもほどなくして滅びたらしい」


 ベルンハルトは肖像画を見つめ、寂しさを感じた。どの国も流行り病で多くの国民が亡くなっている。それは理解しているが、やはり身近な者の死は受け入れがたい気持ちにさせる。

 仕方ないとはいえ、できれば生きていてほしかった。


(シルヴァーナが悲しむな……)


 結婚する時、シルヴァーナは母親の親族のことはまったく知らないと言っていた。エラルドのように自分で調べるようなことはしなかったのだろう。

 この国に来たのなら、どこかで耳に入ってしまうかもしれない。そうなれば、きっとシルヴァーナは悲しむだろう。


(そばにいてやりたいのに……)


 ベルンハルトは両手を握り締めて眉を顰める。

 どうにもできない不甲斐ない自分に腹が立つ。こんなところで手をこまねいている暇はないと、エラルドに顔を向けた。


「義兄上! 計画を練りましょう! シルヴァーナを取り戻さなくては!」

「……そうだな。悔やんでいても仕方ない」


 エラルドはベルンハルトの声に顔を上げると、大きく頷く。

 そうして地図を取り出すと、これからのことを話し合った。

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