第52話 国王との謁見
次の日、また手と足を拘束されたシルヴァーナは、暗い気持ちで馬車に乗り込んだ。
馬車が動きだしてしばらくすると、ライアンは窓の外を見ていた視線を戻してシルヴァーナを見た。
「足は治ったのか?」
「……はい……」
「折れていたように見えたが、恐ろしいほどの回復力だな」
ライアンの言葉にシルヴァーナは答えず視線を逸らす。
昨晩、脱出に失敗した後、部屋に戻された時に、足は包帯を巻く程度には治療された。自分ではいまだに半信半疑だったが、結局朝になってみれば足に痛みはなく、自分で包帯を外した。
「まさに神の奇跡だ」
シルヴァーナはライアンの言葉を聞き流しながら、窓の外を見つめる。
(皆は大丈夫かしら……)
ベルンハルトとノエル、そして兄のエラルドまでが助けに来てくれた。とても嬉しかったけれど、ライアンに見つかった以上、追手が掛けられるだろう。1日待つと言っていたが、それが守られるかは分からない。すでに兵士が動いているかもしれない。
ライアンが信頼できる人物でないことくらい、もう十分分かっている。それゆえその発言を鵜呑みになどできない。
(ベルンハルト……)
一瞬、帰れると思った。もうこんな怖い思いはしなくていいのだと安堵した。けれどまだ辛い現実は続いている。
(諦めちゃだめ……)
折れそうな心を何度も自分で励ます。諦めてしまえば、きっと好機を見逃してしまう。
きっとベルンハルトも諦めず追い掛けてきてくれる。それを信じて自分も戦わなくちゃいけない。
シルヴァーナはそう覚悟を決めると、流れる景色を睨み付けた。
◇◇◇
――3日後、シルヴァーナの願いも空しく、一行は王都へと到着した。
それまで通り越してきた中規模な町とは違い、王都は高い城壁に囲まれた本当に大きな街だった。石畳の上はしっかり雪が片付けられ、華やかに彩られた街並みは、他の町とはまったく違う雰囲気だった。
「どうだ、シルヴァーナ。我が国の王都は、ルカートよりもすごかろう」
「……そうですね。ルカートの王都よりも大きいと思います」
「そら、王宮が見えてきたぞ」
ライアンの言葉に視線を動かすと、道の向こうに白い巨大な尖塔が見えてきた。
「教会……?」
王宮だと言われたそれは、明らかに教会のように見えた。高く聳える尖塔の背後に広がるように、巨大な宮殿が見て取れる。
美しい白亜の教会と宮殿は、金の装飾が太陽の光に瞬いて、あまりにも荘厳だった。
「我が国は百年前まで神聖王国だったのだ。だから教会が王宮の前にある。今は王政ではあるが、常にラヴィネラ教は国教として国民の支えとなっている」
馬車が王宮に近付いていくと、その周囲を囲む高い塀が見えてくる。その塀の途中がレンガではなく、高いフェンスになっていることに気付いた。
「あれは……」
「あの場所は街の中心、大広場だな。あのフェンスから教会の正面が見えるのだ」
「中には入れないのですか?」
「教会に民は入れぬ」
「え……、では誰が入るのですか?」
「もちろん王族と貴族だ」
ライアンの答えにシルヴァーナは眉を顰めた。ルカートの中心にあるティエール教会は、国民の誰でも教会内で祈りを捧げることができる。王族が来る時などは、もちろん立ち入り禁止になるような時もあるが、基本は誰でも自由に入ることができるのだ。
ティエールの教えでは信徒に身分の違いはない。祈りは個人の心にあるもので、そこに身分や貧富は存在しないというのが基本の考えだ。
(ラヴィネラ教は光の神だから、同じような教義だと思っていたけど、随分違うみたい……)
高い塀に沿って馬車は走ると、まもなく巨大な門を潜った。開かれた鉄の門は分厚く、絶対に侵入者を許さない堅固な造りで、何人もの兵士に守られている。
門の中に入ると、煌びやかな宮殿が間近になった。そこへ向かう広い道には、美しい彫刻で作られた噴水が両脇にあり、冬であるにも関わらず色とりどりの花がその周囲を飾っている。
道を行く人たちはもちろん貴族らしく、華やかなドレスを着た女性たちが楽しげに歩いている。
門の内と外とではまるで流れている時間が違うような、別世界のような不思議な違和感を覚えた。
「どうだ? 塀の内側のすべての建物が王宮なのだ。ルカートの城など足元にも及ばぬ大きさだろう」
「そう、ですね……」
規模でいえばヴィルシュ王国の王宮の方が確かに大きいが、だからといってどちらが良いとか悪いということではないだろう。
シルヴァーナは仕方なく曖昧に返事をすると、ライアンは満足げに笑った。
そうしてついに馬車が停止した。
「お帰りなさいませ、殿下」
馬車のドアが開けられると、40代ほどの男性が頭を下げる。格好からして執事だろう男性はちらりとシルヴァーナを見ると、スッと目を細めた。
「殿下、このまま謁見の間へおいで下さい。陛下がお待ちでございます」
「そうか。シルヴァーナの枷を外せ」
馬車から降りたシルヴァーナが枷を外されると、ライアンは「付いてこい」と言って歩きだす。
周囲には騎士や兵士が数多くいて逃げる隙間などありそうもない。ライアンに従うのは嫌でたまらなかったが、シルヴァーナは小さく溜め息を吐いて歩きだした。
王宮の中は目が眩むほどの絢爛豪華な装飾で輝いていた。天井には巨大なシャンデリアが等間隔で吊るされ、廊下の隅々まで明るく照らしている。どこもかしこも金で装飾され、壁には隙間がないほどの絵画が飾られている。廊下の端に飾られた巨大な花瓶には、冬には咲かないはずの美しい花が活けられていて、甘い匂いが廊下を満たしている。
磨き上げられた大理石の床は、人の顔さえ映せそうなほど美しく、シルヴァーナは驚きのあまり口を大きく開いてしまった。
(ここはまるで別世界みたい……)
通り過ぎてきた村を思い出し、シルヴァーナは眉を顰める。ぼろぼろの服を身に纏った村人たち。その日食べるものさえないというほど困窮している姿はあまりにも哀れで、どうにか助けてあげたいと思った。
あの光景を見てしまっては、この素晴らしく華やかな王宮を手放しで賛美することはできそうにない。
長い廊下を進み、大きな扉の前でライアンが足を止めると、突然振り返り手を差し出した。その手に自分の手を重ねるのが嫌で固まっていると、強引に手を掴まれた。
「忘れるなよ。お前の態度一つで、大切な者が死ぬかもしれないのだぞ」
「……分かっております」
まだベルンハルトたちが捕まった様子はない。それでももし捕まった時、その命を助けられるのはきっと自分だけだ。だから今ライアンの不興を買うことは絶対にできない。
シルヴァーナは複雑な気持ちを押し殺し頷くと、ゆっくりと開かれる扉の奥へ視線を向けた。
「王太子殿下ー! 聖女シルヴァーナ様ー!」
広い謁見の間に声が響く。廊下よりもさらに美しく装飾された広間には、過剰にも思えるほどのシャンデリアが吊り下げられて、室内を明るく照らしている。
赤い絨毯が長く続き、その先の壇上に大きな玉座がある。そこに座る男性を見てシルヴァーナはつばをゴクリと飲み込んだ。
「陛下、ただいま戻りました」
「ああ、よく戻った。ライアンよ。その娘が聖女か?」
「はい。シルヴァーナ、挨拶を」
ライアンに促され、シルヴァーナは仕方なく膝を折る。
「シルヴァーナ・フェルザーと申します……。お目に掛かれて、恐悦至極に存じます……」
「うむ。そなたの帰国を皆待っておったぞ、聖女よ」
国王はライアンとよく似た銀髪で目の鋭い男性で、シルヴァーナを値踏みをするような目で見つめている。
シルヴァーナは怯んではだめだと両手を握り締めると、その目をまっすぐに見つめ返した。
「……陛下、わたくしはルカートの者です。どうか帰らせて下さい!」
「何を言ってる?」
「ヴィルシュ王国の聖女になることなどできません。夫の元へ帰して下さい!」
必死で訴えると、国王は怒るようなそぶりは見せず、少しだけ考えると口を開いた。
「聖女よ。そなたはヴィルシュの者だ。祖父もそなたの帰国を喜んでいるぞ」
「祖父……?」
国王はそう言って、階段の下に並ぶ人たちに視線を向けた。その中から一人の男性が歩み出た。
だいぶ白髪が混じった黒髪に茶色の瞳の男性は、60歳ほどの年齢で、優しい笑みを浮かべている。
「シルヴァーナ、よく帰ってきてくれた」
「あなたは……、お祖父様……?」
「ああ、そうだ。私はお前の祖父、ヒューゴ・エクランドだ」
その言葉に、シルヴァーナは戸惑った表情をヒューゴに向けたのだった。