第47話 ベルンハルトの苦悩
いくら走っても馬車の姿は見えず、ベルンハルトは仕方なく馬の足を止めた。これ以上一人で街道を進んだところでどうにもならないと判断し、後ろ髪を引かれる思いではあったが一度屋敷に戻ることにした。
屋敷に戻ってみると、乱れた髪のままドナートが出迎えてくれた。
「旦那様、奥様は……」
ベルンハルトが声もなく首を振ると、ドナートは沈痛な表情で俯く。
「私があの時しっかりしていれば……」
「お前のせいじゃない。俺が王太子の企みを見抜けなかったのがいけないんだ……」
「奥様はどこへ連れ去れたのでしょうか」
「普通に考えるならば、ヴィルシュだろうな……」
「そんな……。聖女である奥様を誘拐するなど、公になれば大問題です。そんなことをするでしょうか……」
ドナートの言葉も一理ある。だが実際にシルヴァーナは連れ去られているのだ。今はあれこれ考えるより追い掛けることが先決だ。
「義母上は?」
「どこにも怪我はありません。今はお部屋でお休みになられています」
「そうか……。ドナート、俺は西の砦に向かう。王太子の馬車は目立つ。隠密で動くことはできないだろう。だとしたら、堂々と国境を越えるはずだ」
「馬車を捨てることは考えられませんか? それならば森を抜ければヴィルシュに入れます」
「それはないと思う。王太子の性格を考えれば、こそこそ国境を越えるなんてプライドが許さないだろう」
「そうですね……。旦那様、顔に疲労が見えます。大丈夫ですか?」
「ああ……。家の者で動けそうな者はいるか?」
「2、3人はもう動けると思いますが」
「では街道の東を捜させてくれ」
「東ですか?」
「国内に留まる可能性も捨てきれないしな。隣村まで行って馬車が通り過ぎていないか聞いてきてほしい」
「分かりました」
今考え得る限りの手を打って、ベルンハルトはまた屋敷を出た。腰に剣を下げると馬に跨る。
「どうかお気を付けて」
「ああ、行ってくる」
ベルンハルトは気合を入れて頷くと、強く馬の腹を蹴り走り出した。
◇◇◇
メルロー村から西の国境を越える砦まで、どんなに早く馬を走らせても6時間は掛かる。ゆっくりとした馬車の速度ならば絶対に追いつけるはずだと、ベルンハルトはとにかく止まることなく走り続けた。
夜通し走り、まもなく朝日が昇ってくると、地面にはっきりと馬車の轍の跡が見て取れた。これがライアンの乗った馬車の轍かどうかは分からない。それでも微かな希望が見えたと、気持ちを奮い立たせる。
だがそれでも馬車の姿はなく、まもなく砦が見えだした。
「お願いだ! 開けてくれ!!」
頑丈な鉄の門の前で馬を止めると、見張り台の方へ顔を向け声を上げる。まだ早朝でもちろん門は開いておらず、見張り台から顔を出した兵士は、訝しむ顔をベルンハルトに向けた。
「まだ開門の時間ではない!」
「違うんだ! この砦の隊長に会わせてくれ!」
「隊長に? お前は何者だ?」
「俺はメルロー村を治めるフェルザーだ!」
「フェルザー? 男爵様ですか!?」
「ああ! そうだ!!」
焦る気持ちをどうにか抑えて答えると、少しして門が開かれ、騎士服を着た男性が現れた。
「フェルザー男爵、どうされました? こんな朝早くに」
「少し前に、ここをヴィルシュの王太子が通らなかったか?」
「王太子が? ええ、さきほど通りましたが」
騎士は表情も変えず頷く。ベルンハルトは間に合わなかったのかと悔しさに両手を握り締める。
「どのくらい前だ?」
「1時間ほど前でしょうか。急ぎで通りたいとのことで、一行を通しました」
「馬車の中を見たか!?」
「馬車? 王太子のですか? まさか」
騎士がそんなことする訳がないと首を振るのを見て、ベルンハルトは肩を落とした。
国境を越える場合、一般の人間ならば持ち物検査をされることがある。だがもちろん貴族やそれ以上の王族となれば、検査などされることはない。
ましてや他国の王太子の馬車の中を改めることなど絶対にないだろう。
(どうしたらいいんだ……)
このまま国境を越えて一人で追い掛けたところで、シルヴァーナを取り戻せるとは思えない。
ベルンハルトはヴィルシュ王国に行ったことがないので道も分からないし、奇跡的に馬車に追いついたとしても、ライアンは兵士に守られている。がむしゃらに戦ったところで、犬死には間違いないだろう。
冷静にならなければ、絶対にシルヴァーナを取り戻すことはできないと、焦りながらも必死に考える。
「あれ、ベルンハルトじゃないか?」
ふいに後ろから声を掛けられて振り返ると、そこには友人のノエル・スタイナーがいた。驚いた顔をして手を挙げたノエルは、騎乗したまま近付いてくる。
「ノエル……」
「ここで会うとはな。隊長、午前中にはライアン王太子が到着だろう? 失礼のないようお見送りせよと陛下から言付かってきた」
「え? 王太子殿下ならさきほどもう国境を越えましたが……」
「え!?」
騎士の少し戸惑ったような返答にノエルは声を上げた。そしてベルンハルトの顔を見ると、顔を顰める。
「……何かあったのか?」
馬を降りるノエルに視線を向けたまま、ベルンハルトは大きな溜め息を吐いた。
この数時間で起きたすべてを説明すると、ノエルは信じられないという顔で首を振った。
「王太子がシルヴァーナさんを連れ去っただなんて、どういうつもりなんだ!?」
「俺にも分からない。でもこうしている間にシルヴァーナはどんどん遠くに行ってしまっているんだ。……ノエル、頼みがある」
「なんだ?」
ノエルが偶然にもここに現れてくれたことは、神の導きに感じる。
二人ならばどうにかなるかもしれない。
「俺と一緒にシルヴァーナを追い掛けてほしい」
「ベルンハルト、お前……」
「お願いだ! 俺を、シルヴァーナを助けてくれ!!」
ベルンハルトは必至で頼んだが、ノエルの表情は硬いまま頷くことはなかった。
「ベルンハルト、妻を助けたい気持ちは分かる。だが、このまま追い掛けても、助けられる見込みはないに等しい」
「ノエル!」
「いいか!? 相手はヴィルシュの王太子だぞ!? お前一人が乗り込んだところでどうにもならない! それにこれは国際問題にもなり兼ねないんだ! 冷静になれ!!」
両肩を掴んで説得してくるノエルの顔を見て、ベルンハルトは顔を歪ませる。
(分かってる……、そんなこと……)
それでも居ても立っても居られないのだ。今ももしかしたらシルヴァーナが苦しい思いをしているかもしれない。恐怖で泣いているかもしれない。そう思うと、こんなところでじっとしてなどいられないのだ。
「ノエル……、俺はどうしたら……」
「ベルンハルト、一度王都に行こう」
「え……?」
「陛下に動いてもらおう。シルヴァーナさんが聖女として連れ去られたなら、国として抗議できる」
「だが……」
「時間のロスはあるがそれが一番いい。王太子も聖女に無体なことはしないだろう。とにかく陛下に指示を扇ごう」
「分かった……」
ノエルの的確な判断に、ベルンハルトは頷くしかなかった。
乗ってきた馬にまた乗ろうとすると、それをノエルが止め騎士に顔を向ける。
「隊長、足の速い馬を一頭連れてきてくれ。それからメルロー村に何人か送って警護をさせよ。話が聞ける者がいるようなら、調書を取って王都に報告をしろ。いいな?」
「は、はい!」
「ノエル、お前……」
「俺も行く。俺がいれば途中の軍営で、軍馬を乗り継げる。休みなく走れば、時間をかなり短縮できる」
そこまで頭が働いていなかったベルンハルトは、ノエルの顔を見て顔を歪ませた。
ノエルは苦笑して手を伸ばすと、ポンとベルンハルトの肩に手を置いた。
「そんな顔をするな。お前らしくない」
「またお前に助けてもらうことになって……」
「そうだな。これは貸しにしておいてやる」
そう言って笑ったノエルは、励ますようにベルンハルトの肩を強く叩き大きく頷いた。