第44話 ライアンの思惑
森で野盗に襲われた後、ベルンハルトはかなり警戒していたが、それ以上の襲撃はなく一行は順調に道を進み、夕方近くにはメルロー村に到着した。
すでに村にはライアンが来訪することは知らせていたからか、村の人たちは広場に集まって到着を待っていた。
「村長、突然すまない」
「いやいや、パトリック王子様に続き、まさかヴィルシュ王国の王太子様までいらっしゃるとは、こんな光栄なことはありません。皆には粗相のないように言い聞かせてありますので」
「そうか」
嬉しそうな村長とは違い、ベルンハルトは硬い表情のまま頷く。
シルヴァーナは先に家に寝かせてきた。今は回復を優先させなければと、ドナートとエルナに任せてきたが、そばを離れるのはとても心配だった。
確かにシルヴァーナは生き返ることができる。それでも傷を負うたびに、死の恐怖を味わっている。そんな怖ろしい体験をさせたい訳がないのに、自分の力が足りないばかりに、何度も辛い思いをさせてしまっている。
せめて目覚めた時にそばにいてやりたいと思うが、今はそうする訳にもいかず歯痒い思いだけが胸に広がった。
「随分小さな村だな」
馬車から降りてきたライアンが、村を見渡して肩を竦める。
「療養院はあの建物か?」
「はい。ご案内致します」
ぞろぞろとお付きの者や兵士を引き連れて歩くライアンを、村の人たちが遠巻きに見つめる中、あっという間に療養院に着くと中へ入った。
「ヴィルシュ王国ライアン王太子殿下のお越しだ。皆、跪け」
お付きの者が声高にそう言うと、仕事をしていたホリーが慌てて床に膝を突いた。ベッドに寝ていた病人も、どうにか起き上がろうとしている。
その様子にベルンハルトは顔を険しくしてライアンの前に立った。
「病人はお許し下さい!」
「ならん」
「殿下!」
ベルンハルトの顔を見ることもなくそう言ったライアンは、室内を見て回る。
「お前、ここで働いている者か」
「……は、はい……」
突然ライアンに声を掛けられたホリーが、どもりながらも返事をする。
「聖女はどのように病人を救っているのだ」
「シル、シルヴァーナ様は……、自ら育てた野菜を料理して、病人に食べさせております……」
「それで? すぐに治るのか?」
「は、はい。大抵の者は次の日には回復の兆しがはっきりと分かるほどになります」
「ふぅん……」
ライアンは持っている杖の先を撫でながら、少し考えるそぶりを見せる。
「この中で治療をしてもらった者はいるのか」
「わ、私が……」
ホリーの隣に膝を突いていた年老いた女性が、震える手を挙げる。
「お前はここの使用人ではないのか?」
「いいえ。聖女様がお出掛けになる前に治してもらったのですが、どうしてもお礼が言いたくて療養院のお手伝いをしてお帰りを待っているのです」
「お前はどんな病気だったのだ?」
「私は6年前の流行り病に掛かりまして……、辛うじて死にはしませんでしたが、それからまったく身体が弱くなってしまい、ここ1年は寝たきりのような状態でした」
「で、お前も一日で治ったのか?」
「はい。聖女様にスープを食べさせてもらったら、それはもう不思議なほどよく眠れて、次の日には身体が軽くなっておりました」
ライアンは表情を変えることはなかったが、小さく頷くと踵を返した。
「もう良い。行くぞ」
「で、殿下!」
さっさと歩きだしてしまうライアンを、ベルンハルトが慌てて追い掛ける。
「シルヴァーナはどうしている?」
「家で休んでおります。眠らなくては回復しませんので」
「眠れば、元通りになるのか?」
「はい」
ライアンはベルンハルトの返事に、ほんの少し口の端を上げる。その表情にベルンハルトは気付き眉を歪めた。
明らかにライアンはシルヴァーナに強い興味を持っている。それが胸をざわつかせる。
「殿下、あちらがわたくしの家にございます」
見えてきた屋敷を示しそう言うと、ライアンは鼻で笑った。
「なんとまぁ、小さい家だな。馬小屋よりも小さいのではないか?」
こんなことでいちいち腹を立てても仕方ないと、ベルンハルトは返事をせずに押し黙ると、後は黙々と歩いた。
屋敷の前には使用人たちとクレアが並んで、ライアンの到着を待っていた。
「ようこそ、お越し下さいました。ライアン王太子殿下」
「お前は?」
「ベルンハルトの義理の母でございます」
「シルヴァーナの実母か?」
「はい、そうでございます」
「そうか」
「どうぞ、中へ。お身体をお温め下さいませ」
クレアはまったく緊張したそぶりもなくライアンと話すと、室内へと促す。
さすがに伯爵夫人だけあって、こういうことには手慣れているのだろうと、ベルンハルトは少しだけ安堵した。
シルヴァーナが寝ている今、一人だけでライアンの相手をするのは苦労するだろうと思っていたのだ。
それからライアンは文句を言いつつも、ベルンハルトの屋敷でくつろいだ姿を見せた。
「道中で野盗に襲われたと聞きました。殿下にお怪我が無くてようございました」
「お前の娘は一度死んだがな」
「娘はティエール神の加護がございますゆえ、お気になさらず。殿下の安全が何よりでございます」
「わきまえておるな」
夕食の席でもクレアが積極的にライアンと言葉を交わしていたが、ライアンの冷酷な言葉にクレアが動じる様子はない。
娘の命よりもライアンの安全が上だというクレアの言葉は、もちろん本心からではないだろうが、言い放つ顔はまったく嘘を感じさせない。
「お食事はどうでしょうか。殿下のお好きなものを取り揃えたつもりですが」
「ふん……。さすがに我が国の者だな。ルカートの者よりもよほど話が分かる」
ライアンの感心したような言葉に、クレアはにこりと笑ってみせる。
(義母上は、ヴィルシュの王族の扱いをよく分かっているな……)
結婚する時、クレアがヴィルシュの貴族だったことを知って驚いた。シルヴァーナを助けるために偽の結婚証明書を作った時は、隣国だということで勝手にシルヴァーナの出身をヴィルシュ王国にしたのだが、偶然にもそれは遠からず嘘ではなかったということだ。
「お前はシルヴァーナとヴィルシュの話をしないのか?」
「そうですね……。あまり詳しい事は話しておりません」
「そうか……」
穏やかに話す二人を見て、ベルンハルトはなぜライアンがクレアの生まれのことを知っているのか疑問に思った。
(シルヴァーナのことを調べてきたのか……?)
ライアンは今回外交が目的でルカートに来ていて、そのついでに噂になっている聖女を見たいと言っているのかと思ったのだが、もしかしたら逆なのかもしれない。
本当はシルヴァーナを探りに来たとして、その目的が何なのかはまったく分からない。単なる興味本位なだけなのか、国として何か思惑があるのか、今のベルンハルトには知る由もない。
それから表向きは穏やかな夕食の時間が終わる頃、突然玄関ホールの扉を叩く音が室内に響いた。
「領主様! 領主様!! お助け下さい!!」
扉を叩く音と叫び声が食堂まで響いて、何事かとベルンハルトは立ち上がる。
バタバタと足音がして、すぐにドナートが入ってくると、慌てた様子で走り寄った。
「旦那様、大変です!」
「どうした!?」
「村が襲われております!」
「なんだと!?」
「野盗のような者たちが村で暴れていると知らせが!」
(野盗……、昼間の残党か……)
「ルカートは物騒な国だな。私の部下を貸してやる。収めてこい」
「……感謝致します、殿下」
ライアンは焦った様子もなくそう言うと、ワインを飲み干す。
その態度を不審に思ったが、今はそれに構っている暇はない。
「ドナート、ここは任せた。俺は村に行く」
「分かりました」
ベルンハルトは急いで屋敷を出ると、ライアンの部下たちと村に向かって走り出した。