第42話 野盗の襲撃
それから結局二人は7日間、王都で足止めを食らった。八日目の朝、ライアンの使者が現れて、今日出立すると突然言われた。
慌てて城に向かうと、すでにライアンが乗る馬車の周りで使用人たちが、慌ただしく準備をしている。
「おはようございます、殿下」
「ああ、来たな」
丁度外に出てきたライアンに挨拶をすると、ライアンは持っていた銀の杖の先を馬車に向ける。
「お前は私とこの馬車に乗れ」
「え? あ、いえ、家の馬車がありますので」
「二度言わせるな」
ライアンは冷たい声でそう言うと、さっさと馬車に乗り込んでしまう。
「ベルンハルト、どうしよう……」
困ってしまったシルヴァーナはベルンハルトの顔を見上げる。
ベルンハルトは眉間に深い皺を作って考えると、大きな溜め息を吐いた。
「仕方ない、殿下の命令に従おう」
「でも……」
あんな何を考えているかよく分からない人と、二人きりで馬車になんて乗りたくない。それにあの威圧的な態度が、どうしてもアシュトンを思い出させて、息苦しい気持ちになるのだ。
「気持ちは分かるが、断るのも難しいだろう。俺がすぐ隣を馬で走るから、何かあればすぐに声を掛けてくれ」
「馬で? 大変じゃない?」
「そのくらい大丈夫さ。カーテンを開けておけば俺の顔も見えるし、それなら安心だろ?」
ベルンハルトの表情を見れば本当は断りたいと思っていることくらい分かる。それでも従わなくてはならないのは、相手が隣国の王子だからに他ならない。ここで機嫌を損ねてしまえば、国同士の問題にもなり兼ねない。
シルヴァーナもそれは理解しているから、それ以上わがままを言うことはできなかった。
「分かったわ……」
沈んだ声で返事をすると、シルヴァーナは重い足取りでライアンの乗る馬車に向かった。
馬車に乗り込むシルヴァーナに、ライアンは目を細めてシルヴァーナに視線を送る。
「村まではどのくらいで着く?」
「3日ほどです」
「長旅だな。お前とはゆっくり話せそうだ」
ライアンの言葉にシルヴァーナは無理に笑って「そうですね」と答えると、ほどなく馬車は走り出した。
◇◇◇
窓の外を見ると、ベルンハルトが馬車のすぐ横を馬で走ってくれている。姿が見える位置にいてくれて、シルヴァーナは少しだけ緊張が解けて小さく息を吐いた。
「ルカートの城下町はなかなかの賑わいだな」
「……ヴィルシュ王国の王都は、ルカートよりも大きな街だと聞いたことがあります」
「そうだな。街の広さでいえば我が国の方が大きいな」
思いの外穏やかに話し出したライアンにホッとし返答する。ライアンは窓の外を見ていた視線を戻し、シルヴァーナを見た。
「シルヴァーナ、聖女としての力をなぜ教会で使わない」
前に一度質問されて答えなかったことをもう一度聞かれ、シルヴァーナはよくよく考えてから口を開いた。
「わたくしの力は少し特殊で……」
「特殊?」
「はい……。わたくしが育てた野菜を、わたくし自身が料理をして食べてもらうことで、病人を癒すことができるのです。教会にいて祈りを捧げるだけではだめなのです」
「お前が野菜を育てているのか?」
「はい。メルロー村でのわたくしの一番の仕事は、農作業です」
そう答えると、ライアンは初めてはっきりと表情を変えた。驚いたように目を開いた後、くつくつと笑いだす。
「聖女がのら仕事とは……、面白いな」
ひとしきり笑ったライアンは、頬を緩めたままシルヴァーナに視線を戻した。
「お前に関して、もう一つ噂を聞いた」
「……なんでございましょう」
「お前が不死だという噂だ」
ライアンの言葉に、シルヴァーナは思わず視線を逸らした。
なぜそのことを知っているのかと動揺してしまい、なんと答えればいいのか思い付かない。
「……噂で、ございます。そのような……、夢物語のようなこと……」
あやふやにそう答えると、ライアンはスッと目を細めシルヴァーナを探るように見つめる。
「夢物語か……。それにしても聖女というのはもっと近寄りがたい女かと思ったが、お前はなかなか人当たりがいいな」
「……お褒め頂き光栄です」
上手く話を逸らせたのか、あまり興味がなかったのか、ライアンは話を終わらせると、それからは当たり障りのない話をした。
道中は戸惑うような質問もされたが、どうにか上手く返事をし2日が過ぎた。3日目になると、風景は代わり映えのしない森になり、ライアンは目を閉じて眠っていた。
(ふう……、やっとここまで来たわ……)
この森を越えるともうすぐメルロー村だ。この最悪に居心地の悪い旅も、ようやく終わりを迎える。
ライアンと色々会話をしたが、怒りを買うようなこともなく、どうやら役目を終えられそうで安堵の息が漏れる。
ライアンをちらりと見ると、良く寝ていて起きそうにない。自分も少しだけ仮眠を取ろうかと目を閉じかけた時、前方で男性の怒鳴り声が聞こえた。
(なに……?)
空耳かと思ったが、確かに男性が声を上げている。思わず窓に顔を寄せると、ベルンハルトと目が合った。
「シルヴァーナ!」
「何事だ?」
いつの間に起きていたのか、ライアンが静かな声で訊ねる。ベルンハルトは険しい表情のまま声を上げた。
「野盗です! 前方の兵士たちがすでに交戦しております!」
「野盗だと?」
(野盗ですって!? こんなところで!?)
この街道は何度か通ったことがあるが、一度もそんな襲撃を受けたことはない。野盗の噂なども聞いたことがなかったシルヴァーナは信じらなかった。
「お前たちでどうにかせよ」
冷静にそう指示を出したライアンは、持っていた杖で天井を叩く。
「御者、速度を上げよ」
そう言った途端、馬車の速度が上がる。
「ベルンハルト!!」
シルヴァーナが窓から外を見ると、剣を引き抜くベルンハルトが見えたが、あっという間に姿は見えなくなる。
確かに複数の兵士と野盗らしき者たちが戦っている姿は見えたが、馬車は止まることなく走り続けてどうなっているのかまったく分からない。
シルヴァーナは恐怖と焦りでライアンに視線を送るが、ライアンは冷静そのもので、まったく動揺していないように見えた。
「恐ろしくはないのですか?」
「我が国の兵士が、野盗などに負ける訳がない」
ライアンは自信満々で答える。その悠然とした姿に少しだけ大丈夫かもしれないと思えたが、それでもベルンハルトの身が心配で、両手を合わせて無事を祈った。
馬車はガラガラと激しい音を立てて走り続ける。だが突然、激しい衝撃と共に急停止した。
「ど、どうしたんでしょう……」
「ふむ……。シルヴァーナ、外の様子を見てまいれ」
「わ、わたくし、ですか!?」
「二度言わせるなと言ったはずだ」
静かに言われて、シルヴァーナは開いた口を閉じるしかなかった。窓の外はただ森の景色だけで、野盗の姿は見えない。
「あの! どうされました!? 御者の方! 何かあったのですか!?」
外に出るのが怖くて、馬車の中から御者に声を掛けるが返事はこない。
ちらりとライアンを見ると、冷えた眼差しから「早くしろ」と無言の圧力を感じ、シルヴァーナは仕方なくドアを開けた。
ゆっくりと馬車を降り御者に声を掛けようとして、息を飲み込む。
「だ、大丈夫ですか!?」
御者は手綱を持ったまま座面に倒れ込んでいる。慌ててそばに寄り声を掛けるが、ピクリとも動かない。
シルヴァーナは御者台に乗り上がると、御者の体を見た。そうしてその胸に矢が刺さっているのを見つけて目を見開いた。
「矢が!?」
どこかから弓で狙われているのだと気付き、慌てて御者台を降りたシルヴァーナの耳元を、ヒュッと何かが通り過ぎる。
馬車の壁面に突き刺さった矢を見て、シルヴァーナは血の気が引いた。
「殿下! 野盗が!!」
ここも危険だとライアンに知らせようとした瞬間、ドンと背中に衝撃が走る。
「うっ……」
膝から力が抜けて前のめりに倒れる。
歪む視界の中で、ライアンが馬車から出てくるのが見えた。
「いけません……、弓で……狙われて……っ……」
それ以上声を出すことができず、シルヴァーナは重い目蓋を閉じてしまうと意識を手放した。