第41話 隣国から来た王子
次の日、シルヴァーナは久しぶりに聖女のローブに袖を通した。できれば着たくなかったが、聖女として会ってほしいと教会側からも言われてしまい、仕方なく着ることになった。
美しい白いローブに着替えたシルヴァーナが部屋に戻ると、待っていたベルンハルトはその姿を見て目を見開いた。
「本当に、聖女なんだな……」
「なぁに、いまさら……。信じていなかったの?」
「そういう訳じゃないが……」
ソファに座るベルンハルトのそばまで歩み寄ると、照れたような表情を見下ろし、シルヴァーナは苦笑した。
「この格好だと別人のようよね」
「自分の妻が、国の聖女だということを改めて思い知ったよ」
「あんまり嬉しくないけど」
「あ、いや、すまない……」
慌てて謝るベルンハルトに、シルヴァーナは笑顔で首を振る。
「いいわ。それより、まだ時間があるならお茶でも飲みましょうか」
シルヴァーナがそう提案した時、ドアからノックの音が響いた。
「聖女様、フェルザー男爵様。お時間ですので、お越し下さいませ」
呼び出しの声に二人は顔を見合わせると、ベルンハルトがゆっくりと立ち上がる。
「行こうか、シルヴァーナ」
「ええ」
手を差し出してそう言うベルンハルトに、シルヴァーナは気合を入れて返事をし、その手をギュッと握った。
◇◇◇
謁見の大広間に入ると、すでに集まっていた貴族たちがシルヴァーナの方を見て驚いた表情になった。
「聖女様! 城にいらっしゃると聞いて楽しみにしておりました!」
「……ごきげんよう、皆様」
「引退されて西の村におられると聞きましたが、また王都に戻って来られることはないのですか?」
「それは……」
なんと答えていいか分からず困ってしまい、ベルンハルトに視線を投げると、ベルンハルトが自然に間に入ってくれた。
「シルヴァーナは今は静かに暮らしておりますので、申し訳ありませんが公にはもう活動をすることはありません」
「なにやら村で病人を治していると聞きましたが」
「ええ。できる範囲で人々を救っていきたいというのがシルヴァーナの願いでして」
ベルンハルトが当たり障りのない答えで上手く質問をかわしてくれる。それにホッとしていると、正面の扉が開いて国王と王妃、そしてパトリック王子が入ってきた。
「陛下、王妃様、お久しぶりにございます」
「シルヴァーナ、フェルザー男爵、よく来てくれた」
「後でゆっくりお話をしましょうね、シルヴァーナ」
「はい、王妃様」
二人で挨拶をすると、国王は穏やかな声で答え玉座に座る。王妃も嬉しそうにシルヴァーナに声を掛けると、こちらへと段の上へと手招きされた。
恐縮に思いながらもシルヴァーナとベルンハルトが玉座の横に控えると、扉の横に立つ騎士が高らかな声を上げた。
「ヴィルシュ王国、ライアン王太子殿下ー!」
扉が開かれると、全員がそちらに注目する。シルヴァーナもどんな人が入ってくるのか、少しだけわくわくしながら目を向けると、背の高い男性がゆっくりと近付いてきた。
遠目でも分かるほど長く美しい銀髪がまず目を引く。まっすぐにこちらに向ける切れ長の目は怜悧で、硬い表情からもあまり優しそうな雰囲気は感じない。そうして玉座の前で足を止めた王太子は、笑顔一つ浮かべずに軽く頭を下げた。
「ヴィルシュ王国王太子、ライアン・ヴィルシュにございます。お目に掛かれて光栄です」
「よくお越し下さった、ライアン王太子。ヴィルシュ王国の国王とは随分長く会っていないが、息災だろうか?」
「はい、陛下。風邪一つひかず毎日公務に励んでおります。今回の外遊も国事が詰まっていて私が代理で参りましたが、ぎりぎりまで自分で行くつもりでしたから」
「そうか。精力的な方だとは思っていたが、お元気な様子で良かった」
国王は笑ってそう言うと、ライアンもほんの少しだけ口の端を上げた。女性たちが浮き足立つような整った顔をしているライアンだが、その笑い顔を見てシルヴァーナは、なんだか心からは笑っているようには思えなかった。
「そちらの者が、聖女でしょうか」
挨拶も早々に視線を向けられて、シルヴァーナはドキッとした。謁見の終わりの方で挨拶をするのかと思っていたのに、これではまるでライアンはシルヴァーナに会いに来たようだ。
「……ああ、そうだ。シルヴァーナ、ご挨拶を」
「は、はい……。お会いできて恐悦至極に存じます、殿下。わたくしはシルヴァーナ・フェルザーと申します」
「シルヴァーナか。此度はそなたに会えるのを楽しみに来たのだ」
「ありがたきお言葉、嬉しく思います……」
ライアンはシルヴァーナをじっと見つめそう言うと、ちらりとベルンハルトを見た。
「確かつい先頃、結婚したとか」
「ライアン殿下にご挨拶を申し上げます。ベルンハルト・フェルザーです」
「ふぅん……、そなたが聖女の結婚相手か……。アシュトンから奪った割には、平凡な男だな」
ベルンハルトが挨拶をする姿を見つめるライアンの目はどこか蔑むような様子で、言葉にも棘があるように感じる。
明らかに友好的な態度ではないことに、シルヴァーナは一抹の不安をを覚えた。
「陛下、アシュトンが何やらしでかしたと噂で聞きましたが、今はどちらに?」
ライアンの言葉に、大広間はざわめきが起こった。どう考えてもこの発言はわざとだろう。国王にこんな質問を公の場でぶつけるなんて、意地が悪すぎる。
シルヴァーナは妙な緊張感が漂う中、ハラハラとした気持ちで国王に視線を向ける。国王はじっとライアンを見た後、にこやかに微笑んで頷いた。
「その話はこの場では相応しくなかろう。詳しくはまた後で。今日はライアン王太子の来訪を歓迎して、盛大な宴を予定している。それまでゆっくりと旅の疲れを癒してくれ」
「……ありがとうございます、陛下」
そこで初めてライアンはにっこりと笑みを作った。だがその笑顔を見ても、シルヴァーナはもはや胡散臭いとしか思えなかった。
◇◇◇
夜になって華やかな舞踏会が催された。広間に入りきらないほどの貴族たちが出席し、次々にライアンに挨拶をした。女性たちは浮き足立っていたが、ライアンにはすでに妃がいるということを知ると、皆溜め息を吐いて残念がっていた。
一筋縄ではいかないような性格だろうライアンが、また何かを言い出すのではないかとシルヴァーナは心配していたが、宴は何事もなく終わりを迎えようとしている。
ベルンハルトと二人、未婚の女性たちが輪になって踊っているのを見ていると、ライアンのお付きの男性が近付いてきた。
「聖女様、ライアン殿下がお呼びです。お越し下さい」
声を掛けられて、シルヴァーナは不安な顔をベルンハルトに向ける。
「私も一緒でいいか?」
「もちろんです。フェルザー男爵もどうぞ」
その答えにホッとすると二人でライアンの元へ向かう。ライアンは貴賓席で国王と談笑している最中だった。
「お呼びでしょうか、殿下」
「ああ、来たな。お前と話したかったのだ」
ライアンは少しだけ柔和な声でそう言うと手招きする。シルヴァーナは戸惑いながら数歩だけ近付くと、足を止めた。
「聖女の噂は我が国にもかねがね届いている。何やら病人を治療する施設を運営しているらしいな」
「……お耳に入れるほどのものでもない、小さな建物でございます」
「奇跡の力を使って治療していると聞く。なぜ歴代の聖女と同じように教会でやらないのだ?」
「それは……」
シルヴァーナはそこで一度言葉を途切らせると、ベルンハルトの顔を見た。
「わたくしは聖女の任を退きました。夫に出会い共に生きることを望んだのです」
「既婚であっても聖女は聖女だろう。奇跡を起こせる力を持っていながら、なぜ教会から遠ざろうとする」
どこまでライアンは知っているのか、それとも詳しい事情は知らず、ただ興味本位で質問しているのか判然とせず、シルヴァーナは口ごもった。
「ライアン王太子、シルヴァーナの生き方は王家も認めている。あまり詳しくは言えないが、これは教会も納得していることなのだ」
「教会も……。まぁ、いい。また話を聞く機会はある」
国王が助け舟を出してくれて、シルヴァーナはホッとしたが、ライアンの言葉に引っ掛かり内心で首を傾げる。
(また……? どういうこと?)
ライアンの言葉を怪訝に思っていると、ライアンはシルヴァーナの後ろに立っていたベルンハルトに視線を移した。
「フェルザー男爵。お前の治めている村は我が国に近いそうだな」
「はい。よくご存じで」
「聖女の療養院を私も見てみたい」
「え!? それは……」
突然のライアンの申し出に、さすがのベルンハルトも驚いてすぐに答えることはできなかった。
「見られて困るものでもあるまい。嫌なのか?」
「いえ、そうではなく……。本当に小さく何もない村ですので、おもてなしもできず失礼かと……」
「そんなことを気にする必要はない。5日ほど王都で会談やら何やらがあるが、それが終わり次第、お前の村に案内してくれ」
「……分かりました」
さすがに断ることもできず、ベルンハルトは低く返事をする。
満足げに頷いたライアンの顔を見て、シルヴァーナはライアンの思惑が一体何なのか不安に思うのだった。