第36話 私のことは、私が決める
その日の夜、タウンハウスに戻ったシルヴァーナは、自分の部屋に戻るとイスに座り、国王に言った自分の言葉を何度も思い返していた。
(こんなにあっさり教会を出られるなんて思わなかったな……)
アシュトンのことがあって、二度と教会には戻りたくないと思っていた時もあったが、すべてが解決してもなお、自分は教会へ戻る事を選択しなかった。
(リード教皇様に叱られるかな……)
きっとリード教皇は、教会の聖女として生涯尽くしてほしいと願っていただろう。それを裏切るような形で去るのは、少しだけ申し訳ないと思う。
でも国王にはっきりと告げた時に、もう心は定まってしまった。何をしてもこの決意は揺るがないだろう。
シルヴァーナは自分の考えをなぞるように、同じことを繰り返し考えていると、ドアからノックの音が聞こえた。
「シルヴァーナ、今いいかい?」
ベルンハルトの声に、ハッとして顔を上げたシルヴァーナは「ええ」と返事をする。
すぐにドアが開くと、神妙な表情のベルンハルトが入ってきた。
「少し、話したい」
「どうしたの?」
ベルンハルトはゆっくりと近付くと、正面の椅子に座る。
少しだけ間が空いて、どうしたのかしらと思っていると、ベルンハルトが口を開いた。
「……シルヴァーナ、教会に戻らなくていいのか?」
「ベルンハルト……」
「その力がティエール神の御力じゃないとしても、奇跡の力であることは確かだ。君は胸を張って教会に戻り、聖女になれる。今まで苦しい思いで過ごしてきたんだ、報われてもいいと俺は思う」
ベルンハルトの真摯な言葉に、シルヴァーナは静かに耳を傾ける。
「王都の教会でも野菜は作れるだろう。それを料理すれば癒しの力はきっと使えるはずだ。もう偽物だと言われることはないんだ」
「そうね。でもそれじゃあ、ベルンハルトと一緒にいられないわ」
「シルヴァーナ……」
シルヴァーナは困った表情で眉を歪める。
「あなたと離れ離れになるくらいなら、聖女なんてならなくていい」
「本当に、……いいのかい?」
「ええ……」
笑顔で頷くと、ベルンハルトはバッと立ち上がってシルヴァーナを抱き締めた。
「すまない! 君に決めさせてしまって……。本来なら俺がもっとしっかりしなくちゃいけないのに……」
「私のことだもの。私が決めるわ」
シルヴァーナはそう言うと、ベルンハルトはゆっくりとその場で片膝をついた。右手をそっと取られて、優しく握られる。
「シルヴァーナ。田舎の小さな村の領主で、出世も望めないような貧乏男爵の俺だが、今度こそ本当の妻になってくれるか?」
「はい……」
目を潤ませたシルヴァーナは、声にならない声で返事をする。ベルンハルトもまた少しだけ目を潤ませて頷くと、ゆっくりと顔を近付けてきた。
そうしてそっと目を閉じると、シルヴァーナはこれまでで一番幸せなキスをした。
◇◇◇
次の日、二人は母と兄に結婚の挨拶をするためにタウンハウスを訪れた。
ベルンハルトはかなり緊張していたため、事件の結末はシルヴァーナから説明した。
「王太子が幽閉か……。重い処分になったな」
「お兄様はそうならないと思っていたの?」
「ああ。どんなぼんくらでも王太子は王太子だからな。数年の謹慎とか、そんなもので済んでしまうだろうと思っていたよ」
「国のためにはこれで良かったのかもしれないわよ。弟のパトリック王子はとても評判が良いもの。まだ12歳と若いけれど、希望が持てるわ」
母は紅茶を飲みながらそう言うと、シルヴァーナに目を合わせた。
「それで、二人はいつこちらを発つの?」
「え!? 何を言っているんです、母上。シルヴァーナは一緒に家に戻るんじゃないんですか?」
「あら、だって教会に戻らないって、そういうことではないの?」
「それはどういう意味です!?」
母の言葉に動揺を隠せないエラルドだったが、それ以上に動揺したのはベルンハルトだった。
突然バッと立ち上がると、勢いよく頭を下げた。
「夫人、伯爵! シルヴァーナと結婚させて下さい!!」
「だめだ!!」
ベルンハルトが言葉を言い切らぬ内に、エラルドは叫んだ。慌てて立ち上がると、ベルンハルトの前に立ちはだかる。
シルヴァーナはエラルドの反応に驚き、同じように立ち上がった。
「お兄様、聞いて!」
「だめだ!! シルヴァーナをこんな田舎男爵にやる訳にはいかない!!」
「お兄様、そんな言い方……」
エラルドは眉を吊り上げて、ベルンハルトを睨み付ける。
「シルヴァーナは王太子妃になるかもしれなかったんだぞ!? あんなバカ王子の妻にならなくて良かったが、それならそれでもっと良い結婚相手を私が探す! メルロー村なんて田舎に住まわせるなんてできない!!」
「確かに私の領地は小さいですが、シルヴァーナと二人でしっかり経営をして、必ず発展させます。シルヴァーナもそれは了承してくれていて」
「うるさい! シルヴァーナに働かせるのか!? 絶対ダメだ!! シルヴァーナはこれから幸せにならなくちゃいけないんだ!!」
「お兄様、私、今とっても幸せよ。これからもっと幸せになるわ」
「シルヴァーナ、お前はこんな男が良いのか? もっと高い地位で良い男はたくさんいる。兄さんが探してやるから。な?」
優しくそう言うエラルドに、シルヴァーナは困ってしまい眉を下げた。どうしようかと母を見ると、母は穏やかな顔で微笑んでいた。
「エラルド、それくらいにしておきなさい」
静かだけれどしっかりとした口調に、エラルドは身体を正すと母に向き直る。
「ですが、母上……」
「シルヴァーナが自分で決めたことなら、わたくしは反対しないわ。エラルドもそうよね?」
「それは、もちろんですが……」
「幸せならそれが一番よ。身分なんて関係ないわ。愛し合っているなら、結婚するべきよ」
「お母様……」
母はシルヴァーナからベルンハルトに視線を移すと手招きする。ベルンハルトはおずおずと母の前に膝を突くと、その手を母は優しく握った。
「シルヴァーナをお願いしますね」
「はい、夫人……」
「今日からあなたも、わたくしの息子ね」
その優しい言葉にベルンハルトの目が潤んだ。シルヴァーナはその嬉しそうな横顔を見つめて微笑むと、隣に並んで母の手を握った。
「お母様、今まで育てて下さってありがとうございました。私、幸せになるからね……」
「シルヴァーナ……」
その様子にエラルドは小さく溜め息を吐くと、ポンとシルヴァーナの肩に手を置いた。
「母上が認めたのならしょうがない。でも、いつでも帰ってきていいからな、シルヴァーナ」
「お兄様ったら……」
シルヴァーナが満面の笑みを向けると、エラルドは肩を竦めて苦笑したのだった。
◇◇◇
数日後――。
メルロー村に戻ると、村人たちが馬車を取り囲んで口々にシルヴァーナの名前を呼んでいる。
「みんな!」
馬車の扉を開けると、わっと歓声が上がる。
「シェーナ様! 無事だったんだね!!」
人垣を割ってシルヴァーナを抱き締めたのは、キャシーだった。涙を流して声を上げて泣いている。
「ずっと心配してたんだよ!」
「キャシー……、皆も、心配掛けてごめんね」
シルヴァーナを取り囲んだ村人たちは、皆口々に「良かった、良かった」と涙を流している。
そうしてしばらくしてやっと落ち着いてくると、キャシーが腕を緩めた。
「シェーナ様……、じゃなかったね。シルヴァーナ様の事情は、村に来たオーエン伯爵様から聞いたんだよ」
「お兄様から?」
「突然やって来て、『シルヴァーナが作った野菜を出せ!!』ってすごい剣幕でね。最初は変な人が来ちまったって、村の男たちが捕まえて納屋に押し込めちまったのさ。あたしが食事を持って行って、その時、話を聞いたんだ」
「そうだったの……」
エラルドが帰ってくるのが遅くなったのはそういうことだったのかと、シルヴァーナはベルンハルトと目を合わせる。
「皆、ずっと嘘を吐いていてごめんなさい。私はシルヴァーナ・オーエン。王都で聖女として生きていた者です」
「聖女様か……。だから不思議な力があるんだね」
「領主様、お二人で帰って来られたということは、もう危ないことはないんですね?」
「ああ。国王陛下がすべて収めて下さった。もうシルヴァーナに危険なことはない」
村長に大きく頷いて見せたベルンハルトに、村人たちが胸を撫で下ろす。
「え、でも聖女様なら、シルヴァーナ様は王都にいなくてよろしいんですか?」
「私は、ここにいるわ。陛下の許可も貰ったの」
「ここに? え!? ということは……」
「ベルンハルトと結婚するわ」
シルヴァーナははっきりとそう告げると、わっと歓声が上がった。
「なんてこった! いつか良い奥方をと思っていたが、まさか聖女様が来て下さるなんて!!」
「ああ、シルヴァーナ様! 本当にお嫁に来てくれるなんて! こんな田舎でいいのかい!?」
「キャシー、私、皆のことも大好きよ。この村で一緒に暮らしていきたいの」
キャシーはぼろぼろと涙を流して何度も大きく頷いている。男性たちはベルンハルトを囲んで「よかった、よかった」と笑顔で言い合っている。
村の人たちの嬉しそうな笑顔を見て、帰ってきて本当に良かったとシルヴァーナは心の底から思ったのだった。
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