第35話 家に帰ります
馬車でタウンハウスに戻った二人が扉を開けると、奥からドナートとエルナが走り出てきた。
「旦那様!」
「シルヴァーナ様!」
いつも冷静なドナートが驚いた顔をして近付いてくる。エルナは顔をくしゃくしゃにして泣きながら走り寄ってきた。
「ご無事でしたか!」
「シルヴァーナ様、良かった……。ずっと帰って来られないから、もうだめかと……」
「ごめんなさい、エルナ。心配掛けてしまって……」
エルナの手を取って謝ると、エルナはぶんぶんと首を振る。
「城に問い合わせても何も返答が得られず、どうなったかと心配しておりました。帰って来られたということは、どうにかなったのですか?」
「ああ。とりあえずお茶を入れてくれるか? シルヴァーナを休ませてあげたい」
「それは失礼致しました。すぐにご用意します。エルナ」
「あ、はい!」
それからリビングに移ると、エルナの入れてくれたお茶を飲みながら、二人にこれまでの経緯を説明した。
「……大変な思いをされたのですね。お手伝いできず申し訳ありませんでした」
「謝る必要はないさ。どうにもできない状況だったんだ」
「シルヴァーナ様は体調は大丈夫なのですか?」
「私は全然平気よ。色々あって少し疲れているけど、怪我とかはしていないから」
「そうですか。それは良かったです」
シルヴァーナが答えると、ドナートは安堵した顔をして微かに笑った。珍しい表情にシルヴァーナは驚いたが、すぐに表情を戻しベルンハルトに視線を向ける。
「旦那様、それでこれからどうなるのです?」
「とりあえず城から知らせが届くまでは、王都に留まっていることを命じられた」
「ではシルヴァーナ様もこちらに?」
シルヴァーナが笑顔で頷くと、エルナは嬉しそうに笑顔を返した。
「とにかく知らせが来るまではゆっくりしよう。な、シルヴァーナ」
「ええ、そうね。ベルンハルト」
手を握ってそう言うベルンハルトに、シルヴァーナが顔を向けて頷く。その様子を見たエルナが何かに気付いたように目を大きく開いた。
「城にいる間に、なんだか親密になられたようですね」
「え!? あ……、そ、そうかしら?」
シルヴァーナが少し頬を赤くして言葉を濁すと、ベルンハルトがわざとらしく咳払いをする。
エルナはドナートと目を合わせると、ふふっと笑って立ち上がった。
「そうとなれば、夕食の支度をして参ります」
「エルナ、シルヴァーナは城ではずっと食欲がなかったんだ。少し消化の良いものを作ってくれ」
「分かりました。お任せ下さい」
笑顔で頷いたエルナが部屋を出て行き、ドナートもイスから立ち上がる。
「お部屋はいつ戻られてもいいように整えておきましたが、どういたしますか?」
「どう、とは?」
ドナートの質問の意味が分からなかったのだろう、ベルンハルトが首を傾げる。
「寝室を同じにするのでしたら、そのように致しますが」
「な!? 何を言っているんだ、お前は!」
しれっとした表情のまま言ったドナートに、ベルンハルトが声を裏返らせて言い返す。
その焦った顔が面白くて、ついシルヴァーナは笑ってしまった。
「け、結婚もしていないのに、そ、そんな! 馬鹿者!!」
「おや? 確かシルヴァーナ様は旦那様の奥方様であられたと思うのですが」
「あれは! シルヴァーナを守るために……、もういい! お前は下がっていろ!」
支離滅裂なことを口にした後、話を無理矢理終わらせると、ドナートは苦笑して頷いた。
「では、何かあればお呼び下さい」
そう言って頭を下げ部屋から出て行く。その背中を見送ったシルヴァーナは、ふふっと笑ってベルンハルトを見た。
「二人の顔を見て、やっと緊張が解けた気がするわ」
「ドナートが失礼なことを言ってすまない……」
「あれはドナートの愛情表現よ。ベルンハルトが帰ってきて嬉しいって言っているんでしょ」
「愛情? あれが? 俺をからかって面白がっているようにしか思えないが……」
困惑げに首を捻るベルンハルトに、シルヴァーナはクスクスと笑いを漏らす。すると、ベルンハルトも釣られるように笑いだし、二人は穏やかに目を合わせた。
◇◇◇
次の日、シルヴァーナとベルンハルトは、同じ地区にあるシルヴァーナの実家が保有するタウンハウスを訪れた。
出迎えたのは兄のエラルドで、シルヴァーナの顔を見るなり、その身体を抱き締めた。
「シルヴァーナ! 良かった、無事だったんだな!」
「お兄様! 心配掛けてごめんなさい。お母様は!? お母様は大丈夫!?」
「母上は大丈夫だ。部屋で休んでいるが、変わりは無い」
「そう……、良かった……」
エラルドの言葉にシルヴァーナが安堵すると、ベルンハルトが優しく肩を叩いた。
「伯爵、この度は本当にありがとうございました。伯爵のお陰ですべて上手くいきました」
「そのようだな。詳細を聞く前に、母上に顔を見せてやってくれ。ずっと心配していた」
「分かりました」
3人で2階の部屋に入ると、車椅子に座ったまま窓の外を見ていた母がパッと振り返った。
「お母様!!」
「シルヴァーナ!!」
シルヴァーナは母に駆け寄り抱きつく。笑顔で挨拶しようと思っていたのに、勝手に涙が溢れ止まらなかった。
母も涙を流しながら、シルヴァーナの背中を優しく撫でてくれる。
「無事だったのね、良かったわ……。あの後どうなったのか、とても心配していたのよ」
「ごめんなさい、お母様……」
「顔を良く見せてちょうだい。本当に私のシルヴァーナよね?」
「はい、はい……、お母様……」
両頬に手を添えられてシルヴァーナが顔を上げると、自分とまったく同じ緑色の瞳が見つめてくる。その瞳を見つめ返して、シルヴァーナは微笑んだ。
「お母様……」
「死んだなんてやっぱり嘘だったのね……。あなたにはティエール神の加護があるんですもの、絶対違うと信じていたわ」
母の言葉にシルヴァーナは頷くことができず、ベルンハルトに視線を送った。
ベルンハルトは小さく頷くと、シルヴァーナに手を差し出し立ち上がらせる。
「夫人、初めまして。ベルンハルト・フェルザーと申します」
「エラルドから聞いていますよ。娘を守ってくれたとか。何とお礼を言っていいか……。こうして娘とまた会えたのは、あなたのお陰です。ありがとうございました」
「いいえ……。私は偶然シルヴァーナに出会っただけですから」
「良い人に出会えたようね。シルヴァーナ」
ベルンハルトが首を振ると、母は穏やかに微笑みシルヴァーナに優しく言った。
「母上、事の詳細を聞こうと思うのですが、母上もお聞きになりますか?」
「もちろんよ」
それから昨日と同じようにベルンハルトが詳細を話すと、二人は驚きを隠せないようだった。
「王太子殿下がそんなこと……、信じられないわ……」
「コンスタンス嬢が、まさか聖女を騙っていたとは……。なんと大それた嘘を……」
「今、恐らく城ではそれぞれ尋問が続いているでしょう。すべて解明するのはもう少し時間が掛かると思います」
「そうか……。だが国王陛下が動いてくれているなら安心だ。もうシルヴァーナに危険なことはないな?」
「はい。大丈夫です」
エラルドは安堵の息を吐くと、大きく頷く。
母はまだ信じられないのか、表情を曇らせたままシルヴァーナを見た。
「シルヴァーナ、本当に何度も生き返ったの?」
「そのようです……。自分ではあまり自覚していないのですが……」
「不思議ね……。やはりあなたは聖女なのね。リード教皇様が言った通りだわ」
「リード教皇様が? 何を言っていたんです?」
母は少し考えると、じっとシルヴァーナを見て話した。
「リード教皇様はあなたに不思議な力を感じると言っていたの。それはティエール神の御力とはまた違うような気がすると」
「違う力?」
「そう。あなたが5歳の時、教会で育てていきたいと言った時にそう言っていたわ。ティエール神とは違うかもしれない。けれどその力は聖女と同じように、民に救いをもたらすものだと」
初めて聞く話に、シルヴァーナはギュッと両手を握り締める。
「その不思議な力を守るためにも、教会で保護していきたいと熱心に言われて、わたくしたちは教会に預けることを決めたのよ」
「リード教皇様……」
リード教皇には最初から分かっていたのだ。自分がティエール神の聖女ではないのだと。
「わたくしもあなたのお父様も、リード教皇の言うことがよく分かっていなくて、今まであなたに話すことができなったの。ごめんなさいね」
「お母様……」
「けれど今回のことでやっと理解できたわ。あなたは確かに何かの力がある。王妃様を、病人を治す尊い力が。あなた自身が不死なのも、きっとその力のお陰なのね」
母の優しい声でリード教皇の言葉を聞くと、シルヴァーナは今までずっと否定的に考えていた自分の力を、不思議にすんなりと受け入れられる気がした。
隣に座っていたベルンハルトが腕を伸ばして、シルヴァーナの手を握ってくれる。その温もりに、きつく握り締めていた拳は自然に緩められた。
「私たちの処遇もどうなるかは分かりませんが、結果が出た後は必ずご連絡致します」
「そうしてくれ。シルヴァーナ、お前はこちらの家に残るだろう?」
「え? いいえ、私はベルンハルトと帰るわ」
家に帰るなんてまったく考えていなかったシルヴァーナは、当たり前のように答えると、エラルドが盛大に眉を歪める。
「お前、」
「フェルザー男爵。娘をよろしくお願いしますね」
「……分かりました」
エラルドが何かを言うのを遮って母がそう言うと、ベルンハルトは少しだけ照れた顔をした後、真剣な顔で頷いた。
その様子にエラルドはもう一度口を開くが、一瞬考えてから口を閉じて肩を竦めた。
「まぁ、いい。気を付けて帰れよ」
「ええ、お兄様。お母様、また来ます。お大事になさって下さいね」
「シルヴァーナ、あなた、今とても良い顔をしているわ」
「そうかしら……?」
「ええ。そういうことは自分ではよく分からないものよ。その顔を見られただけで、お母様は幸せよ」
「お母様……」
嬉しそうに微笑む母に、笑顔を返したシルヴァーナは、本当に久しぶりに家族の温かさを感じたのだった。
◇◇◇
それから2週間後、城から知らせが届き、ベルンハルトとシルヴァーナはまた城に向かった。
二人はその間、2度ほど城に呼ばれ、裁判官の前で事情を説明する機会がそれぞれあったが、アシュトンたちがどういう主張をしているかは、知らずに今日まで来た。
広い客室に通されしばらく待つと、国王と王妃が揃って部屋に現れた。
「待たせたな。二人とも座ってくれ」
ソファから立ち上がり挨拶をする二人に、国王は手を振る。
正面に国王と王妃が座ると、また腰を下ろした。
「呼び出したのは他でもない。今回の事件の判決が下ったので、二人に伝えようと思ってな」
国王の言葉にシルヴァーナとベルンハルトは一度目を合わせると、しっかり国王に向き合った。
「あれから聴取が進み、今回の事件に関わったすべての者が捕縛された。エドニー侯爵を含む家の者と教会の者も数人関わっていた」
「エドニー侯爵はやはり関わりがあったのですか?」
「ああ。バルト教皇に渡していた賄賂は相当な額だったからな。コンスタンスが用意するのは不可能だ。シルヴァーナを陥れ、新たな聖女だと騙り王太子妃になることを提案したのは、コンスタンスのようだったがな」
「アシュトン様はどういう考えだったのですか?」
シルヴァーナは一番知りたかったことを聞いてみた。コンスタンスは明確な目的があって自分に殺意を向けてきたが、アシュトンはその行動に一貫性がなく、意味が分からなかったのだ。
「……アシュトンは、とにかく本物の聖女と結婚したかったようだ」
「でもコンスタンス様が偽物だとは最後まで知らなかったはずです。それならコンスタンス様と結婚すれば満足したのではありませんか?」
「勝手な話だが、コンスタンスの性格がどうも気に入らなかったようで、従順なシルヴァーナと結婚した方が良いと思っていたようだ」
「そんな……」
二人の聖女を天秤にかけて、それまでそばに置いていたコンスタンスを、性格が気に入らないからと切り捨てるなんて本当に勝手過ぎる。
王子であろうと、婚約をしたのなら相手を敬い尊重するのが当たり前なのに、アシュトンはまるで婚約者を物のように考えていたのだ。
「酷い……」
「本当に、なぜそんな考え方になってしまったのか……。親として申し訳なく思う……」
「あ、いえ……」
国王が頭を下げて言うので、シルヴァーナは慌てて首を振った。
「判決は、どうなったのですか?」
「コンスタンスとエドニー侯爵は、極刑だ。殺人の主犯だからな。罪は重い。死をもって償う他はない。シルヴァーナを殺した実行犯の手下たちも極刑だ。侯爵家は取り潰し、一族は平民に降格となった」
極刑と聞いて、シルヴァーナは眉を歪める。コンスタンスには重い罰が下されるとは思っていたが、まさか最高刑になるとは思わなかった。
胃の奥が何か重苦しく感じて、手を握り締める。
「バルト教皇はもちろん地位を剥奪、平民として10年の懲役刑となった。年齢的に生きて牢を出られるとは思わないが、もし出てこられても辺境の教会で下働きとなる」
「王太子殿下は……」
「アシュトンは……、王太子の地位を弟に譲り、……北の『沈黙の塔』で生涯幽閉となった」
「幽閉……」
「甘い親ですまない。王太子を断罪するのは容易にできることではない。許してほしい」
「いえ……、苦しいご判断だったと思います。王太子を断罪するというのは、対外的に考えても得策ではないでしょう。陛下のご決断を支持します」
「そう言ってくれるとありがたい。シルヴァーナも、納得してくれるか?」
「もちろんです」
シルヴァーナが頷くと、国王は王妃と顔を合わせて静かに頷いた。
「他の者たちもそれぞれすでに刑を執行している。もはや二人に脅威はない。安心してくれ」
「そうですか……」
「そこで、シルヴァーナ。君に頼みたいことがある」
「私に? なんでございますか?」
「また、教会に戻ってはくれないだろうか」
「え……」
国王の言葉にシルヴァーナは驚き、小さく声を漏らした。
よく考えれば自分はこれまで、教会に戻ることなど一度も頭に浮かばなかった。だからそう言われて頭が真っ白になってしまった。
「こんなことがあって教会を信じられないかもしれない。でもあなたの力は確かに特別な力よ。あなたがそうでないと言っても、周囲は聖女だと認識するでしょう」
それまで黙っていた王妃が静かに話し出した。
シルヴァーナは戸惑ったまま、王妃に視線を送る。
「あなたの力が知れ渡れば、不埒なことを考える者も出てくるでしょう。あなたを守るためにも、この王都の教会にいてほしいと思っているの」
「……ですが、私は聖女ではありません。ティエール神の聖女だと名乗ることは、もう……」
「シルヴァーナ、その癒しの力を、病に苦しむ者に使ってはくれまいか」
「陛下……」
二人にお願いされて、シルヴァーナはそれきり黙ってしまった。
下を向いて膝の上に置いた自分の手を見つめ考える。
(もう一度、教会に戻る……)
今ならもしかしたら以前より胸を張って生きていけるかもしれない。ティエール神の力ではないかもしれないけれど、この特別な力を使えば聖女としての仕事はできるだろう。
けれど、幾ら考えても心が動かないことにシルヴァーナは気付くと、ふっと笑みを作った。
顔を上げると、まっすぐに国王に目を向ける。
「陛下、王妃様。私はベルンハルトの妻ですから、家に帰ります」
きっぱりと言ったシルヴァーナの言葉に驚いたのはベルンハルトだった。シルヴァーナの手を握り、顔を見つめてくる。
シルヴァーナは笑みを返すと、また国王を見た。
「私の力で誰かを助けてあげられるなら、もちろん全力で頑張ります。けれど私の力はティエール神の力ではありません。聖女と名乗れば嘘になってしまう。それにこの癒しの力は、自分で作った野菜でなくては効力がありません。こんな小さな力では、たくさんの人を救うことはできないでしょう。私はメルロー村に戻って、私のできる範囲で人々を救っていきたいと思います」
「シルヴァーナ……」
言葉はすらすらと出てきた。今まで考えていなかったけれど、これが自分のやりたいことだとはっきりと分かる。
シルヴァーナはベルンハルトの手を握り返して、にこりと笑った。
「フェルザー男爵を、愛しているのね?」
王妃の優しい声に、シルヴァーナは頬を赤くしたが、目を逸らすことなく微かに頷く。
ベルンハルトは耳まで真っ赤になって、少し狼狽えているようだった。
「そうか……。こればかりは無理強いできないな。フェルザー男爵、シルヴァーナを守れるか?」
「もちろんです。全身全霊を懸けてシルヴァーナを守ります」
即答したベルンハルトに、国王と王妃は視線を交わすと大きく頷いた。
「分かった。何かあれば手を貸すから、必ず連絡してくれ」
「シルヴァーナ、フェルザー男爵とお幸せにね」
こうしてすべてが終わると、二人はようやくメルロー村へ帰れることになったのだった。
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