第26話 いざ舞踏会へ
城に到着したシルヴァーナは、ベルンハルトに身を寄せて腕を絡める。緊張感で身体が上手く動かない。それを察してベルンハルトはゆっくり歩いてくれた。
小規模なパーティーを開く時に使われる部屋に案内されると、すでに会場には数十人が集まっていた。
「フェルザー男爵夫妻!」
名前を読み上げられると、会場にざわめきが広がる。視線が集まり、シルヴァーナは余計に緊張したが、ベルンハルトは冷静な表情で会場に足を踏み入れる。
「ベルンハルト……」
「大丈夫だ。前を向いて、堂々としているんだ」
女性たちがこちらを見ながら、ひそひそと何かを囁いている。その前を通り過ぎると、できるだけ自然に奥まで進み立ち止まった。
さりげなく柱の陰に隠れるようにシルヴァーナを立たせると、ベルンハルトがその前に立つ。
「緊張しすぎて息が苦しいわ……」
「ゆっくり呼吸するんだ。君の顔を知っている人はいるかい?」
「いいえ。私は数回しか舞踏会に出たことがないから、分かる人はいないと思うわ」
「そうか」
ぞくぞくと招待客が部屋に入ってきて、そろそろ全員が揃っただろうと様子を見ていると、ついにアシュトンが姿を現した。
アシュトンの隣には金髪の女性がいて、シルヴァーナは眉を顰めた。
(あの子、どこかで……)
見覚えがある。あまり貴族の女性に知り合いはいないが、確かにどこかで見た。
(誰だったかしら……)
「王太子殿下! コンスタンス様!」
読み上げられた名前に、シルヴァーナはベルンハルトと目を合わせた。
「あれが新しい聖女か」
「一緒にいるってことは、もう婚約の話が出ているのかも……」
舞踏会にパートナーとして出ているのなら、そういうことだろう。シルヴァーナは少しだけ期待を感じて、二人を見つめる。
アシュトンとコンスタンスはすぐに人に囲まれて、和やかなに会話を交わしている。見た限りは普通の舞踏会という様子で、まだ何かが始まるようには感じられない。
二人の動向を固唾を飲んで見つめていると、アシュトンが奥の方へと移動してきた。逃げる訳にも行かずそのままでいると、ついにアシュトンがこちらに気付いた。
「おや、怖気づいて逃げてしまうかと思ったが、存外勇気があるな」
「殿下、ご招待感謝致します。田舎男爵にはこのような華やかな舞踏会は少々気が引けますが、妻と共に楽しませて頂きます」
アシュトンが近付きながら言ってくると、ベルンハルトがシルヴァーナの前に立ち言い返す。冷静なベルンハルトの言葉に、アシュトンはにこやかだった表情をすっと消した。
「ふん。そう言っていられるのも今の内だ」
アシュトンは背中を向けて他の貴族の方へと歩いていく。けれどコンスタンスは足を止めてこちらを睨み付けてきた。
「シェーナ、でしたっけ?」
「お初にお目に掛かります、コンスタンス様」
無難に挨拶をすると、コンスタンスは冷えた目でこちらを見つめる。
「どういうつもりでここに来たかしらないけれど、あなたはもう用済みよ。ここにあなたの居場所はない」
コンスタンスの言葉にシルヴァーナは返答せずに顔を曇らせた。
「すでにわたくしは聖女としてアシュトン様との婚約が内定しているの。あなたの入る余地なんてないわ」
コンスタンスはそう言い放ち、ツンと顎を上げて踵を返すと、アシュトンの元へ足早に向かった。
シルヴァーナは二人がもうこちらに構わないのを確認してから、ベルンハルトに顔を向けた。
「どういうことかしら……」
「あれが新しい聖女か……。どうやらあの女性は、王太子との婚約を望んでいるようだな」
「そういう風に見えたわよね。彼女には私が二人の邪魔をしに来たみたいに見えているのかしら」
「そうかもしれないな。でもこれで上手くいく確立が上がった」
シルヴァーナは何となく頷くことができず俯いた。あの剣呑な雰囲気から察するに、コンスタンスはこちらの手助けになるような動きはしてくれないだろう。
それに妙な誤解をしているのなら、余計に話がこじれてしまうかもしれない。
「しばらくは、あちらも派手に何かを仕掛けてくることはないようだな」
ベルンハルトの言葉に顔を上げると、会場の中央でダンスが始まった。アシュトンとコンスタンスが衆目の中で優雅に踊っている。
それを見つめてシルヴァーナは過去の自分を思い出していた。
(昔、ああやってアシュトン様と踊ったっけ……)
無理矢理舞踏会に出席させられて、強引に踊らされた。あの頃はアシュトンと結婚するのが嫌でも、自分ではどうにもならず仕方なく従っていた。だから自分に合わない社交界の雰囲気もいつかは慣れないといけないと、自分に言い聞かせていた。
(アシュトン様の隣には私ではない人がいて、私の隣にはベルンハルトがいる……)
こんな未来が訪れるなんて想像もしていなかった。
「シェーナ」
名前を呼ばれベルンハルトを見ると、ベルンハルトは恭しく右手を差し出している。
「なに?」
「一曲、お相手願いますか?」
「え? でも……」
こんな時にダンスなんてと戸惑っていると、ベルンハルトはシルヴァーナの手を優しく取った。
「夫婦なんだ、ダンスくらいしておかないと」
ベルンハルトはそう言うと、シルヴァーナを踊りの輪へ連れ出した。
優しく腰を引き寄せると、音楽に合わせて踊りだす。
「私、ダンスは下手なの」
「俺もだよ。下手同士、丁度良いな」
楽しそうなベルンハルトの笑顔に、シルヴァーナも少しだけ緊張が解けて笑みを浮かべる。
華やかなワルツの音楽に合わせて、二人は笑顔で踊り続けた。一曲終わりダンスの輪から抜けると、なぜか数人の女性たちに囲まれた。
「初めまして、フェルザー男爵様、奥様」
「は、初めまして……」
名前も知らない女性に笑顔で声を掛けられて、シルヴァーナは少し戸惑いながらも挨拶を交わす。
「わたくし、エレン・ブラウンと申します。フェルザー男爵様がご結婚していたとは知りませんでしたわ」
「結婚してまだそれほど経っていないのです。それに田舎のことです、あまり噂にはならないかと」
「男爵様はなぜずっと城の舞踏会に出られなかったのですか? もっと早くお会いしたかったわ」
ベルンハルトが穏やかな声で答えると、他の女性も質問してくる。明らかにベルンハルトに色目を使っているように見えて、シルヴァーナは胸にもやもやとした気持ちが広がる。
「田舎者ゆえ城の舞踏会など私にはとても似合いませんよ。声も掛かりませんでしたしね」
「フェルザー男爵様がこんな素敵な方だったなんて……。奥様はあまりお見かけしたことがない方ですけれど、ご出身はどちらですの?」
「わ、私は……」
「シェーナは、妻は、ヴィルシュ王国から来たのです」
「まぁ、隣国の? だから社交界でお見かけしたことがなかったのですね」
シルヴァーナは一瞬困って言葉を詰まらせるが、ベルンハルトが助け舟を出してくれる。
「フェルザー、久しぶりだな。結婚したなら連絡をくれよ」
男性が二人近付いてきて、ベルンハルトに気さくに声を掛けた。ベルンハルトも笑顔で話し出して、女性たちが後ろに下がると、シルヴァーナはホッとした。
(私ったらこんな時になに考えてるのよ……)
ベルンハルトに興味のある様子の女性たちに、嫉妬のような気持ちが溢れた。ベルンハルトの本当の妻でもないくせに、気軽に声を掛けないで欲しいと思ってしまった。
シルヴァーナが自分の気持ちに戸惑い考え込んでいる間、会場は穏やかな時間が流れた。
アシュトンは表向きは機嫌良く振る舞っていて、取り巻きに笑顔を向けている。けれど扉から入ってきた騎士が耳打ちをすると、笑顔を消し立ち上がった。
「さて、楽しい時間は終わりだ」
アシュトンが中央に歩きながらそう言うと、会場のざわめきが消えた。何が始まるのかと皆が興味深げな目でアシュトンを見つめる。
部屋の隅にいたベルンハルトとシルヴァーナは、ついにアシュトンが動いたと視線を向けた。
「フェルザー男爵、奥方を連れて前に出ろ」
場にそぐわない命令口調に、不穏な空気が漂いだす。周囲の視線がすべて二人に集中する中、ベルンハルトはシルヴァーナの手を握りゆっくりと部屋の中央に出た。
「舞踏会は楽しかったか?」
アシュトンの皮肉にベルンハルトは答えない。するとアシュトンはシルヴァーナに視線を向けた。
「シルヴァーナ、久しぶりに舞踏会は楽しかっただろう?」
「私は、シェーナです。殿下」
シルヴァーナが静かに訂正すると、アシュトンは歪んだ笑みを浮かべる。
「アシュトン様。もうおやめ下さい。シルヴァーナ様は亡くなられたのです。この方はよく似た別人ですわ」
突然、コンスタンスがアシュトンの腕を掴み言ってきた。シルヴァーナに目を向けていたアシュトンはコンスタンスに険しい顔を向ける。
「お前は黙っていろ!」
「いいえ。折角の舞踏会をこのようなことで台無しにしてはいけませんわ。皆戸惑っています」
「うるさい! お前は口を出すな!」
コンスタンスの腕を払い除けると、アシュトンはまたこちらに顔を向ける。
「お前は自分をシェーナだと言い張っているが、お前をよく知る人物がお前を見てどう言うか試してみようじゃないか」
「アシュトン様?」
アシュトンの言葉にコンスタンスが顔を顰める。すると奥の扉が開いて、騎士が男性を連れてきた。
(バルト教皇様!!)
シルヴァーナはおどおどと歩いてくるバルト教皇を見て目を見開いた。思わず顔を隠すように下を向いてしまう。
「バルト教皇、さぁ、あの者をよく見よ。あれが何者か言ってみろ」
アシュトンが言い放つと、バルト教皇はじろじろとシルヴァーナに視線を送る。
(ああ、もうだめ……)
毎日顔を合わせていたバルト教皇が自分の顔を間違えるはずがない。これですべてが露呈してしまうと、シルヴァーナは両手を握り締めた。
「……殿下。謹んで申し上げますが……、あれは別人でございます」
「な、なんだと!?」
バルト教皇が否定するとは思っていなかったのか、アシュトンは驚き声を上げた。シルヴァーナもまさかと思いベルンハルトと目を合わせる。
バルト教皇は額に流れる汗をハンカチで拭いながら答える。
「あの者は、その……、シルヴァーナによく似ておりますが別人です」
「よ、よく見てみろ! そっくりではないか!!」
「そう言われましても……」
これはもしかしたらこのまま上手く事が進むのではないかと、シルヴァーナは思った。バルト教皇が本当に見間違えているのか、何か思惑があってそう言っているのかは分からないが、とにかくホッと胸を撫で下ろす。
「ほら、アシュトン様。教皇様もこう言っていますし、もうやめに致しましょう。バルト教皇様、もう下がっても宜しいわよ」
周囲の貴族たちは一体これは何なんだとざわめいている。
アシュトンは憎々しげにシルヴァーナを見ると、足音を鳴らして近付いてくる。慌ててベルンハルトがシルヴァーナの前に立つと、二人は睨み合った。
「そこをどけ! フェルザー!!」
「いい加減にして下さい、殿下! 私の妻に付き纏うのはもうやめて下さい!!」
「貴様……」
「シェーナは私の妻です! どんなことがあっても私が守る! 相手が誰であろうと!!」
ベルンハルトの言葉に、シルヴァーナは胸がいっぱいになった。嬉しさが込み上げて、思わずベルンハルトの背中に手を添える。
「私に向かってよくもそんな口を……。ま、まぁいい。お前がいくらほざこうと、シルヴァーナは私のものだ。おい! 連れてこい!」
怒りをどうにか沈めたアシュトンが騎士に指示を出す。
(まだ誰かいるの?)
ベルンハルトの背中越しに扉を見たシルヴァーナは、ゆっくりと部屋に入ってきた男性に今度こそ息を飲んだ。
「お兄様……」