第24話 あなたと共に
シルヴァーナが着替えを済ませ階下に行くと、ベルンハルトも着替えており、とにかくお茶でも飲んで落ち着こうと二人でソファに座った。
エルナの淹れた甘い紅茶を飲むと、ホッと息を吐く。
「大丈夫か?」
「ええ。だいぶ落ち着きました。これからのことを話しましょう」
「そうだな。今、屋敷の者に王太子の動向を確認させている。もし村に滞在するようなら、すぐにでも対策を立てないといけないからな」
ベルンハルトの言葉に頷いたシルヴァーナは、これからどうしたらいいんだろうと考える。
(今日は帰ってくれたけど、次はもう言葉ではどうにもならないと思う……)
さきほどの言葉で、アシュトンがどれだけ自分に執着しているのかが分かった。次に来る時は、きっと無理矢理にでも王都に連れていくだろう。
(逃げる以外、もうどうしようもない気がする……)
アシュトンは曲がりなりにも王太子なのだ。その権力を使えば、自分を捕えることくらい造作もないことだ。いくら抗ったところで、結末は分かり切っている。
「旦那様、偵察に行っていた者たちが帰ってきました」
「どうだった?」
自分の考えに耽っていると、ドナートが部屋に入って来た。
「王太子はそのまま村を出たようです。見張りのような者が2名ほど森に潜んでいます」
「引き返してくる気配は?」
「ありません」
ドナートの報告にベルンハルトは顔を険しくし、手にしていたカップを置くと、腕を組む。
「ということは、王太子はすぐにシルヴァーナを強引に連れて行くことはしないということか……」
「何か策があるのかもしれませんね。見張りはどう致しますか?」
「村の者に危害を加える様子がないなら放っておけ。あいつらはたぶん、シルヴァーナの動向を見張っているのだろう」
「分かりました。それにしても、王太子はかなり横暴な性格のようですね」
「あれが未来の国王かと思うと、先が思いやられるな。シルヴァーナ、王太子は昔からあんな調子なのか?」
ベルンハルトがシルヴァーナに声を掛けるが、シルヴァーナはその声が聞こえていないのか、一点を見つめたまま固まってしまっている。
「シルヴァーナ?」
もう一度名前を呼ぶと、シルヴァーナはハッとして顔を上げた。
「は、はい。なんですか?」
「どうした? 少し休むか?」
心配げな表情で聞いてくるベルンハルトに、シルヴァーナは慌てて首を振る。
「いいえ、大丈夫よ。ごめんなさい、ぼんやりしてしまって」
「いや、いいが……。シルヴァーナ、王太子がどんな手でくるかは分からない。とにかくしばらくは絶対に家から出ない方がいい」
「そうですね……。分かりました」
シルヴァーナが頷くと、ベルンハルトはドナートに視線を移してまた口を開いた。
「ドナート。家の守りを固めろ。見張りを増やして、絶対に誰も侵入させるな」
「承知しました」
「村にも警戒するように連絡を。まさか村人に手を出すようなことはないと思うが、念のためだ」
的確に指示を出すベルンハルトに感心しながらも、シルヴァーナは一抹の不安を感じずにはいられなかった。
アシュトンはすでに理性の箍が外れてしまっているように感じる。たぶん、自分を刃にかけた時から。
そうなれば、村の安全などもはやなんの保障もない。
「……皆にこんなに迷惑を掛けて……私……」
ベルンハルトもメルロー村の人たちも、本来は自分とは何の関係もない。けれどこのままでは、自分のせいで全員が危ない目に合ってしまうかもしれない。
(そんなことになったら……)
怖ろしい想像をしてしまって、シルヴァーナが言葉を途切らせると、ベルンハルトが慰めるように肩に手を置いた。
「迷惑なんて思っていない。シルヴァーナは自分の安全だけを考えればいいんだ。いいね?」
「でも……」
「心配いらない。君は俺が守る」
返事ができず俯いたシルヴァーナに、ベルンハルトは優しい笑顔を向けて、肩をポンポンと叩いた。
◇◇◇
それから5日、何の音沙汰もなく過ぎると、驚くべきことに城から手紙が届いた。
朝の配達でそれを受け取ったドナートが、慌てて食堂に入ってくる。
「旦那様! 城から通達が!」
「城から!?」
食後のお茶を飲んでいたベルンハルトは、ガチャッとカップを置くと手紙を受け取る。
確かに裏の封蝋には王家の印が押されている。封を切って中の手紙を読んだベルンハルトは、眉間に皺を寄せ手紙をシルヴァーナに差し出した。
「こんな手でくるとは……」
悔しそうに呟くベルンハルトから手紙を受け取り、視線を落としたシルヴァーナは目を見開いた。それは舞踏会の招待状だった。
フェルザー男爵夫妻に宛てられたもので、署名にはアシュトンの名前がある。
「王太子主催の舞踏会……」
手紙の最後には、アシュトンが走り書いたメッセージがあり、シルヴァーナはそれを読んで真っ青になった。
「『もし舞踏会に来なければ、村を焼き払ってやる』……」
「最低な脅し文句だな」
「そんな……私……どうしたら……」
震える手から手紙が滑り落ちる。シルヴァーナは両手で顔を覆い肩を震わせた。
その様子に驚いたベルンハルトが立ち上がり、テーブルを回り込むとシルヴァーナを抱き締めた。
「大丈夫だ。これは単なる脅しだ。村を焼き払うなんて、そんなことする訳ない」
ベルンハルトの慰めの言葉に、シルヴァーナは弱く首を振る。
アシュトンは本気だ。なんの根拠もないが、そう思えてならない。
「旦那様、どういたしますか? 出席の方向で動きますか?」
「無視することはさすがにできないか……。敵の懐に飛び込むことになるから、できれば城には近付きたくないが……」
「そうですね。これはたぶん強引に連れて行かれたくなくば、自分で来いということでしょうね」
「王太子の力を使えば、無理矢理連れて行くことなど造作もないだろうしな」
ベルンハルトとドナートが冷静な声でこれからのことを話し合っている。けれどシルヴァーナはどうしても冷静にはなれなかった。
ベルンハルトと共に城に行けば、アシュトンは難癖をつけてベルンハルトを罪に問うだろう。爵位を奪うのは簡単だと豪語していたのだ。きっとそうするに違いない。
城に行ってしまえば、どんな策を講じようと、王太子の思い通りになるだろう。
「……いけない、ベルンハルトさん……。城になんて行っちゃだめ……」
シルヴァーナは顔を上げ弱い声で訴える。
「シルヴァーナ、大丈夫だ。君は俺の妻として城に行くんだ。衆目があれば王太子だって無体なことはできないだろう。シルヴァーナは死んだんだ。それは誰もが知っていることだ。それなら、君がシェーナだと認められれば、王太子も諦めざるを得ないだろう」
「舞踏会なんて嘘よ……。城に行った途端に掴まってしまうわ!」
「わざわざ舞踏会を開くということは、君が生き返ったということを披露したいんだろう。王太子はできるだけ穏便に済ませたいんだ。そう考えている内は、まだ俺たちに勝算はある」
「ベルンハルトさん……」
「このまま何もしなければ、王太子の思い通りになってしまう。勇気を出すんだ、シルヴァーナ」
ベルンハルトはシルヴァーナの両肩を強く掴むと、真っ直ぐに目を見つめ優しい声で励ました。
◇◇◇
その日の夜、シルヴァーナは屋敷の者たちが寝静まった時間になると、着替えを済ませそっと部屋を出た。
足を忍ばせ、使用人の使う裏の扉に向かう。
(私がここにいるからいけないんだわ……)
こんなに迷惑を掛けるつもりなんてなかった。ただ平和にこの村で過ごせたらと思っていただけなのに。
このままではベルンハルトも、村の皆も危険な目に合ってしまうかもしれない。ベルンハルトはああ言ってくれたけれど、王太子に楯突くなんて絶対にしてはいけない。
それは反逆罪で、許されない行為だ。
(とにかく逃げられるところまで逃げよう……)
誰かに迷惑を掛けるくらいなら、一人でできるだけのことをしようと、シルヴァーナは決意した。
アシュトンと結婚するつもりは毛頭ない。あんなことを言われて、素直に頷ける訳がない。あんなに恐ろしい人だとは思わなかった。もし結婚し彼の妻になっていたら、きっと自分は一生苦しんだだろう。
扉の内鍵を開けてそっと外へ出る。明かりを持たないシルヴァーナは、暗闇の中を歩きだす。
(初めてここに来た時のよう……)
あの時は森の暗闇が怖くて仕方なかった。そこでベルンハルトに偶然出会った。
(本当に、なんて幸運だったのかしら……)
ベルンハルトに出会えて幸せだった。一時でも穏やかな暮らしができたのは、ベルンハルトのお陰だ。
感謝の言葉は、手紙に書いて部屋に置いてきた。なんのお礼もできなかったけれど、感謝だけは伝えたかった。
そうして鉄の門扉を開けようとした瞬間、背後で静かな声がした。
「こんな時間に、一人でどこに行くつもりだ?」
ハッとして振り返ると、ベルンハルトが肩で息をして立っていた。その手に自分が置いてきた手紙を握り締めていて、シルヴァーナは眉を顰める。
「……私は、この村を出て行きます。もうこれ以上、迷惑を掛ける訳にはいきません」
「それで、一人でどうするつもりなんだ」
「できる限り、逃げてみます。一人ならもしかしたら逃げ切れるかもしれないから……」
小さな声でそう答えると、突然ベルンハルトが強く抱き締めてきた。
「そんなことさせられる訳ないだろう!?」
「ベルンハルトさん……」
「なんでそんな風に言うんだ! 君を守ると言ったじゃないか!!」
「でも……でも……っ……」
ベルンハルトの言葉に涙が溢れて、シルヴァーナは唇を噛み締める。
今までで一番強く抱き締められて、苦しいくらいなのに嬉しさが込み上げて、余計に涙が止まらない。
「王太子なんかに君を渡さない。絶対に!!」
「私……私は、あなたが……傷付くのが怖い……。あなたが死んでしまったら……」
「俺は死なない!!」
叫ぶような言葉が、シルヴァーナの心を激しく揺さぶった。
理性ではダメだと分かっているのに、手を伸ばさずにはいられなかった。
「ベルンハルトさん……」
ベルンハルトの背中に腕を回し、縋るように抱きつく。
「出て行くなんて言わないでくれ……、お願いだから……」
シルヴァーナは嗚咽を堪えて、ただ何度も頷いた。
ベルンハルトと共に乗り越える。
覚悟は決まった――。