第21話 奇跡じゃないけど
この数日、シルヴァーナは四六時中ベルンハルトと共に過ごしていた。また襲われたら大変だと、ベルンハルトがずっとそばにいてくれるのだが、あまりにも大切にされてしまって、逆に申し訳なく思ってしまう。
今日も少しだけ畑で農作業をすると、一緒に屋敷へ戻ってきてくれた。
「ベルンハルトさん、私、屋敷にいるから村の仕事をしてきて?」
「いや、ここにいるよ」
お茶の相手をしてくれるのはありがたいけれど、村の仕事はたくさんある。領主としては雑多過ぎる仕事だが、それでもベルンハルトがやらなければならない仕事が山のようにあるのだ。
それを邪魔しているのが、とても心苦しい。
「でも、村で仕事があるんじゃない?」
「気にしなくていい。それより、君の番だよ」
手元のチェスを指差して優しくベルンハルトが言ってくる。シルヴァーナは困ったように笑顔を作ると、駒を手に取った。
その時、玄関の呼び鈴が鳴った。
「誰かしら……」
シルヴァーナが不安になってベルンハルトを見ると、ベルンハルトは手を伸ばしてシルヴァーナの手を握った。
「大丈夫だ。落ち着いて」
ドナートが応対をしている声が微かに聞こえる。そして少し待つと、部屋にドナートが入って来た。
「旦那様、シルヴァーナ様。おくつろぎ中のところ申し訳ございません。また村に病人が訊ねてきたと、村長が知らせに参りました」
「またか……」
「どういたしますか?」
ベルンハルトが溜め息を吐いて返事をしないのを見て、シルヴァーナは立ち上がる。
「村長さんにはすぐに行くと伝えて」
「シルヴァーナ」
「いいの。伝えて」
「分かりました」
玄関ホールに戻るドナートを見送って、ベルンハルトも立ち上がる。
「すまない……。俺が不用意に聖女などと言ったばっかりに……」
数日前、村の人たちにベルンハルトがシルヴァーナは聖女だと伝えてからというもの、近隣から病人がたまに訪ねてくるようになってしまった。
小さな村だが、人の出入りがない訳ではない。たまに商人が来たり、旅人が滞在したりもするから、噂が広まってしまったのだろう。
シルヴァーナは優しく微笑んで首を振る。
「謝らないで下さい。あの時はしょうがなかったんだもの。小さな村の噂話なんて、王都に届くことはないでしょうから、きっと大丈夫ですよ」
実際、聖女に関する噂は数年に一度は田舎で発生する。自分の娘が聖女だと言いふらす親や、奇跡を起こしたと言うペテン師が、お金目当てに現れるのだ。
そのどれもしばらくすれば嘘だと広まり、いつの間にか噂も消えてなくなる。
「村に行きましょう。無下に帰すのは可哀想だもの」
「そうだな」
そうしてシルヴァーナは出掛ける準備をすると、二人で村へ出向いた。
広場に行くと、村人と数人の見知らぬ人たちが集まっており、シルヴァーナの姿を見ると、わっと走り寄った。
「あなたが聖女様でいらっしゃいますね!?」
「……初めまして。私はシェーナです」
「私は隣町の者です。聖女様の噂を聞いて、父を連れてきました。どうぞ父を治して下さい!」
「お父様……」
30代ほどの貧しい身なりの男性は、広場のベンチに座り込む老人を指し示す。シルヴァーナはそれを見ると、老人のそばに寄って膝を折った。
「こんにちは。私はシェーナと言います。お名前を聞いても?」
「儂は……、アルフと言います……。ずっと熱が引かず、寝たり起きたりを繰り返しておりまして……」
苦しそうに咳き込むので、シルヴァーナが背中をさすってあげていると、隣に座り込んでいた女性が顔を上げた。
「聖女様、私もお救い下さい……。毎日息苦しくて……息を吸うのも辛いのです……」
数人の病人を見たシルヴァーナはゆっくりと立ち上がると、両手を胸の前で組んだ。
「皆さん、私に特別な力はありません。けれど、私の作った料理で少しでも元気になってくれたら嬉しいです」
自分にはそれくらいしかできないと、シルヴァーナは急いで自分で育てた野菜を収穫し料理を作った。
温かいスープを一人ひとりに手渡すと、全員笑顔で食事を始める。
「熱いので気を付けて。たくさんあるから、足りない人は言ってね」
美味しそうに食べている人たちを見守っていると、隣にベルンハルトが並んだ。
「皆、嬉しそうだな」
「そうですね……」
もう教会にいた時のように『何もできない聖女』だと言われたくない。少しでもいいから皆の役に立ちたい。
シルヴァーナは笑顔で食事をする人たちを見守りながら、強くそう思った。
「なんだい、また病人が来たのかい?」
「キャシー」
農作業から帰ってきたキャシーが広場を見て声を掛けてきた。
「噂がすっかり広まっちまったみたいだねぇ」
「キャシー、畑仕事手伝えなくてごめんなさいね」
「いいさ。シェーナ様の安全が一番さ。おかしな奴らがうろついてるかもしれないんだ。わざわざ外に出ることないよ」
笑顔でそう言うと、キャシーは食事の終わった男性の肩を叩いた。
「どうだい? 力が湧いてくるだろう?」
「ああ、なんだろうな。不思議に苦しさが遠退いた気がするよ……」
「そうかい。そりゃ良かった。明日になれば、もっと元気になってるさ」
「教会に寝泊まりできる準備をしたから、このまま村に残る者は教会に来てくれ」
村長が言いに来ると、わらわらと人が移動しだす。シルヴァーナはそれを見送ってから、ベルンハルトと屋敷に戻った。
「大丈夫か?」
「ええ……。少し緊張しただけ……」
「緊張?」
「……料理を作ったくらいで、いい気になるなって言われそうで、いつも少し緊張するわ」
「そんな……。君の力は本物だ。どうして自分の力を信じないんだ?」
ベルンハルトの驚いた顔を見上げ、シルヴァーナは苦笑する。
「信じられる訳ないわ。私はいつだって役立たずの聖女だったんだから。それに……」
「それに?」
「これは奇跡の力なんかじゃないわ」
「どうしてそんなこと言うんだ? この前だって君の作った料理を食べて、病人が元気になったじゃないか。村人以外も元気になったんだ。絶対に奇跡の力だよ」
必死に言い募るベルンハルトに、シルヴァーナは弱く首を振る。
「『奇跡』は、こんなものじゃないわ……」
シルヴァーナは足を止めて、よく育った畑の野菜を見つめる。
「こんなものじゃないって、どういう意味だ?」
「聖女の奇跡は神に祈りを捧げて、初めて行使されるものなの。祈りを聞き届けた神は、聖女の身体に力を分け与える。それが『奇跡』なの」
教会に伝わる聖女の奇跡にまつわるすべてを学んだ。その中に例外はなかった。
だから、自分はやはり奇跡を起こしていないのだ。
「シルヴァーナ……」
シルヴァーナは悲しげに見つめてくるベルンハルトに笑ってみせる。
「そんな顔しないで。私、皆がこうして慕ってくれるのが嬉しいの。今まで聖女としては役立たずだったけど、この村でできることがあるなら、精一杯頑張るわ」
「辛くないか?」
静かに訊ねられてシルヴァーナが首を振ると、ベルンハルトは安堵した顔をして小さく頷いた。
次の日、村に行くと、昨日の病人たちが笑顔でシルヴァーナを出迎えた。
「聖女様! 昨日は久しぶりにぐっすり眠れました! 息も苦しくありません!」
「なんて感謝したらいいのか! ありがとうございます! 聖女様!!」
皆が跪いてシルヴァーナに感謝を述べる。シルヴァーナは慌てて膝を突くと、老人の手を握った。
「どうぞ立って下さい。私は料理を作っただけです。元気になったのは皆さんご自身の力です」
「なんて謙虚な方なんだ……」
涙を流しながら笑い合った人たちは、口々にシルヴァーナを称えている。
困ったシルヴァーナが助けを求めるように振り返ると、ベルンハルトはそれを嬉しそうに見つめていた。