第17話 出来の良い弟
コンスタンスと共に王妃の部屋に向かう。よく考えてみれば、会うのは1ヶ月ぶりくらいだろうか。かなり憂鬱だったが、それでもコンスタンスがいれば、話相手を押し付けることもできるだろうと、少し気が楽だった。
「王妃様、王太子殿下がお越しでございます」
ドアを守る騎士が室内へ声を掛けると、侍女がドアを開け招き入れた。
室内に入ると、大きなベッドに横たわる姿を見た。緩やかな金髪も細い顎も自分にそっくりだ。この顔を見る度に、自分が母親似であることを嫌でも思い知らされて、会うだけで嫌な気持ちにさせる。
「アシュトン……、久しぶりね」
「母上、お加減はどうですか」
枕元へ行き訊ねたアシュトンに、王妃はにこりと笑みを見せる。思ったよりは良い顔色に少しだけ安堵する。
「今日は随分調子が良いのよ。そちらのお嬢さんは?」
「初めてお目に掛かり、恐悦至極に存じます、王妃様。わたくしは、コンスタンス・エドニーでございます。この度、新たな聖女として王太子殿下のおそばにいることを許されました」
「ああ、聞いていますよ。新しい聖女が見つかったと……。あなたなのね」
王妃はそう言うと、ゆっくりと身体を起き上がらせた。手を伸ばしアシュトンの手を握る。
「父上のお手伝いはちゃんとしてる? 政治のことは勉強しているの?」
「もちろんです。国政のことはもうすっかり理解していますから大丈夫です。父上も私を頼りにしているんですよ」
「そうなの? それならいいけど……」
王妃は納得したのか何度も頷くと、視線をコンスタンスに移した。
「コンスタンス、シルヴァーナが亡くなってすぐなのに大変でしょう」
「いいえ。そんなことは……」
「あなたも教皇様に見出されたのかしら? あなた、年齢はいくつ?」
「わたくしは18歳でございます」
「18……。随分、遅く聖女になったのね」
王妃の何気ない言葉に、一瞬コンスタンスの顔色が変わったように見えた。だがすぐに口角を上げて笑顔になる。
「教皇様は同じ時代に二人の聖女は現れないと申しておりました。きっとシルヴァーナさんが急逝して、わたくしに神のお導きがあったのですわ」
「そう……。そんなことがあるのね……」
王妃が呟くように言うと、突然ドアが開いた。
「母上、お薬をお持ちしましたよ!」
明るい声でそう言いながら部屋に入ってきたのは、弟のパトリックだった。
12歳のパトリックは茶色の髪と青い瞳をしている。国王と顔はそれほど似ていないのに、その髪と瞳の色がそっくりだからか、いやに国王を彷彿とさせる。
アシュトンは顔を顰めたが、パトリックはパッと笑顔になるとこちらに走り寄ってきた。
「兄上! 母上のお見舞いに来て下さったんですか!?」
「そうだ……」
「ああ、良かった。この頃、母上はずっと兄上の顔を見ていないと、寂しがっていたのですよ!」
にこにことそう言うと、パトリックは持ってきた薬を侍女に手渡した。
「この頃、ずっと母上は調子が悪くて、今日は久しぶりに熱が下がってほっとしていたんです」
「そうだったのか……。すまないな、来られなくて」
「いいのです。兄上は父上のお手伝いもあるでしょうし、お忙しいでしょうから」
無邪気な笑顔でそう言うパトリックに、アシュトンはどうしても笑顔を向けることができない。
(能天気に笑って……、暢気な奴だ……)
どうしても笑顔が鼻について、心の中で悪態を吐いていると、パトリックの視線がコンスタンスに向けられた。
「もしや、聖女になられたコンスタンス様ですか?」
「ええ、パトリック様。コンスタンス・エドニーでございます」
「ああ、やっぱり。新しい聖女だと、噂になっていますよね」
「これからよろしくお願い致します、パトリック様」
「こちらこそ! シルヴァーナのことは本当に残念ですが、新しい聖女が現れたのは僥倖でしょう。ティエール神のお導きに感謝致します」
パトリックがそう言うと、コンスタンスは嬉しそうに笑顔を見せた。
アシュトンはその様子を見ながら、やはりコンスタンスを連れてきて良かったと思った。苦手な王妃とも弟とも、一対一で話す必要がなくてホッとする。
「コンスタンス様は、やはり兄上と結婚するんですか?」
「え? そうですね、そういうことになるとは思いますが……」
「アシュトン、本当なの?」
控え目な様子で答えたコンスタンスに、王妃が割って入った。
「シルヴァーナが亡くなってまだほんの少しよ。それなのにもうそんな話が出ているの?」
「母上、シルヴァーナの喪が明けたらですよ。それに彼女はあまり聖女としては役立たずでした。コンスタンスは本物の聖女ですから、心配いりません」
「アシュトン……」
「本物の聖女と結婚すれば、私は必ず良い国王になります。期待していて下さい」
アシュトンはきっと喜んでくれるだろうと思い言ったのだが、王妃は顔を曇らせ目を伏せてしまう。
それから少しだけ居心地の悪い沈黙が落ちると、すっと王妃がアシュトンを見据えた。
「アシュトン、聖女と結婚したからといって、良い国王になる訳ではありませんよ」
「は、母上……」
「国王のために聖女が存在している訳ではありません」
「わ、分かっております……」
病気で弱っているはずの王妃は、ピンと背を伸ばしまっすぐにアシュトンを見つめる。その視線に気圧されて、アシュトンは動揺を隠せなかった。
「コンスタンス、あなたもしっかり理解しておきなさい。聖女は、国政のために奇跡の力を使ってはいけません。それは神から与えられた尊い力。力無き国民に、慈悲をもって与えるべき力なのですよ」
「王妃様のありがたいお言葉、深く心に刻んでおきます」
コンスタンスは恭しくそう言うと、深く腰を落とす。
アシュトンにはコンスタンスの言葉が妙に空々しく聞こえたが、コンスタンスの横顔からは何の感情も見て取れなかった。
「母上、長居しては身体に障るでしょう。私たちはそろそろ帰ります」
「そう……、分かったわ」
これ以上の小言はごめんだと、アシュトンは話を切り上げると、頭を下げて部屋を出た。
これでしばらくはここに来なくて済むと安堵して歩きだした途端、背後のドアが開いてパトリックが飛び出してきた。
「兄上!」
小さく舌打ちをして無言で振り返る。
「あの、今度、外交政策に関しての勉強を教えてもらえませんか?」
「なぜ私がお前に教えなければならないんだ」
「あ……、その、教授が兄上は隣国に関してとても熟知していると言っていたので、一緒に勉強できたらと……」
人懐こい笑顔を少し曇らせたパトリックの顔を睨み付けて、アシュトンはわざとらしく大きな溜め息を吐いた。
「私は王太子だぞ? お前に構っている暇などない。重責のない第二王子は気楽なものだな」
「すみません、兄上……」
吐き捨てるように言うと、パトリックは肩を落として王妃の部屋に戻って行った。
国王も王妃も弟も、なぜ自分を逆撫でするようなことをわざわざ言うのだろうか。貴族たちもこぞってパトリックが優秀だと褒めそやしている。すべてが耳障りでならない。
(私が国王になったら覚えていろよ……)
アシュトンは隣を歩くコンスタンスを見て、本物の聖女が自分の物であることが、やはり最も重要なことなのだと思った。
(コンスタンスが本物であるか、確認しなければ……)
シルヴァーナは気が急いて殺してしまったが、今度こそ慎重にやらなくてはと、アシュトンはコンスタンスを冷えた目で見つめた。