第1話 婚約者に殺されました
シルヴァーナ・オーエンは5歳の時に聖女と認定された。当時は100年ぶりの聖女の出現に国中が沸いたものだが、それからどれほど月日が経ってもシルヴァーナに特別な力が現れることはなく、次第にその存在は忘れられていった。
「聖女様はもうすぐ20歳のお誕生日ですが、本当に王太子殿下とご結婚されるのですか?」
せっせと教会の床掃除をしていたシルヴァーナに、一緒に掃除をしていた年下の修道女が質問した。
シルヴァーナは手を止めず、顔だけを少女に向けて答える。
「分からないわ。婚約の話は15歳の時にされたけど、それから別に詳しい話はしていないし、だいたい殿下に会うこともそんなにないし……」
「でも王太子妃になるなら、色々あるんじゃないんですか?」
「それは私も思うけど、ホントに知らないのよ」
「殿下と話し合ったりしないのですか?」
「話し合うほど打ち解けてないし……、元々あんまり乗り気じゃないのよね……」
聖女が王子と結婚した事例は過去にも何度かあったらしく、自分もそれに則って王太子と婚約中だ。まったく自分の意思とは無関係に決められたことなのでまるで他人事だが、20歳の誕生日が過ぎれば結婚するという約束だったはずだ。
「嬉しくないんですか? 王太子妃ですよ?」
そう言われて手を止めたシルヴァーナは、少女に向き直った。
「5歳の時から教会で過ごしてきたのよ? いまさら貴族になんてなれっこないわ。それに見てよ。私のこの地味な顔を。ドレスなんて似合わないわよ」
平凡な顔立ちに高くも低くもない身長。髪はくすんだ金髪で、癖のある髪質は毎朝纏めるのに苦労する厄介なものだ。特徴を捻り出すとすれば新緑の瞳くらいで、聖女のローブを着ていなければ、誰も自分が聖女だなんて気付かないだろう。
たまに教会に来る貴族の美しい女性たちの煌びやかなドレス姿は、憧れよりも引け目を感じてしまうものだった。
「そんなことないですよ!」
「お世辞でも嬉しいわ。それより、早く掃除を済ませて昼食にしましょう」
聖女の奇跡も起こせず、ただ普通の修道女と同じように教会で奉仕する生活をしている自分が、王太子妃の地位に就くことはないだろう。
きっとその内、婚約破棄の話が来るはずだと、シルヴァーナは内心で考えていた。
「シルヴァーナ・オーエンはいるか!?」
突然、バタンと教会の扉が開かれると、激しい靴音と共に数人が教会内に入ってくる。
名前を呼ばれたシルヴァーナは、何事かとそちらを見ると、見覚えのある顔に眉を歪めた。
「王太子……殿下?」
数名のお付きの騎士と、ドレスを着た女性を従えて近付いてきたのは、さきほど話していた王太子その人だった。
「お久しぶりにございます。アシュトン様」
物々しい雰囲気に戸惑いながらも挨拶をすると、なぜか騎士たちが剣を引き抜く。
「な、何事ですか?」
「シルヴァーナ、お前は14年もの間、聖女として教会にいるが、一度として聖女らしいことはしていないな」
「そ、それは……」
今更それを言われても困る。自分から聖女と名乗った訳ではない。当時の教皇がシルヴァーナを聖女だと認定したのだ。
特別な力を見せることができなくても、教会にいることが大切なのだと言われ、今までここで暮らしてきた。辞めて良いなら、とっくの昔に辞めている。
「お前が偽物ならば、王太子妃の座をお前にやることはできん」
「いや、それは勝手にそちらが」
「14年間も私を、王家を、国を騙していたというなら大罪だぞ!」
(突然押し掛けてきて、この人は何を言っているの!?)
シルヴァーナは偉そうに言い放つアシュトンを睨み付けてから、周囲の者たちを見た。皆、悪人を見るような目つきで自分を見ている。その中で、一人遠巻きに見ていた女性と目が合った。
美しい金髪の女性は、冷静な表情でこちらの様子を窺っている。
「騙してなどいません。それに、王太子妃なんて私は望んでいません。どうぞ、お疑いがあるようなら、婚約を破棄して下さいませ」
「生意気な! お前の意見など聞いていない。お前が聖女ならば結婚するし、聖女でないなら、断罪するのみだ」
「は!?」
『断罪』などという物騒な言葉に驚き、シルヴァーナは声を上げた。
なぜ突然そんな話になるのだ。
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
「聖女であるなら、今この場で奇跡を起こせ。どんなことでもいい。聖女である証を見せろ!」
(突然なにを言ってるのよ……)
癖のあるハニーブロンドに青い瞳の、顔だけはやたら良いアシュトンは、シルヴァーナを険しい表情で見つめる。
「と、とにかく落ち着いて下さい! 教皇様をお呼び下さい! 一体なんなのですか!?」
「うるさい! 早く奇跡を見せろ!!」
怒鳴るアシュトンにビクリと肩を揺らしたシルヴァーナは、これ以上刺激しちゃだめだと口を閉じた。
ゆっくりと膝を突き、深呼吸する。
(まずいわ……。なんだか、このままじゃ私、酷いことになってしまいそうな気がする……)
唐突に命の危険を感じ、ちらりと背後にいる修道女に目をやると、腰を抜かして恐怖に震えている。
(助けを呼んできてほしいけど、無理よね……)
シルヴァーナは、冷静に対処すればアシュトンも落ち着くはずだと、極力静かな声で訴えた。
「聖女の奇跡は、今起こせと言われも無理です。それが王家を騙していたと言うのなら、教会にまず訴えて下さい。王太子妃の件は、王家からの申し入れです。私の意思ではありません」
「白々しいわね」
ふいに女性が声を発した。なぜか汚らわしい物を見る目つきでシルヴァーナを見ている。
「奇跡は起こせないのか!?」
「で、ですから、そんな突然言われても」
「ならば、やはりお前は偽物だったのだな! よくも私を騙したな!!」
アシュトンは激昂し、腰に下げていた剣を引き抜いた。
驚いたシルヴァーナは、その場から動けなかった。
「偽聖女めが!!」
アシュトンの怒声と共に、腹部に痛みが走る。
(え……?)
視線を下ろすと、アシュトンの剣が自分の腹に突き刺さっていた。
「嘘でしょ……」
その間抜けな言葉を最後に呟くと、シルヴァーナはその場に倒れた。
新連載です。よろしくお願いします!