ゴネたのは誰ですか?
ゴネたのは、誰でしょう?
気が付くと、どこへともなく続く、長く暗い通路を歩いていた。どうやら俺は死んだらしい。
ふつくしい嫁様に先立たれてから、それまでの濃密な日々を振り切れずに淋しい病にかかったりもした。最期は勢い余って腹上死ゲフンゲフン。ま、まあ、こんな年寄り相手にしてくれたからってチップも弾んだし、あのエリカちゃんならきっと上手くやってくれただろう、うむ。
孫の結婚式まで見れたし、特にヤリ残したことも思い残したことも無いな。仮にあったとしても、死んだ後のことなんてどうにもならんしな、はっはっは。
死んだらどうなるんだろう、という、誰もが持つであろう疑問、漠然とした不安は、結構な歳まで生きたこともあり、生前からあった。実際死んで?みると、何のことはない、良く分からんところを歩いていた。取り敢えずは独りでこの通路を歩けということなのだろうか。遠くに明かりのようなものが見える。背後には、明かりはない。というか、いい感じで歩けるんだな、俺。暫く感じていなかった足の感触を噛みしめながら、俺は明かりを目指し通路を歩いていった。
どれくらい歩いただろうか、俺は、いつの間にか広場だかホールだか、開けた場所に出ていた。何やら人が大勢いる。受付みたいなところがあり、そこでひとりずつ話をしているようだ。
「あ、あなたこっちに来て」
事務員ぽい男性に導かれて、俺は席に座った。
「はい、あなたお名前は?」
「えーっと」
誰だ、あんた。俺は不信感丸出しの視線を彼に投げた。
「あ、すみません。いきなり名前を聞かれても怪しいですよね」
そう言って、事務員擬き改め佐々木さんは、俺にこの状況の説明をしてくれた。それによると、ここは死んだ人がやってくる場所のひとつらしい。無作為に選ばれた死人がやってくる場所で、死んだからと言って必ず来るわけではない、とのこと。
受付では懺悔よろしく生前の話とかヒアリングされてるのかと思いきや、そうでもないようで。
「ですから、山本さんは選ばれた方なんですよ」
ニコニコしながら佐々木さんは言ったが、俺はそういうのを何と言うか知っているぞ。
「それって、当選詐欺の類ですか?」
「え?」
「むしろそれ以外に考えられませんね」
解説しよう!当選詐欺とは、突然何かの抽選に当選したかのようにメールなどで連絡してきて、引っ掛かったおっさんをホイホイする手法の詐欺のことである。何に当選するかは色々で、買ってもいない宝くじ、知らない富豪の遺産分配、果ては孫より若いアイドルとの交際権まで、バリエーションが多くて飽きが来ないのが良いところだ。
「いや違いますよ」
ムキになって否定する佐々木さん、怪しい。
◇◇◇
「ですから、転生か転移か選べるんですよ、どっちも特典付きです」
俺は佐々木さんの何だか良く分からないプレゼンを聞いていた。何やら別の世界に行くことが出来るらしい。さりげなく近くの席を窺うと、他の人たちも似たような話で盛り上がっている。中には興奮している人もいるようだが、俺は騙されないぞ。
「これって、盛り上げて契約させる催眠商法ですか?」
「いや違いますから、ちょっとは人の話を聞いていただけませんかねぇ山本さん!」
佐々木さんが突然語気を強めた。これはこれは。
「都合が悪くなったら今度は恫喝ですか、安っぽいドラマとやることが同じですなぁ」
おじいちゃんは騙されないぞ、可愛い孫の名に懸けても。昔、ぼったくりバーで二重の意味で痛い目に遭ったからな、そう簡単には逝きませんわい。
◇◇◇
周囲の受付は既に何巡かしていたが、俺に対する佐々木さんのプレゼンはまだ続いていた。
「分かりました、体験、お試しでどうですか。クーリングオフも付けましょう」
お試しなら、そもそもクーリングオフっておかしいですよ?佐々木さん。
「いや、別に生きることに未練もないので、行きたそうな他の人に譲るとか、出来ないもんなんですか」
「それが出来るなら、私もここまで粘らないです」
ああ、粘ってる認識はあるのね。
「行きたくなる動機、動機、女、女ですか。特典でご紹介しますよ、1人と言わず、何人でも。何?相手の機嫌取るのが面倒臭い?では愛玩奴隷なんて如何ですか?え?人権団体にいた俺に喧嘩売ってるのかって?いえいえ、そんなことは」
佐々木さんの話はまだまだ続く。
「お願いしますよ山本さん、私を助けると思って。今月実績積まないと不味いんです私。え?知らないって?困ってる若人に手を差し伸べてくれたって良いじゃないですか」
なんでこの人こんなに必死なんだ、意味が分からん。
◇◇◇
俺と佐々木さんとの会話は延々と平行線を辿った。どれくらい時間が経っただろうか、見かねたのか、上司っぽいのが出てきた。
「あー、山本誠二さん、でよろしいですか?」
「はい、そうですけど」
念のため、ということで、名前だけではなく、生前の住所と生年月日、娘や孫の名前もフルネームで言われたが、確かに合っていた。どこから漏れたんだ個人情報。
「本来なら伝えてはいけない決まりなんですが、先ほどから全然話が進んでいないようですし、こちらも後が無い、いや失礼、押してますので、特例的にこれだけお伝えさせていただきます」
「はあ」
何がどうなのか良く分からんが、何だか重要なことを聞かされる雰囲気になっている。上司さんは、努めて無表情に、言葉を続けた。
「とある女性から、あなたが来たら『是非』伝えてほしいと、いや、必ず伝えるようにと命令、いや依頼をいただきました」
ん?何か話の流れが怪しいな。とある女性?カオリちゃんだろうか、それともユリちゃん?エリカちゃんは、流石にまだだろうしなぁ。そもそもお迎えが来てるような年齢で、深い知り合いの女性って、ひとりしか。
…あ。
「では、そのままお伝えしますよ。『どうせあんたのことだから散々ゴネてると思うけど、私との約束を忘れていないなら、返事は分かって「分かりました、そのお話、謹んでお受けいたします」
食い気味に被せた俺の返事に、一瞬呆けた上司さんと佐々木さんだったが、どちらともなくほっとした様子で俺にお礼を言い始めた。
「あ、いや、ありがとうございます。本当に、ありがとうございます。お礼に可愛い女の子でも付け」
「いやそれは欲しいけど凄く欲しいけど要りません」
「…うん、何となくですが気持ちは分かります、山本さん」
上司さんと俺は握手を交わした。応対したのはこの人だったのだろうな、きっと。初対面にも関わらず、認識を共有している、まるで戦友のような、そんな雰囲気であった。
◇◇◇
かくして、佐々木さんに一言詫びた後、一人の老人がとある世界へ転生していった。その表情は、戦地へ赴く兵士のような、それでいて懐かしく愛おしい存在に畏怖するような、複雑な表情であった。
「あ、あの世界って」
「皆まで言うな、本気で戻ってくるぞ。『あの人』ならやりかねん」
「は、はい」
何故『彼女』は無作為抽出なのに彼が来ることを確信していたのか、何故上司は今まで一度も破ったことのない規則を無視してまで彼を転生させたのか。ヒラの佐々木さんには分からないことが多すぎた。
が、若干顔色の悪い上司を横に、彼は密かに思った。
死ぬほど愛されるってのも、考えものかもしれない。
一番ゴネたのは誰だったか、分かったよね?