土砂災害、そして、少女の行方は
***
一方、土砂の下敷きになった『水車の家』では。
「土の精霊よ、我に御加護を。”ダート”!」
レンジが呪文を唱えると、家の半分を飲み込んでいた土砂がズズッと独りでに家から離れていった。
「おおっ!」
「流石、レンジ先生だぜ!」
歓声を上げる村人達に、
「今のうちに家の中の人間を助け出してくれ!土砂がまた流れてこないとも限らん!」
とレンジは呼びかけた。
「分っかりました!」
「家の中に入れるところがないか探せ!」
「壁も壊しちまえ!」
村人達が半分潰れた家に集まり、土で汚れた壁やドアを次々と剥がしていった。
やがて、
「誰がいたぞ!」
「早く引きずり出せ!」
「梃子を使え!ここの壁を持ち上げるぞ!」
全員が力を合わせ、家の下から無事1人が救出された。
「ブルームだ!」
「おい、大丈夫か?!」
村人達が口々に呼びかけると、
「ウ゛ゥ……!」
全身泥まみれの苦悶の表情を浮かべているが、とりあえず息があることだけは分かった。
「かみさんと子供たちがまだ中に居るはずだ!ぼやぼやするなよッ!」
ダンカンが怒鳴り声を上げて、すぐに家の捜索は再開された。
その間も、レンジは家の付近に溜まっている土砂を家から離れた位置に移動させていき、救助しやすいようスペースを作っていく。
「こっちにもいたぞー!」
まだ家の原型が残っている所から救助されたのは、
「た、たすかっ……!」
「う……うえぇ……!」
小さな男の子を守るように抱き締めたまま、女性が救助された。
よほど怖かったのだろう、2人とも泥まみれの顔に涙の筋がいくつも作られている。
「これで全員か?!」
レンジが近くの村人に聞いたちょうどその時。
「レンジ君、フィーちゃん!」
***
マリーさんに案内され、私とセインは土砂崩れの現場に到着した。
「あの氷の橋、フィーちゃんが作ったの?凄いね!」
「ありがとうございます!」
フィーちゃんは嬉しそうに微笑んだ。
この嵐の中でも氷でできたアーチ型の橋は雨に煌めき、土砂崩れのことがなければ幻想的でいつまでも見ていたいくらいだった。
正直、橋を渡るのはかなり怖かったけど、意外なことに橋は全く滑らず、普通の橋を渡っているのと変わらないほど安定していた。
「怪我人は?」
セインがレンジ君に尋ねた。
「この家の主人であるブルーム氏の意識がはっきりしていない。奥方と子供は意識があり、目立った外傷はなさそうだ」
とレンジが説明した。
「私が出血がないか確認するから、セインは待っていて!」
必要であれば先に止血しておかないと、セインが倒れて治癒魔法をかけられなくなってしまう。
私が先にブルーム一家の様子を見に行った。
すると、
「リタはどうした?!」
「この中にはいねえよ!ブルームがいた方にはいなかったのかよ?!」
家の中を確認していた村人達が次々に騒ぎ出すのが聞こえた。
「どうした、誰かいないのか?」
レンジ君が尋ねると、
「ブルームん家は4人家族なんでさあ!息子のロンはかみさんといるけど、娘のリタが見当たらないんです!」
とダンカンさんが代わりに説明した。
(そう言えば、マリーさんが4人家族だって言ってたっけ)
私が確認した家族は、ブルームさんとその奥さん、そして、幼い息子君だ。
「セイン、とりあえず出血はなさそう。治癒魔法をかけて大丈夫よ!」
ユーリがセインを呼びに来た。
「ありがとうございます!」
セインと入れ替わりにユーリがレンジ達の方に近づいた。
「そう言えば……ジークはどうしたの?」
辺りを見回しても、あの偉丈夫のエルフの姿が見当たらない。
この視界が悪い場所でも目立つ体格なのに。
「お兄様は川の中ですわ」
「はいっ?!」
衝撃発言に声が裏返る。
「フィー、さすがにその説明では分からないと思うぞ」
レンジ君が横から口を挟んだ。
「実はここに到着したときに、ジークが『川に子供が流されている』と言い出して、川に飛び込んだんだ」
「ええっ!」
いや、レンジ君の追加説明でもちょっと理解しがたいんだけど!
「この水かさが増して荒れ狂っている川の中を?!レンジ君も子供が溺れているの見たの?」
「いや、僕は全く分からなかった」
レンジ君は首を横に振った。
「私もわかりませんでしたわ。ですが、お兄様は恐らく『聞いた』んだと思います」
「『聞いた』っていうのは、子供の声を?」
雨風は少し弱くなってはいるけど、いまだに雨粒はビシバシ顔に当たってくるし、いつもより意識して声を出さないと風にかき消されそうだ。
この状態で、誰も気づくことができない溺れている子どもの声を聞いたということ?
「お兄様は風属性魔法を利用して些細な音や気配を全て耳で捉えて周囲の環境を把握しているのです」
「え、全てって……全部の音が聞こえてくるっていうこと?」
フィーちゃんは頷いた。
「お兄様はヴィザールの大森林で魔物を討伐するお仕事をされていました。森の中は木々が多く立ち並んでいるため視界が悪く、魔物の襲撃やお仲間の様子などを聴覚で把握した方がより速く正確だったらしいのです。さらに風も操ることで、より広範囲の音を拾うこともできるようになったと仰っていました」
「じゃあジークは、風属性魔法で拾った全ての音から周囲の情報を瞬時に把握しているっていうこと?!」
「なんと……!」
流石のレンジ君も絶句している。
いや普通にスゴすぎだし、ジークって実はメチャクチャ頭いいんじゃないの?
情報処理能力がとんでもなく高くなければ、音を全部拾った時点でまず頭がパンクするわ。
「ちなみに、ジークは目が悪いのか?」
レンジ君が質問した。
「いいえ、お兄様は木の葉に隠れた果実もすぐに見つけることができますから、視力はむしろ良いと思います。ただ……何故か分からないのですが、文字だけは判別ができないようなのです」
レンジ君の云わんとすることを察したのだろう、フィーちゃんは付け加えた。
「判別できない、か」
「それについては後で考えましょ。それよりも、ブルームさんにお子さんのこと確認しないと!」
「そうだな」
3人でセインとブルーム一家に近づくと、
「どうしましょう!リタがは一体どこへ行ったの?!」
完全にパニックになった奥さんの肩をマリーさんが宥めるように撫でた。
「お姉ちゃん……いないの?」
弟のロン君も不安そうに大人たちの顔を見上げている。
「土砂崩れが起こるまでは、一緒だったんですか?」
治癒魔法をかけられ、意識が回復したブルームさんにセインが尋ねた。
「はい、ちょうど夕飯を食べてたんです。だけど、突然凄まじい地鳴りみたいなものが聞こえたと思ったらッ……あっという間に目の前が真っ暗になって……!」
ブルームさんがガシッとセインの腕を掴んだ。
「せ、先生ッ!娘は、リタは、大丈夫なんですかっ?!」
必死の形相でブルームさんはセインに縋りついてきた。
「申し訳ありませんが、私のほうでは何とも……」
セインは困惑した様子で答えた。
ついさっき到着したばかりなんだから、そうとしか言いようがないよね。
「川の方に押し流されたか?」
「どうするよ。夜だし、この流れじゃあ、川の中を探すこともできねえよ」
「朝になるのを待つしかないのか……?」
他の村人達も困惑したように顔を見合わせていた。
「レンジ君、何かいい案ない?」
「そう言われてもな……」
さすがのレンジ君も難しい顔で考え込んでいる。
だが、
「大丈夫ですわ、ユーリさん」
ここでフィーちゃんがはっきり断言した。
「フィーちゃん?」
「お兄様なら、きっとその子を助けてくれますわ」
「なぜ、そう言い切れるんだ?」
レンジ君も尋ねるとフィーちゃんはニッコリ笑った。
「だって、お兄様ほど風と水に愛されたエルフを私は知りませんもの」
その時だ。
「おーい!そっちはどうなってんだよ!」
氷の橋の向こうからこちらに声をかけてくる人物がいた。
「お兄様!」
「ジーク!」
橋を渡ってきたジークにフィーちゃんが駆け寄り、私やレンジ君もジークに近づいた。
「君、今まで何をしていたんだ!」
レンジ君が聞くとジークは面倒くさそうに、
「だから言っただろ。ガキが流されたから、助けに行くってよ」
と腕に抱いていた少女を少し持ち上げた。
「おい!なんでジークがリタを抱えてんだよ!」
ダンカンさんがジークの腕に抱えられた女の子を見て大声を上げた。
「川ん中で探しまくってよ、気づいたら結構下のほうまで流されてたぜ。おい、セイン!」
ジークはセインに声をかけた。
「大丈夫だと思うけどよ、こいつケガしてないか見てくれ!」
「わかりました!」
ジークはセインに近づき、腕の中の少女を優しく地面に下した。
「リ……リタッ!」
「お姉ちゃんっ!」
ブルームさんとロン君が驚きと喜びの混じった声を上げ、
「リタッ!ああ……本当に、よかったっ!」
リタちゃんのお母さんは娘に駆け寄り、力一杯抱きしめた。
「お母さんっ!」
家族が無事でホッとしたのか、リタちゃんも顔をクシャクシャにして泣き出した。
「本当にッ……本当に、ありがとうございます!」
泣きながら、リタちゃんのお母さんはジークに何度も頭を下げた。
「ありがとう……お兄ちゃん」
リタちゃんも嬉し泣きの顔でジークにお礼を言った。
ジークは一瞬決まり悪そうに頭をかき、
「別に……どうってことねえよ」
と顔を赤らめながらそっぽを向いた。
「やるじゃねえか、ジーク!」
「どうなるかと思ったぜ、ホントによ!」
ダンカンさんがバシッとジークの背中を叩き、周囲の村人も集まってきた。
「うっせ!別に、大したことじゃねえよ!」
素っ気ない口調だけど、どこか嬉しそうにジークはもみくちゃにされていた。
「フィーちゃんの言う通りだったね。本当にジークがリタちゃんのこと助けたんだから!」
「はい!流石、お兄様ですわ!」
レンジ君はじっとジークを見つめている。
「どうしたの?」
「……どう見ても僕と彼とでは全く共通点がない。にもかかわらず、彼を見ると祖国にいたときの自分が映し出されるような嫌悪感を抱く」
考え込むようにレンジ君はゆっくりと呟いた。
「少なくともジークには落ち度がない。これは僕の問題だ……十分頭では理解できているのに」
(レンジ君……)
このドワーフは誠実で真面目だ。
だからこそ、ジークに対して苛立ちを覚える自分が許せないのだろう。
「あのさ、レンジ君。多分なんだけど……」
そう話しかけた時だった。
ゴゴゴォ―――!
「ッなんの音?!」
轟音が鳴り響き、
「土砂だ!」
「また崩れて来やがったのか?!」
再び土砂崩れが押し寄せてきて、その場の全員が浮き足立った。
―――いや、1人を除いて。
「土の精霊よ。汝の加護を以て、彼者を大地に縫い止めよ。"アース・ニードル"!」
高らかと呪文が唱えられ、なだれ込んできた土砂の前に土の棘が柱のように幾つもそそり立った。
「フィー!川に氷の橋を追加で増設できるか?!」
レンジ君が呼びかけるとフィーちゃんは弾かれたように、
「は、はい!」
と返事をした。
「レンジ君!私も障壁を立てるから!」
「ああ、頼む!」
2人で土砂を食い止めている間に、氷の橋が追加で2つ作られ、
「皆さん、お早く!」
フィーちゃんに促され、村人達は急いで橋を渡って行った。
「ガキどもは俺が連れて行く!」
ジークはリタちゃんとロン君を腕に抱え、なんと一足飛びで対岸に降り立っていた。
運動神経が半端ない。
「ブルームさん、肩に掴まって下さい!」
「俺も手伝います!」
セインとダンカンさんがブルームさんを支えた。
そして、私、レンジ君、フィーちゃんだけとなり、
「私が棘ごと土砂を凍らせますから、ユーリさんは光の障壁を解除して下さい!」
「了解!」
障壁が消えたと同時に間髪入れず、
「"アイス"!」
フィーちゃんが呪文を唱える。
すると、
ピキピキピキッ―――!
水を大量に含んだ土砂に凄まじい冷気が当てられる。
やがて、氷河のように凍り付いた土砂が静かに存在していた。




