Karte.92 道徳の時間、そして、ジークの本音
「……なるほどぉ」
セインに向けていた視線を、今度は睨み合っている2人に向ける。
(これは、ジークが悪い……のかなぁ?)
話を聞く限り、ジークによる盛大な空回りが繰り広げられたのではないかという気がする。
(ジークとしては、釣りをしているレンジ君達に魚をプレゼントした感覚なんだろう。実際、ティム君は喜んだみたいだし)
だけど、レンジ君は違う。
(レンジ君は魚が欲しいというよりは、釣りをすること自体が楽しいわけだからなぁ。レンジ君にしてみれば、ジークは釣りの邪魔をしただけでしかなかったんだろうね)
以前レンジ君に釣りが好きな理由を聞いたことがあるが、
『魚を釣りたいという気持ちもあるが、それ以上に、釣りをしながら取り留めもなく考えを巡らせるのが好きなんだ』
と言っていた。
こういう無為の時間がレンジ君にとってはとても貴重であり、だからそれをぶち壊したジークに腹を立てたわけだ。
(まあ、このまま放置しておくわけにはいかないよね)
「ジーク。話し合っているところ悪いんだけど、さっき採ってきた薬草の処理を手伝ってくれない?」
と話しかけた。
「あぁ゛ッ?!なんで、俺が」
「い・い・か・らっ!」
と何か文句を言いかけてきたが、有無を言わさず押し切った。
「……わぁったよ」
渋々頭を掻きながらだが、ジークを診療所に連れていくことに成功した。
診療所で売っている薬は、採取した薬草を乾燥させたり煮たりしてから、丸薬にしたり、軟膏にしたり、粉薬にしている。
今からするのは、薬草の葉っぱを茎から外し乾燥させる準備をするのだ。
ちなみに、薬草についている汚れは浄化魔法でキレイさっぱり無くなっている。
「……つうかよ、釣りしてんだったら魚を大量に欲しいもんなんじゃねえのかよ。あのティムとかいうガキはめちゃくちゃ喜んでいたのによ」
葉っぱを外しながら、ジークはブツブツ言い始めた。
「まあ、価値観は人それぞれだからね」
ジークに相槌を打ちながら私も処理を進める。
「レンジ君は魚が欲しいと言うよりも、釣りをしている時間が楽しいんだって。だからジークはレンジ君の楽しい時間を邪魔したような感じになっているのよ」
「釣りをするのが楽しくて魚がどうでもいいなんて……訳分かんねえ」
「別に分かり合う必要はないけど、『そういう考えをする人もいる』って思うのが大事なんじゃない?」
「……」
考え込んではいても、ジークの手だけはしっかり動いている。
(というか、これは道徳の時間?私、小学校の先生的な?)
と、失礼なことを思わないでもない。
「ジークはさ。レンジ君のこと、どう思ってるの?」
この際、気になっていることを尋ねてみた。
「……ぶっちゃけ、苦手だよ」
ボソッと、呟いた。
「アイツ見てると、ヤなこと思い出しそうになるから」
「イヤなこと?」
レンジ君から連想するイヤな思い出って、どういうこと?
「城に住んでたときのことだよ。はっきり言って地獄だったわ。正直、王族辞めさせられたのも、むしろ清々したくらいだったしよ」
「姉があれじゃあね……」
そればっかりは心から同情する。
「あの女もだけど、ババアにも、城の連中にも、散々バカにされまくってたからよ……違うって分かってても、ああいう頭が良さそうな話し方しているヤツがいると、なんつうか……」
「身構えちゃう訳ね」
と代わりに言うと、ジークはチラッと私を見た。
「……俺の治療をしているときにアイツはリオディーネと戦ってくれたし、森で意識飛んでた俺を背負って運んでくれたっていうし。上手くやれたらとは思ってるんだけどよ。なんか、怒らせてばっかだし……」
(やっぱりジークとしても、レンジ君に嫌われたい訳ではないのよねえ)
私が気になるのはむしろ、ジークに対するレンジ君の態度だ。
初対面の時から思っていたが、この2人は正反対の性格だ。
レンジ君は頭で考えてから行動するタイプ、ジークはとにもかくにもまず行動のタイプ。
でも、エルフ兄妹の黒死病治療の一件で、ジークが良い意味で全然エルフっぽくない、むしろ優しくて情に深いことがよく分かった。
それに、レンジ君は確かに頭が良くて天才だけど、それで他人を見下すような発言や態度を取ることは全くないし、ジークのような性格の人とも上手く付き合うだけの処世術も兼ね揃えている。
なのに、なんでここまでジークとは険悪になってしまうのか。
(ジークはレンジ君のことを苦手だと言っていた。イヤなことを思い出しそうになるからって)
だとすると、レンジ君もジークを見ると気が立ってしまうような事情があるとか?
「……もし、嫌じゃなければでいいんだけど」
ジークが私の方に顔を向けた。
「ジークはなんでお城を追い出されたのか教えてくれない?」
すると、
「……ッ!」
途端に思いつめたような顔つきになった。
「あっ、ごめんね!言いたくなければ言わなくていいからっ!というか、忘れて!」
慌てて謝ると、
「……別にもう何十年も前のことだし、俺ももう、あの国とは縁切ったしよ」
それでも、言った方がいいのか、でも言いたくないような、逡巡する様子を見せてきたので、
「本当に言わなくていいから。そこまで踏み込んでいい資格は私にはないよ」
「でも、俺はお前に命助けてもらったし……」
「命救ってもらったからって、何でも言うこと聞かなきゃいけないわけじゃないでしょ!」
と、むしろ質問した私がジークに答えないよう説得する羽目になった。
「ま、まあ。レンジ君とのことは、私達も間に入って上手くできるように考えるから、気長に付き合っていけばいいよ。ジークはエルフで長生きなんだから、時間はたっぷりある訳だし」
ちょうど薬草の下処理も終わったので、茎の部分を集めて束にし、後片付けを始めた。
片づけを手伝ってくれながらも、ジークはまだ考え込んでいるようだ。
「手伝いありがとね。そろそろ、リビングに戻ろうか」
と声をかけた。
「……読めねえんだよ」
「えっ?」
「字が……読めねえんだ」
絞り出すようにジークが小さい声で言った。
「……自分でも分からねえんだけど、ガキの頃から、文字が全然読めなくて。当然、字も書けなくて。だから、そんな恥晒しは城には置いておけねえって……追い出されたんだ」
グッと拳を握り、俯きながら話し、私の方を見ようとすらしない。
その様子だけでも、ジークがどれだけ勇気を出して私に打ち明けたのかがよく分かった。
「ひょっとしたら少しは読めるようになってんじゃないかって思うことがあるけど、やっぱ全然ダメなんだわ。今でも……自分の名前すら読めねえし、書けねえんだ」
「そうだったんだ……」
(字が読めない……か。確かにそれは、王族として……というより社会を生きるにあたって、かなり致命的よね)
なるほど。
これは黒死病とは別で、ジークにとってはかなり根深い問題のようだ。
今度は私が考え込み始めると、ジークがこちらを窺うように見てきた。
「……バカにしねえのか?」
「何が?」
「だってよ、王族のくせに、100年以上生きてるくせに、文字が読めないなんて……おかしいと思わねえのかよ」
「別に思わないし、むしろ、バカにする理由が分からないんだけど」
「―――ッ!」
目を大きく見開くジークに、
「ただ、この件についてセインにも相談させて欲しいと思っているんだけど、いい?」
とセインにも話していいかを訊ねた。
「それはいいけどよ……」
フッと強張ったジークの肩から力が抜けていくのが見て取れた。
「どうしたの?」
「……いや」
私の方を見たジークは、どこか眩しいものを見るかのように目を細めた。
「お前って、ホント変わってんなって思ってよ」
一言何か言ってやろうかとも思った。
だけど―――
ジークの顔があまりにも嬉しそうだったので、何も言わずに黙っておいた。




