Karte.90 エルフ兄妹のこれから、そして、やっぱり仲悪し
ジークさんの手術をしてから数日が経った。
皇女様の献身的な看病と、もともと体がとんでもなく丈夫だったということもあり、目を覚ました翌日には熱も下がり、体力の回復もとんでもなく早かった。
こちらとしては、初めての開心術ともあって術後の経過は慎重に見ていたが、それも全く問題なかった。
(これは、治癒魔法がめちゃくちゃ優秀だからと言わざるを得ないわ)
術後の創部経過や合併症の問題をここまで心配しなくていいなんて、前世では信じられないことだったけど。
そうそう、皇女様の髪がボブの長さにまで短くなっていたことに、ジークさんがショックを受けていたのは意外だった。
女性の髪の長さなんて無頓着だと思っていたのに、妹が関わると本当に目敏い。
最も、当の本人は、
『髪なんて、また伸ばせばいいのですわ』
と朗らかに笑っていて、その姿にもジークさんは驚いた顔をしていた。
そして、皇女様もジークさんも問題なく家の中を歩き回れるようになった頃。
「ところで、お二人は今後どうされるつもりですか?」
私とセイン、レンジ君が封魔石を作り、ドラコと遊んでいる皇女様をジークさんが眺めているという具合に、リビングで集まっていた。
2人のエルフはセインの方を向き、そしてお互いに顔を合わせた。
「確かに黒死病の治療経過も問題ないし、そろそろこれからのことを考えた方がいいかもしれませんね」
私も頷いた。
なんせ2人は死んだことになっているわけだからティナ・ローゼン精霊国には戻れないし、そうするとこの国での身の振り方を考えた方がいいだろう。
「フィーが決めていいぞ」
ジークさんは言った。
「お前がこの村にいたいって言うのならそれでもいいし、この村を出て他の所に行きたいって言うなら付き合うし。お前に合わせるわ」
「えっ、よろしいのですか?」
驚いたように皇女様が言うと、
「俺は別にどこにいても構わねえよ」
と、鷹揚な答えが返ってきた。
皇女様は少しの間考えると、
「ユーリ様」
と私に声をかけてきた。
「はい、なんですか?」
「私の氷魔法は、黒死病の治療に役立つことができるのでしょうか?」
真剣な表情で尋ねてきた。
「正直に申し上げると……非常に役に立つと思います」
「本当ですか?!」
「今回のジークさんの治療でも、低体温の状態にできたからこそ、心臓を停止させても脳や他の臓器への障害を防ぐことができました。しかも皇女様は氷魔法によって緻密な体温調整が可能であり、その温度をずっと保つことができます。心臓だけでなく他の臓器に黒死病の核があった場合でも、きっと有用な場合があると思います」
『冷却する』さらに、『凍結させる』という手法は、組織の保護という点で実に便利なのだ。
「でしたら……」
皇女様は一呼吸置いて、
「私も、ユーリ様達の黒死病の治療をお手伝いしたいと思います」
決意を込めた眼差しを私に向けてきた。
「私はとってもありがたいんですけど……よろしいんですか?」
「はい。今回のことで、私は本当に役立たずだったのだと痛感しましたの」
皇女様は自嘲気味に眉を下げた。
「祖国にいたときは母や姉の言いなりでしたし、黒死病を発症してからは、お兄様と、そしてあなた方のお手を患わせることしかできませんでした」
「いや黒死病は仕方ないんじゃないですか。別になりたくてなるものではないんですから」
ティナ・ローゼン精霊国にいたときについては分からないけど、これまでの話を聞く限り、あの姉や会ったこともない皇帝である母親にかなり問題があったのではないかと思う。
すると、
「……ユーリ様は、本当に不思議ですね」
と苦笑されてしまった。
「薄情なことですが、私は今まで黒死病を発症した者を助けようだなんて思いもしませんでした。『精霊に見放された異端者』だから仕方がないと、心のどこかでそう思っていたんです」
皇女様は目を落とした。
「以前、祖国では黒死病患者が処刑されるとお話ししたとき、ユーリ様は仰いましたよね?『自分だって黒死病になるかもしれないのに有り得ない』と。本当にその通りですわ。私も黒死病を発症し、そして、思い知りました。この病魔の壮絶な苦痛と……それ以上の孤独と絶望を」
皇女様はチラッとジークさんを見て、
「ありがたいことに、私にはお兄様が傍にいて下さいました。例え黒死病になっても、お兄様が決して見捨てずにいてくれたから、私はそこまで孤独に苛まれずに済んだと思います」
再び目を下に落とし、手を強く握り締めた。
「本当に……本当に私は愚かだったのです。死に致る病を発症するだけでも辛く恐ろしいことなのに、発症したことを責められ、平穏な生活を失い、迫害されてしまう。それがどれほどの絶望なのか、少し考えれば分かることだったのに。そして王族として産まれた私には、その状況を変える力を持っていたのに」
「皇女様……」
あまりにも悲痛な物言いに、何と声をかければいいか分からなかった。
「……分かります」
ずっと黙って聞いていたレンジ君が口を開いた。
「僕も貴女と同じでした。ガルナン首長国では黒死病患者は国外追放される。そのことに、太子として何の疑問も持たずに生きていました」
そう言えば、坑道に一緒に閉じ込められたときにレンジ君も言ってたっけ。
『僕自身も、かつて黒死病を発症した同胞達を憐れむことなく見放してきた。その報いが今度は自分に回ってきたのだ』
「そしていざ自分が黒死病を発症したときに愕然としました。貴女と同様、例え治療する術を持たなくとも、黒死病患者を突き放す以外の方法を王族として考えるべきだったとのだと……本当に後悔しかありませんでした」
「レンジ様……」
レンジ君は皇女様を気遣うように見つめ、そして私とセインを見た。
「黒死病を治療してくれたことは言うまでもありません。ですがそれ以上に、赤の他人である僕を最後まで見捨てずに助けようとしてくれたこの2人には感謝の気持ちしかなかった。だから、僕も黒死病を知るため、同じ過ちを繰り返さないため、この2人を手助けしようと思ったんです」
(やっぱり真面目だし義理堅いんだよね、レンジ君って)
せっかく多忙な王族生活から解放されて自由気ままに生きられるというのに、こうしていつも、惜しむことなく私達を助けてくれるんだから。
ついでに私の失言もなんだかんだいって許してくれるし。
「……私が不甲斐ないばかりに王族としては何もできませんでした。ですが、私達があなた方に救って頂いたように、今度は私も同じように絶望の淵に立たされている方を助けたいんです」
皇女様は居住まいを正し私達の方を向き、
「どうか、私もお手伝いをさせて下さい。お願いいたします」
なんと、再び頭を下げられてしまった。
「いえっ、皇女様!だから、どうか頭を上げてッ」
「皇女ではありませんわ」
慌てた私にフッと微笑み、
「私は祖国では、すでに死んだ身です。当然もう王族ではありません。今の私は……地位も何もない、ただのエルフですわ」
キッパリ言い放った。
(り、凛々しいなぁ……)
これだけ潔いとむしろ清々しい。
「ええと、では何とお呼びすれば……」
セインが怖ず怖ずと尋ねた。
「……『フィー』と」
ニッコリ笑いながら、
「そう呼んでいただけると嬉しいです」
皇女様…もとい、フィーさんはそう言った。
私とセイン、レンジ君は目を合わせ、
「だったら、私のことも『様』づけは無しにしてもらえると嬉しいです。やっぱり何だか落ち着かないので」
「ユーリさんに同じく」
「僕もとうに王族ではありませんから、過剰な敬称は不要です」
と口を揃えた。
「承知しましたわ。ユーリさん、セインさん、そして……レンジさん」
(……ん?)
一瞬だけど、レンジ君の名前を呼ぶとき少し躊躇いがあったような。
だけど、すぐに、
「皆さんもどうぞ砕けた形でお話して頂いてよろしいですから」
上品な笑顔に戻った。
「だったら、私もタメ口にさせてもらうわね……フィーちゃん」
もともと敬語がそこまで得意ではないので、この方が話しやすくて気が楽だ。
ただ、相手は90歳とレンジ君より更に年上だから、『ちゃん』付けはどうかと一瞬思ったけど、
「フィーちゃん!可愛らしくて、いいですわ!」
取りあえず気分を害していないようで安心した。
「だったら、俺も名前は呼び捨てで構わねえし、ぶっちゃけタメ口の方が気が楽だわ」
これまで、フィーちゃんと私達のやり取りを見守っていたジークさん……もといジークも口を挟んできた。
そして私達の方を向き、
「……お前らには本当に世話んなった上に、俺もフィーも命を助けてもらった。どれだけお前らに尽くしても恩を返しきれるとは思わねえけど、俺にできることなら何でもする」
深々と頭を下げてきた。
「どうか、これからもよろしく頼む」
(本当に……この人も、素晴らしいお兄さんだよねえ)
この2人の様子を見ていると、何だか胸の辺りがじんわりしてくる。
ふと、ジークとレンジ君の目が合い、
「その……お前も、悪かったよ……チビとか言っちまって」
きまり悪そうにボソボソと謝罪してきた。
(おお、意外と大人じゃないの!)
と100歳以上年上の人に大分失礼なことを考えていた。
―――が。
レンジ君はフン、と鼻を鳴らし、
「別に君のためにやった訳じゃない」
と恐ろしくそっけない答えを返してきた。
「はあッ?!」
その一言でジークが一気に逆上する。
「んだとテメエ!こっちが素直に頭を下げてやったっつうのによ!」
「誰が君に頭を下げてくれと頼んだ?」
と和やかなリビングが一瞬でピリついた空気となる。
「お、お兄様!どうか、落ち着いてください!」
「レンジくーん!なんでそんなにケンカ腰なの?!」
とにもかくにも、この村に新たにエルフの兄妹が住むことになった訳なんだけど。
このエルフとドワーフ……大丈夫かな?




