Karte.8 戦闘、そして、やるしかない!
ドサッ!
何かが地面に崩れる音に体がビクッと跳ねる。
弾かれたように横を向くと、
「セ、セイン!?」
セインが蹲っていた。
慌てて私も跪きセインの様子を伺う。
「ちょっ、大丈夫?!」
「え、えぇ……。」
ひどい顔色。完全に土気色だ。
口に手を当て吐くのを必死にこらえているようだ。
(無理もないよね。辺り一面魔物の血が飛び散っているし、怪我人もいるし)
気持ちを落ち着かせるようにセインの背中をさすっていると、
「怪我はないか、ヒーラー殿」
剣を腰に納めたカーラさんがこちらに近づいてきた。
ダウンしているセインを一瞥し、わざとらしく溜息を吐く。
「ヒーラーがそのザマとは。そんなことで仕事ができるのか」
「面目、ございません……」
「まあいい。それよりも、見ての通り怪我人がいる。あなたにはすぐにでも治癒魔法を……ッ!」
突然パッと振り返り、流れるように抜刀するが、
「ぐっ、ぅ……!」
「カーラさん!!」
カーラさんの左肩を鋭い爪が抉り、白い巨体が彼女に覆いかぶさろうとする。
紙一重で牙を躱し、カーラさんは新たな敵に油断なく剣を向けた。
「まさか、そんな……!」
「ワイルド・ウルフがもう一体なんて……!」
「だ、団長が!」
部下の兵士達は完全に浮足立っているが、何とか態勢を立て直し2匹目のワイルド・ウルフに切りかかっていく。
だが、
「ぐわァツ!」
「ギャア!」
ワイルド・ウルフの爪や牙を躱しきれない兵士達が次々と倒れていく。
「そ、そんな……どう、しよう……どうすれば!」
《落ち着いてください、ユーリ》
「アイ!」
顔を上に向けても、もちろん何も見えない。
でも、いついかなる時でも冷静なこの声に、思わず縋りたくなってしまう。
「だって、このままじゃ……!」
「ユーリさん……?」
空中に向かってなりふり構わず叫ぶ私に、顔色が最悪なセインが当惑したように視線を向けてくる。
《落ち着いてください。ユーリ》
アイがもう一度語り掛ける。
《結界魔法であれば、ワイルド・ウルフの爪や牙など簡単に防ぐことができます。負傷者の止血も可能です》
「わたし、の……?」
《はい。ユーリが結界魔法を行使すれば、この事態も収束可能です》
わたしの……私の魔法で……!
「グルル……」
「……くっ」
遂に兵士の中で剣を構えているのはカーラさんだけになってしまった。
ワイルド・ウルフの赤く染まった双眸に毅然と対峙しているが、肩で息を吐きながら何とか立っているという様子だ。
特に爪で抉られた左肩の傷は深く、剣を握っていられるのが不思議なほどだ。
(このままじゃ、カーラさんが……!)
魔物が態勢を低くし、カーラさんに狙いを定める。
「グルァァツ!」
「危ない!」
グンッ!
「え。」
足が思わず一歩踏み出た。
そこまでは、いい。
うん、そこまでは分かっている。
でも次の瞬間、急に体が動き、勝手に足が人生で最高速度の脚力を叩き出していた。
「なっ……?!」
「ユーリさん!!」
背中からはカーラさんの驚愕の声が、遠くから私の名前を呼ぶ切羽詰まった叫び声が届く。
「ガァッッ!」
「ひい!」
(な……なんで魔物と、こんなに急接近?!)
知らないうちにカーラさんと魔物の間に自分の体が滑り込んでいた。
アワアワと頭の中が白くなる。
そんな私の驚きに魔物がもちろん構ってくれることはなく。
(あれ、ひょっとして、私、死ぬんじゃ……)
右脚の鋭い爪が、スローモーションで眼前に迫って……
《”ガード”》
……アイの声?
ゴンッ!
「ギャンッ!!」
「ッ!」
目の眩みそうな白い光が現れ、咄嗟に顔を腕で守り目をつぶる。
それと同時に重い衝撃音と魔物の悲鳴が起きる。
恐る恐る目を開けると、
「光の、壁……?」
「なっ……?!」
私とカーラさんを庇うように白く煌めく、半透明の壁が出現していた。
「なんだこれは?!というか、なぜここにいる?!お前、死にたいのか!」
背中ではようやく我に返ったカーラさん食って掛かられる。
「や、そ、そんなこと言われても……」
カーラさんの勢いにたじろぐことしかできないでいると、
「グルアァッ!」
「きゃあっ!」
ドン、という荒々しい衝撃音に思わず首を竦ませる。
いけない、カーラさんに気を取られて忘れていた。
当の魔物は突如現れた障壁にすっかり苛立っていて、目に見えて殺気立っているのが分かる。
(どう見ても怖すぎでしょ!私は争いごととは縁のない、善良な一般市民なんだよ?!)
《だから、落ち着いてください。ユーリ》
怖気づいた私に、若干呆れを滲ませ、アイが話しかけてくる。
《私の独断で結界魔法を発動させていただきましたが、御覧のとおり、ワイルド・ウルフが体当たりしてきてもびくともしません》
確かにアイの言うとおりだ。
魔物は何とか壁を壊そうと、躍起になって体当たりしたり爪を立てたりしているが、『ガード』は全く破られる気配がない。
(でも……でも!このままじゃ、オオカミ倒せないじゃない!私達への攻撃を諦めても、他の人に襲い掛かるかもしれないし!)
そう。
このまま私とカーラさんだけが守られていても、今度はセインや他の人達が魔物の餌食になってしまう。
そうなったら意味がない。
《その通りです》
アイが即答する。
《ユーリにワイルド・ウルフを倒すことはできません。ここにいる者たちの中で唯一倒すことができる者は、カーラという人間だけです。ですが彼女はすでに重傷であり、これまで通り戦うことはできないでしょう》
よって、とアイは続ける。
《あなたが彼女をサポートするしかありません》
(私が?!)
ギョッと目を剥く。
よりにもよって私をご指名ですか?!
《そうです。あなたのもう一つの結界魔法を使えば、止血することも、魔物を拘束することも可能です》
もう一つの結界魔法って……。
背中越しに聞こえるカーラさんの荒い息遣いに、初めて魔法を使った時のことや、この世界で初めて執刀した手術が駆け巡る。
一つ息を吐き、気持ちを落ち着かせる。そして今度は、正真正銘自分の意志でカーラさんに手を向け、
「光の精霊よ、我に御加護を……”ヴェール”!」
「!」
カーラさんの左半身を、光が泡立つ穏やかなさざ波が優しく覆い被る。
光が消えると、
「血が、止まっている…!まさか、治癒魔法を使えるのか?!」
驚きを隠せない様子に、正直に首を振る。
「残念ですけど、私は止血しただけ。治癒魔法は使えないんです。当然、あの魔物を倒すこともできない。だから、カーラさん」
彼女の紫紺の瞳を真っすぐ見つめながら私は宣言した。
「あなたが、あの魔物を倒してください。私が動けないようにしますから」