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聖女、メスを執る  作者: 西園寺沙夜


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Karte.87 ジークの回想、そして、80年越しの約束(前半)

***

「に……げろ……」


自分を庇うように立つ、細く華奢な背中が霞んで見える。


「フィー、を……連れ……た、のむ……ッ!」


だんだん意識が落ちていくのが嫌でも分かった。


(頼む、俺はどうなっても構わねえから!)


(フィーを守ってくれ!)


暗闇に向かって叫んだ声が、あの背中に届いたのかは分からなかった。




『お前は本当に妾から産まれたのかえ?なぜ、この程度の文章も読むことができない?』

―――うるせえ……


『文字もまともに書けないだなんて、まるでケダモノですね。お前と血が繋がっていることを恥ずかしく思いますよ』

―――うるせえ……!


『これ以上お前のような出来損ないを城に置いておくことは、王族の恥を無駄に晒すというもの』


ババアにそう言われ俺は城から追い出され、その上、集落に居つくことも許されなかった。


行きついた先は、ヴィザールの森。


森に生息する魔物が増えすぎないよう始末することが、俺に与えられた仕事だった。


ここには俺の他にもエルフがいる。


生まれつき魔法が使えないヤツ。

魔力操作は使えても、加護がないヤツ。


『ティナ・ローゼン精霊国のエルフは全員加護使い』だなんて大嘘だ。


精霊の加護がなかったヤツが、ゴミのように森に捨てられているだけだ。


そんな連中の中でも、俺は特に異質だった。


王族で、水と風の魔法も使える。

なのに、同胞から見放された異物。


ここでも俺は受け入れられず、いつも独りだった。



『……ここ、どこなのでしょうか?』


森で迷子になってベソをかいていた子供は、噂で存在だけは知っていた、俺の妹だった。


メソメソ泣いたガキの相手なんて面倒で仕方がなかったが、泣き声を聞きつけた魔物が無駄に寄ってくるかもしれない。


だから、本当にただ泣き止ませるためだけだった。

『俺はお前の兄だ』と伝えたのは。


なのに。


パァッ―――


『私にはお兄様がいたんですね!』


ついさっきまで泣いていたと思ったら、急に嬉しそうに顔を綻ばせる。


それは、俺なんかにはもったいない、あまりにも眩しい笑顔だった。



妹は、フィーは時々城を抜け出して、俺に会いに来るようになった。


バカみたいに広いこの森でも、フィーが来れば”風”が教えてくれる。


俺がフィーを見失うことはなかった。


『この本、私のお気に入りですの。もしよろしければ、お兄様も読んでみて下さい』


『俺は……いい』


『そうですか?でも、とっても面白くて』


『いいっつてんだろッ!』


『ッ?!』


ハッとしたときには遅かった。


急に大声を出した俺に、フィーは驚いた顔のまま固まっていた。


『……読めねえから』


『え……?』


『俺は……字が、読めねえんだよ』


そう言うと、さらに目を大きく見開いた。


(ああ、どうせコイツも……)


どうせ、あのババアどもと同じだろう。


大の大人が文字も碌に読めないなんて、バカにしてくるに決まっている。


(俺だって……俺だって、読めるようになれるもんならッ!)


『……でしたら、私が読みますわ』


『え……』


予想外の答えに、思わずフィーの顔を見つめた。


『私が声に出して読みますから、お兄様はどうか聞いていただけませんか?』


『な、なんで……』


なんで、俺をバカにしない?

なんで、俺のためにわざわざそんなことをする?


訳が分からず尋ねると、


『だって、お兄様と一緒に読んだ方が、物語がもっと楽しめるでしょうから』


―――そのときの一点の曇りもない笑顔を、俺は今でもハッキリと覚えている。



その日を境に、フィーは俺に本を読んでくれるようになった。


文字が羅列している紙の束なんて、俺には苦痛でしかない。


フィーが読む文字を見ようと思わない。


それでも俺は、生まれて初めて『本を読む』ことが楽しいと感じた。


『素敵ですわねえ、王子様……』


パタンと本を閉じ、フィーはうっとりとため息を漏らした。


ドラゴンに攫われた姫を取り戻すために王子が困難を乗り越え、ドラゴンに打ち勝つという話だった。


『なあ、なんでドラゴンは姫を攫って、さっさと喰わなかったんだろうな。そうすりゃあ、王子に取り戻されることなんてなかったのによ』


『お兄様!そんな恐ろしいことおっしゃらないで下さい!』


俺が素直な感想を言うと、フィーが悲鳴じみた声を上げた。


『ドラゴンは姫を喰らうために攫ったわけではないのです!』


『じゃあ、なんで攫ったんだよ』


『きっと……ドラゴンは姫のことを好きになったのです。けれど、種族の違う者同士だったから、ドラゴンの想いが姫に通じなかったのですわ……』


それも切ないお話ですよね、と目を潤ませながらフィーが話した。


『でもお前は、姫は王子に助けられた方がいいと思ってんだろ?』


『それはそうですわ!素敵な王子様が命を懸けて戦ってくれるなんて、このお姫様は本当に幸せですわ』


フィーはそっと目を逸らした。


『私も……この王子様みたいに、私のために必死になってくれるような人と巡り会えれば、どんなに素敵なのでしょうね……』


そのときフィーはまだ10歳だったが、自分の立場をよく分かっていた。


あのババアが君臨するこの国ではババアの言うことが絶対だ。


ババアの前では、フィーのことなど二の次、三の次になるだろうし、ババアに逆らってまでフィーのために何かをしようなどと思う野郎はこの国にはいないだろう。


そのことを、幼くてもフィーはよく弁えていた。


『……お前なら大丈夫だ』


『え?』


そっとフィーの頭に手を添えた。


『お前ならこの本の姫みたいに、お前のために命を懸けて守ってくれるヤツにだって絶対会えるよ』


『お兄様……』


『まあ、そんなふてえ野郎がいるって考えるだけ腹立つけどよ。それまでは……俺がお前を守ってやるから』


俺の言うことなんて、ただの気休めでしかないことくらい分かっていた。


どれだけ強がったって、俺もババアに逆らえない野郎のうちの一人だと、腹が立つくらい良く分かっていた。


だけど、10歳の妹に、兄として情けないことなんて言えなかった。


何より。


『……はい!』


この笑顔がいつまでも消えないようにしたい。


本気でそう思っていた。




―――本当は、分かっていたんだ。


フィーが俺と会っていることがバレたら、絶対にあのババアはブチ切れることも。


氷魔法を使える『お気に入り』が、俺みたいな『出来損ない』と連むことを許すはずがないことも。


分かっていた、はずなのに。




『出来損ないの分際で、ソフィアナに付け入ろうとするとは』


いつものようにフィーを城の近くまで送ったその帰りだった。


大勢の衛兵に取り囲まれ、逃げる余裕なんてなかった。


そのまま押さえつけられ、縛り付けられ、地下牢にぶち込まれられ。


散々ボコボコにされ、全身傷だらけになったとき、あのババアがやってきた。


ババアの腰巾着のリオディーネと―――フィーを伴って。


真っ青な顔をしたフィーが俺の元へ行かないよう、性悪女が肩を抑えていた。


『あ……お、お兄……様』


『可哀そうなソフィアナ。こやつはお前が次期皇帝の継承者であることを知り、お前を利用しようとしたのだよ』


『そ、そんな……!』


『よく見ているといい。こやつの見た目はエルフだが……その中身は、愚かで小賢しい、ケダモノよ』


『や、どうか……どうかッ』


(見るな……)


『そなたにはこの国を背負う使命がある。例え同じ血を分けた者とはいえ、この国の害となるのであれば、徹底的に罰を与えなければならないのじゃ』


『ガハッ!』


(見るな、フィー!)


『いや……どうか、どうかッお許しください!』


泣きながら懇願するフィーをババアとリオディーネがほくそ笑んでいた。


(ザっけんじゃねえ、このクソ女どもッ!)


コイツらの魂胆には吐き気がする。


俺にはこれ以上フィーに関わらせないように牽制するため、そしてフィーは……


『お願い致します!もうお兄様にはお会いしませんからッ、どうか、どうかお許しください!』


『お前はまだ幼いからある程度自由にさせておいたが、これからは必要以上に城から出ない方がよさそうじゃ……そう思わぬか、ソフィアナ?』


『……承知いたしました。皇帝陛下のご命令以外にはお城から出ません。ですから……どうかッ!』


『リオディーネ。ソフィアナを連れて、先に戻っておれ。これ以上、このような汚らわしい場所に置いておきたくはない』


ババアは性悪女に命じた。


『承知いたしました、陛下』


ババアに一礼し、俺を思い切り見下した目で見た後、フィーを引っ張るようにして出て行った。


―――フィーが俺の方を振り向くことはなかった。


身動きが取れず、地べたに転がることしかできない俺をババアが見下ろす。


『一度しか言わぬから、よく聞け』


城にいたときに散々向けられた、冷たく軽蔑に満ちた眼差し。


『次にソフィアナに近づこうものなら命はないと思え。お前のような汚らわしいゴミが死んだところで、誰も悲しまぬのじゃからな』


ゴガッ―――!


ババアが手に持っていた杖で殴られたところで意識が途切れた。


『こやつの血で汚れたから、今すぐ捨てておけ』


という言葉を遠くで聞きながら。


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