戦いの終わり、そして、何かが始まる?!
***
「ハァッ……ハァッ……」
空気がキラキラと輝く氷点下の空間で、ソフィアナの荒い息だけが響いていた。
黒死病で失われた体力はまだ取り戻しきれていない上に、膨大な魔力を消費する精霊魔法を発動させたのだ。
正直、リオディーネと交渉しているときも体が何度も倒れそうになった。
それでも、姉の戦意を完全に喪失させるためには、こちらが弱っている姿を絶対に見せる訳にはいかなかった。
だが、それももう限界だった。
フッ―――
足に残っていた最後の力が失われ、ソフィアナはその場に崩れ落ちた―――
―――ガシッ!
地面に直撃しそうになった体が、誰かに力強く受け止められた。
肩を抱き締める手は不自然に硬く、しかも鈍い鉄色だ。
そして自分を見下ろすのは、透き通った琥珀色の瞳。
「……レンジ、様」
「全く……この場にいたのが僕でなければ、完全に凍死していましたよ」
どこか呆れたようにレンジはソフィアナに微笑みかけた。
その顔を間近で確認し、失いかけた意識が一気に浮上する。
「もッ申し訳ございませんでした!」
今更ながら自分のしでかしたことが頭を過ぎり、白い顔が青くなっていった。
「レンジ様がいらっしゃったのに、こんな無茶苦茶なことをしてしまってッ!そ、そう言えば、レンジ様はご無事だったのですか?!」
本当に今更だが、ソフィアナはレンジの安否を確認した。
ソフィアナが精霊魔法を唱え、リオディーネが逃げていった時まで完全に空気と化していたが、レンジは第2皇女の後ろでずっと控えていたのだ。
完全にエルフの皇帝継承に基づいた交渉だったため、最早レンジの出る幕は全くなく、余計な口出しは無用だと考えたのだ。
(最も、皇女の精霊魔法が僕にも等しく直撃したことは想定外だったが)
リオディーネだけでなく、レンジも精霊魔法により凍てつく冷気を直に浴びていた。
だが、リオディーネは全身に凍傷ができてしまったにもかかわらず、レンジは全くの無傷、しかも、この極寒で顔色一つ変えていない。
「恐らく、火の精霊の加護を受けているからでしょうね。火属性魔法で体内で熱のみを発し続けていたため、問題ありませんでした」
どうということない口振りに、ソフィアナはマジマジとレンジを見た。
「レンジ様は、素晴らしい魔法の才に恵まれていらっしゃるのですね」
「それは貴女も同じでしょう、皇女」
レンジは苦笑し、未だ堂々と佇む氷の大木を見つめた。
「実に美しく、荘厳だ」
そして、
「リオディーネ皇女へ示した貴女の覚悟と威厳に相応しい、見事な精霊魔法でした」
ソフィアナを優しく見つめ返した。
トクンッ―――
レンジの眼差しを受け止めた瞬間、ソフィアナの胸が大きく高鳴った。
(えっ……な、何でしょう、一体どうしたのかしら?)
それは産まれて初めて味わう感覚だった。
温度を感じないはずの義手に触れられている部分が妙に熱い。
何度目の今更だかわからないが、抱き留められているのだから当然彼と密着しており、その事実が急に現実味を帯び、身の置き場がないような、だけどずっとこのままで居てほしいような、相反する気持ちが交互に出ては消えてを繰り返している。
何より、改めて間近で見るレンジの整った顔に、成人男性よりは高くとも凛とした声音に、心臓がうるさいくらい鼓動し、顔に熱がこもっていく。
(い、今の私は髪もボサボサで、疲れきっていて、とてもはしたない恰好をしているのに……!)
今の自分の姿をみすぼらしいと思われているかもしれない。
そう思い至った時点で彼に見られていることがこの上なく恥ずかしく、ソフィアナは思わず顔を両手で覆った。
彼女の仕草をどうやら疲労からくるものと思ったらしく、
「お疲れのようですね。無理もありません。早く穴から出て休みましょう」
「きゃっ!」
レンジはそのまま軽々とソフィアナを横抱きにして立ち上がった。
「あ、あの!申し訳ないですから、どうか降ろしてください!きっと私、重たいでしょうしッ!」
動揺して声を上げるが、
「別に重くありませんから、お気になさらず。貴女を歩かせるほうが余程心配ですので」
(彼女の兄を担いだ時に比べれば、造作もないからな)
レンジはそのまま穴の断崖、ユーリが覗いているところまでスタスタ歩いて行った。
だが、所謂『お姫様抱っこ』されているソフィアナの頭の中は完全にパニック状態だ。
レンジとの距離が更に縮まり、しかも自分の頭が彼の肩に寄りかかろうものなら―――
(とても、顔を合わせることなんてできません……!)
鏡を見るまでもなく自分の顔は真っ赤に染まっているだろう。
ソフィアナはそのまま顔を手で隠したまま、大人しくレンジに身を委ねることしかできなかった。
***
「レンジ君、皇女様ッ!大丈夫でしたか?!」
穴の底から地面が柱のようにせり上がってきて、皇女様を抱えたレンジ君が地上に現れた。
「リオディーネ皇女が穴から上がってきたと思ったら、一目散に逃げるように走っていったからビックリしたよ!」
穴から姿を現したときは、またこちらに攻撃を仕掛けてくるんじゃないかって身構えたけど、まるで何かに追われるように切羽詰まっていて、私のことなど眼中にすらなかったようだった。
「まあ、穴の中であったことは追い追い説明するとして……君の方も無事治療が終わったようだな、ユーリ」
「何とかね。皇女様の氷魔法のおかげよ」
と、レンジ君の腕の中にいるソフィアナ皇女の方を見た。
「……どうされましたか?やっぱり、あんなスゴイ魔法を使ったから体調が優れない、とか?」
先ほどからずっと黙ったままの皇女の顔を覗き込んだ。
(無理もないか。歩くのもまだ覚束ない状態だったのに、穴の中に滑り降りていくは、自分の髪の毛を自分で切り取るわ、しかも精霊魔法をぶっ放すわ……とても80年もお城に軟禁されていたとは思えないほどの行動力だったんだから)
すると、急に私に気づいたかのように目を見開いて、
「い、いいえッ!大丈夫ですわ!ご心配おかけして申し訳ありません、ユーリ様!」
とアワアワしながら声を上げた。
「そ、そうですか。それなら安心ですが」
勢いに押され気味で答えると、
「そうは言ってもお疲れなのは変わりない。皇女を連れて先に家の中に入ってくれないか?」
とレンジ君が私に言った。
「レンジ君は?」
「流石にコレを何とかしないと迷惑がかかるだろう?村長や他の村人には上手くごまかしておく」
顔だけ背後の大穴に向けた。
「それにしても、こんな大穴の中でリオディーネ皇女を足止めしようだなんて、随分大胆なことしたわね」
溜息混じりに言うと、
「仕方ないだろう。あの短い時間でできることと言えばそれくらいしか思いつかなかったのだから」
「いや、普通はこんなこと短時間でできないから」
本当にこの天才は、とんでもないアイディアと、それを現実のモノにする実力も兼ね揃えているんだから。
「じゃあ皇女様。レンジ君に任せて私達は先に入りましょう。ジークさんの様子も心配ですし」
「そ、そうですわね、ユーリ様」
レンジ君の腕から降りた彼女の体を支えたけど、
(心なしか……ガッカリしている?)
何故かは分からないけど、皇女様はどこか残念そうに眉を下げていた。




