Karte.67 ティナ・ローゼン精霊国、そして、刺客
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エヴァミュエル王国とガルナン首長国の北部には広大な森林が広がっている。
ヴィザールの大森林。
森の民、エルフが住まう太古の森だ。
何百年もの時を経て佇む木々は、どれもが圧倒される程の大樹だ。
それほどの大木が互いに枝葉を競うように広げているため、森の中は昼間でも薄暗い。
だが不思議なことに、大木の1本1本それぞれが内側から時間をかけてゆっくりと明滅しているため、驚くほど明るく、そして非常に幻想的な光景を生み出していた。
そして、そのさらに最奥、もはや人間やドワーフなどの他種族が足を踏み入れることをためらうほど森深くに、エルフの国、ティナ・ローゼン精霊国だった。
そこに住むエルフ達の住居は木々であり、それぞれの大木同士を簡単なつり橋や階段などがつなげてあるだけだ。
それでも、住人が落ちて怪我をすることなど滅多にない。
ティナ・ローゼン精霊国のエルフは全員が加護使いであり、魔力操作にも長けているため身体能力も高く、万一落下したとしても、その衝撃を風や水の魔法で確実に和らげてくれるからだ。
そんな木々で形作られた国の中で、唯一建造物である城が建てられていた。
全体的に白一色だが、驚くことに、その城壁は徹底的に磨き上げられた白い木材で作られ、しかもこの森の大木と同じように、内側から淡い光を放っていた。
『これほど美しい城は、他国にもない』とエルフ達は鼻高々だ。
そして実際、城を見た者はそのあまりの美しさに……背筋がゾッとするだろう。
非常に美しく、非常に荘厳な城だが、同時に恐ろしいほど冷たく無機質だからだ。
その城の一室に2人のエルフがいた。
1人は瀟洒な造詣が催された椅子にゆったりと寛ぎ、もう1人はその前で片膝をついて、跪いていた。
人払いがされているため、この部屋だけでなく廊下にも人影は見当たらなかった。
「では、あのブローチがエヴァミュエル王国で発見されたと」
跪いた人物が口を開いた。
水色の美しい長い髪を毛先に近い方で纏めた、美しい妙齢の女性だ。
だが、見た目の若さとは裏腹に、彼女は150年という長い年月を生きていた。
エメラルドグリーンの瞳が怖ず怖ずと椅子に座る女性を見上げた。
白銀に輝く長い髪は丁寧に結い上げられ、頭には宝石をふんだんにあしらわれた豪華だが非常に品のよいティアラを着けていた。
白皙の滑らかな肌には誰もが羨むほどの美貌と、高級感漂う薄いドレス越しでも分かる、完璧なボディーライン。
まさしく絶世の美女だ。
だが、自分の前で控えている女性を見下ろすアメジストの瞳は―――まるで、氷がはめ込まれているかと思うほど温度を感じない、絶対零度の冷たいものだった。
ジェニファレイン=フィン・エレ―ナ=ティナ・ローゼン。
この城の主であり、そして、ティナ・ローゼン精霊国に君臨する女帝だ。
在位は優に200年を越えていたが、この皇帝の周囲だけ時が止まっているのかと錯覚するほど、その美貌が色褪せることはなかった。
「全く困ったものよの。王族復帰を餌にアレの始末を任せて2ヵ月が経つというに音沙汰がなく、しかも人間の国でアレのブローチが見つかるとは」
ふぅ、と悩ましげに息を吐く姿は何とも妖艶で、目を奪われるほど魅力的だ。
だが、この支配者が発する冷気から、腹の内では相当の怒りを湛えていることが明らかであり、跪いているエルフは体の慄きを止められなかった。
「やはり、ケダモノに期待した妾が間違っていたようじゃな。それにアレも。次期皇帝の継承者として目をかけていたというのに、『精霊に見放された異端者』に成り下がろうとは」
そして、
「どうやら妾の後継は、そなたのようじゃの?リオディーネ=フィン・イミルダ=ティナ・ローゼン」
足元に控える女性に声をかけると、女性はハッと顔を上げた。
「ほ、本当でございますか、陛下!」
目を輝かせ、喜びを隠せないのか上擦った声を上げた。
皇帝はそれには答えず、
「だが、次期皇帝を名乗るのであれば、後顧の憂いは完璧に絶っておく必要がある。それは分かっておろう?」
とリオディーネに問い直した。
その意味を瞬時に察したのか、顔を引き締めた。
「……重々承知しております。もし万一にもアレが生きていたとあらば、我々の身も滅ぼすことになるでしょう」
「物分かりが早くてよい。ならば、そなたのすべきことは分かっておろうな?」
「はっ……今すぐ人間の国、エヴァミュエル王国に向かい、あのブローチの真意を確認して参ります。そして……」
アメジストの瞳に見据えられて怯みそうになる気持ちを堪えて、リオディーネは皇帝を―――母親を見つめ返した。
「もし万一にも生きていた場合は、あの2人を―――我が弟と妹を、始末して参ります」
「よかろう」
皇帝の了承に跪いたまま一礼し、リオディーネは退室しようとした。
「リオディーネ」
ドアに手をかけたとき、声を掛けられ、直立不動で向き直る。
「期待しておるぞよ?」
「ッ!!」
一瞬感極まったように言葉を詰まらせ、
「……このリオディーネ、皇帝陛下のご期待に沿うよう必ず任務を全う致します」
深く一礼すると、足早に部屋を出て行った。
「ほんに、使い勝手のよい娘だこと」
一人残された部屋で女帝は心底どうでもよさそうに呟いた。
「アレよりも……下手をすると、あのケダモノよりも、魔法の才が劣る凡夫ごときが」
宙に掲げた手のひらの上に、一瞬で美しく緻密な雪の結晶を模した氷が形作られた。
「まあよい」
パリンッ―――!
一瞬で氷は霧散し、チリ一つない磨き上げられた床の上に落ちていく。
「あの凡人を前面に立たせて陰からこの国を支配するのも、また一興」
徐に袖の下から小瓶を取り出し、恍惚の眼差しでそれを見つめた。
ーーー鮮血のように赤い液体を。
「コレさえあれば……妾は永遠なのじゃから」
フッと口元が冷たく綻ぶ。
「そのためにも、リオディーネには邪魔者はさっさと消してもらわねばならぬのぅ」
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