エルフの皇女、そして、エルフの事情
エルフの兄妹が診療所に駆け込んできてから1週間。
「ユーリ様、お帰りなさいませ」
日課の薬草採取から戻りリビングに入ると、可憐な声が出迎えてくれた。
しかも、『様』づけで。
「あ、あのぉ……私はただの平民なので、皇女様からそんな御大層な呼び方をされるのは、大変恐れ多いのですが」
しどろもどろで返答するが、
「あら!ユーリ様は私の命の恩人なのですから、敬意を表するのは当然かと思いますわ」
ふんわりと花が綻ぶような微笑みと、澄み切った桜色の瞳が妙に眩しく感じる。
(こ、神々しい……!)
フィーさん、改め、ティナ・ローゼン精霊国第2皇女―――ソフィアナ=フィン・ミューラ=ティナ・ローゼン様。
雪のような白銀のサラサラの長い髪が陽の光に煌めき、形の良い小顔の中には大きくパッチリした二重と影を作る睫毛が淡いピンク色の瞳を縁取っている。
目立ち鼻の整い方が完全にフランス人形だ。
1週間前は骨と皮だけのガリガリの体だったが、予想以上に回復が早く、今では少しやつれているかな?くらいまで、体型が戻ってきた。
カサカサだったお肌も潤いが戻ったようで、シミ一つないきめの細かい雪のような肌だ。
だけど、生きるためのエネルギーに変換された筋肉はなかなか戻りが悪く、今はこの家の中でリハビリをしている最中で、外を歩くにはまだまだ心もとない。
(階段の上り下りはまだ危ないからって、過保護なお兄様がお姫様抱っこしているしね)
リビングの隅でソフィアナ皇女の様子を見守る、筋肉質なエルフをチラリと見た。
彼女は『お兄様』と呼んでいるけど、やっぱり信じがたい気持ちが強い。
ジークさん―――本名は、ジークフリート=フォン・グリムエル=ティナ・ローゼン。
ティナ・ローゼン精霊国の、何と、第1皇太子様だ。
まあ、皇女様に似ている所はある。
イケメンでもある。
ただ、言動が不良だけど。
これにはレンジ君も、
『ティナ・ローゼン精霊国に皇太子がいたなんて話は聞いたことがない』
と非常に驚いていた。
ティナ・ローゼン精霊国はジェニファレイン=フィン・エレ―ナ=ティナ・ローゼン皇帝陛下という女帝が治めており、しかもここ数代は女性が継承しているらしい。
そして、レンジ君曰く、このソフィアナ皇女こそが次期皇帝陛下として王位継承権を与えられた御方なんだそうだ。
「体調はいかがですか?」
膝に乗せたドラコの背中を優しく撫でる皇女様に、午後のご機嫌伺いをした。
「お陰様で、とっても気分がよろしいですわ。お食事もとても美味しいですし。これまでの苦しみが本当に嘘のようです」
「それなら良かったです。リハビリの具合はどうですか?家の中なら大分歩けるようになったと思いますが」
すると、
「そろそろ階段でも練習したいと思っているのですが、お兄様が『まだ早い』とばかりで、階段を上らせて下さらないんですのよ。ユーリ様からも、お口添えして頂けると有難いですわ」
と下品でない程度に頬を膨らませ、可愛らしく訴えられてきた。
(お口添え……こんなに丁寧にお願いされたの、生まれて初めてなんだけど)
ホンマもののお姫様や~と思いながらジーク……殿下に近づいた。
「家の中の歩行も大分スムーズなんですから、階段のリハビリも進めた方がいいと思いますけど」
と進言すると、
「まだ危ねえだろうが。フィーが階段から落ちたらどうすんだよ」
と凄まれてしまった。
ちなみに、『フィー』というのはこの皇女様の愛称だ。
過保護~と思いながら、
「別に、初めから一気に上の段まで上れ、なんて言いませんよ。まずは、一番の下の段だけ上って下りてを繰り返して、徐々に上る段数を増やしていけばいいじゃないですか。そうすれば、例え転んだとしても大怪我にはなりませんから」
と丁寧に説明すれば、ジーク殿下は黙って聞いてくれる。
「階段は上るときよりも下りるときの方が危ないですから、もしどうしても不安なのであれば、階段を下りるときだけ皇女様を抱えて差し上げればいいんですよ。階段の上り下りは筋力をつけるためにも効果的ですから。このままだと、いつまでも外に出られなくなりますよ」
とダメ押しで説得した。
「チッ……わかったよ」
渋々納得してもらった。
「さすが、ユーリ様ですわ」
「ピャー!」
「ふふふ、ドラコちゃんもそう思いますわよね」
皇女様に頭を撫でられ気持ちよさそうに目を細めるドラコ。
すっかり仲良しだ。
(ドラコは相手が平民とかお姫様とか分からないもんねえ)
ただ、ドラコが噛んだり引っ掻いたりしたら、隣で番犬よろしく控えている殿下が絶対に挽肉にするだろうから、注意はしておかないと。
すると、
「邪魔するぞ」
「ああ、レンジ君。いらっしゃい」
手に羊皮紙を持ったレンジ君が訪れてきた。
あれは多分、ドラコの観察日記のためだろう。
「皇女殿下も、皇太子殿下も、ご機嫌麗しく」
と2人にも胸に手を当て丁寧に頭を下げた。
「まあ、レンジ様。そこまで敬って頂く必要はありませんわ。ねえ、お兄様」
「ケッ!」
とソフィアナ皇女は慌てて恐縮されるが、ジーク殿下は面白くないという態度を前面に出してそっぽを向いている。
お世辞にも最高の出会いとは言い難かったからね。
「あの……レンジ様」
「何でしょうか」
皇女様が躊躇いながらレンジ君に声をかけた。
「もし間違えていたら申し訳ないのですが……彼のドワーフの国、ガルナン首長国の第3太子殿下が同じお名前だったと記憶しているのですが」
おお、さすが次期皇帝陛下。
他国の王族のこともちゃんと把握されているんだ。
「ええ、皇女のおっしゃる通りです。私の正式な名は、レンジ=トゥル=ゾレ=ガルナンと申します」
「やっぱり!存じ上げなかったとはいえ、今までのご無礼、平にお詫び申し上げます」
「いえ。私はすでに太子の地位を放棄した身です。現在は平民と変わりございませんので、どうかお気になさらないで下さい」
(うーん。この2人の会話って……マジで上流階級のお偉方のだよね)
身も心も庶民の私にとっては、何となく入り込みにくい印象だ。
そして、もう1人。
「ジーク殿下はレンジ君のこと知ってたんですか?」
「はぁ?そんなチビのことなんて、知らねえよ。というか、『殿下』なんて呼ぶな。気色ワリい」
と実に面白くなさそうに吐き捨てた。
しかも『殿下』と呼ぶな、と言われるとは。
「でも、皇太子なんですよね?」
「んなモン、とっくに剥奪されたわ」
「ええっ?!」
何とも衝撃的な返事が戻ってきた。
「『ティナ・ローゼンの名前を名乗ることは許すが、王族に名を連ねることは金輪際許さない』とか、あのババアが偉そうに宣ってたからな」
「それっていつ頃のことなんですか?」
と聞くと腕を組んで、
「……80年前くらいか?」
「……ジーク、さんって、おいくつなんですか?」
『殿下』が気色悪いのなら、初対面の時とおなじように『さん』付けで呼ぶと、
「あぁ?120歳だけど」
「ちなみに、私は今年90歳になりましたわ」
うん……まあ、寿命が300年なら、この2人の感覚はおかしくないのかもしれないけど。
レンジ君はレンジ君で、
「皇太子剥奪が僕の生まれる前の話なのであれば、彼を知らなくて当然か」
と一人で納得していた。
そして、未だ絶句している私に、
「人間の寿命は100年だから、強い違和感を抱くかもしれないが、長命な種族とはそういうものだ」
と声をかけてきた。
「むぅ……どうせ人間は短命ですよーだ」
と卑屈になって答えると、
「確かに人間は短命だ。だが僕の目の前には、自分よりも長命な種族を2人も黒死病から救った人間がいるぞ?」
「え?」
「その人物の価値を鑑みる上で、寿命が100年だとか300年だとかは、些細な問題でしかないということだ」
フッと微笑みかけるレンジ君に、久し振りにドキッとしてしまう。
(そう言えば、このドワーフもメチャクチャ美形だったわ)
そこへ、
「あ、みなさんお揃いですね。ちょうどよかったです」
セインもリビングにやってきた。
「お仕事お疲れ様です、セイン様」
と皇女様は律儀に声をかけた。
「お、皇女殿下。私のような平民にそこまで気を使っていただくのは、恐れ多いといいますか……!」
「そんなことありませんわ。セイン様も私の命の恩人なのですから!」
流石セイン。
社会的地位が高いヒーラーなのに、私と同じ平民気質なのがとても安心する。
コホン、とセインは咳払いし、
「えー皇女様のお加減も大分よろしくなったようですし、みなさんもお揃いですから、そろそろお伺いしてもよろしいかなと思いまして」
と全員の顔を見回した。
「急に改まって、どうしたの?」
と尋ねると、
するとレンジ君が、
「なぜ、お二人がティナ・ローゼン精霊国からこの村にやってきたのか、ということだろう?」
と代わりに答えた。
「その通りです、レンジさん」
セインは頷くと、
「よろしければ、お話願えないでしょうか。私はこの地方を治めるルーベルト辺境伯にも仕える身です。もちろん、お二人に何か事情があることは重々承知の上です。ですが、ティナ・ローゼン精霊国の王族の方を、私の一存で黙って匿っていることが明るみになれば、我が国と貴国との国交関係にも影響が出かねません」
と真剣な顔でエルフの王族に向き合った。
「……セイン様のおっしゃる通りですわ」
皇女様が深く頷くと、
「私からご説明いたします」
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