Karte.63 手術開始、そして……惨状
レンジ君に連れてこられたセインは、フィーさんの腹部を見て一目で状況を理解してくれた。
ちなみに、彼女の吐血で汚れた服や体は浄化魔法でキレイにしておいた。
「なるほど。今回の核は腹部にあるんですか?」
「厳密に言うと、胃だね」
「とすると、以前アンナさんに行ったような治療になるということですね?」
「そういうこと」
「分かりました。では、今回も彼女を眠らせた状態にした方がいいですか?」
「ぜひ、お願いします」
セインと手短に打ち合わせし、早速手術の準備に取り掛かる。
だがその前に、
「ジークさん」
妹の頭を優しく撫でる彼に、
「申し訳ないのですが、ここからの治療にあなたが付き添うことはできません。レンジ君と一緒に、リビングで待機してもらえませんか?」
するとジークさんは驚いたように声を上げた。
「そばにいちゃ、ダメなのかよ?!」
「ダメです」
とズバッと切り捨てた。
「あなたがここにいれば、私達が治療できなくなります。申し訳ありませんが、リビングでお待ちください」
(いくら何でも、妹の内臓を見せる訳にはいかないでしょう)
酷なようだか仕方がない。
「でもよッ」
「そこまでにしろ」
尚も食い下がるジークさんにレンジ君がストップをかけた。
「君の気持ちは分かるが、ここからの治療で君がいたら邪魔でしかないんだ。それはもちろん僕もだ」
ギロッとレンジ君を強く睨みつけるがそれを平然と受け流し、
「妹を治療してほしいのであれば、おとなしくユーリに従え。言っただろう。診療所では彼女と、そしてヒーラーであるセインが絶対なんだ」
「……クソッ!」
そう吐き捨てると、フィーさんを見つめる。
(態度は悪くても、本当に妹さんのことを大切に思っているのね)
彼女に向けられる眼差しがすべてを物語っていた。
そして、彼女のためにここまで尽くしてあげる彼は、根はとても優しいのだろう。
「レンジ君、申し訳ないけど、よろしく」
手を合わせて拝むと、
「任せろ。君は自分のやるべきことをやれ」
と力強く頷き、エルフに目配せした。
今度は後ろ髪を引かれながらも、ジークさんは素直にレンジ君の後ろをついていった。
「なかなかお目にかからないエルフですね、彼は」
セインが手術で使う布を準備しながら話しかけてきた。
「セインもエルフに会ったことがあるの?」
私も手術で使う器械を用意しながらセインに聞いた。
「王都で何度かお会いしたことがありますが……レンジさんが言っていたことが的を得ていますね」
確か、『気位が高く、他の種族に優越を持つが故、礼儀や立ち振る舞いには特にうるさい種族』だったっけ。
「私がお会いしたのは、貴族ではない使者の方でしたが、まるでこの国の伯爵以上の上級貴族の方とお話ししているような、優雅さと威厳すら感じました。ですが……」
そのときの様子を思い出したのか、セインが少し言い淀んだ。
「そうですね……エルフがいかに選ばれた種族であるか、言葉の端々や態度に匂わせているかのように感じました」
(選民思想ってやつか)
「まあ、仕方がないのかもしれません。エルフは人間やドワーフよりもさらに長命で、優に300年は生きると言われております。しかも、エルフの全てが加護使いだと言われているほど魔法に長けた種族ですから」
「300年って、スゴイね……」
そんなに長生きしたら、私は逆に嫌になりそうだ。
「まあでも、そんなスゴイ種族でも黒死病に苦しむことには変わらない訳だ」
腹部を避け、彼女の体に次々と布をかけていく。
並行して、セインは魔法で彼女の眠りをより深いものにした。
”ガード”でアーチを作り、セインから術野が見えないように布をかけていく。
そして、口に布を巻き、髪をまとめ、割烹着のような袖付きのエプロンを身に着ける。
「光の精霊よ、我にご加護を。”パージ”」
私と患者の全身に浄化魔法をかけた。
(アイ、よろしく)
《かしこまりました。各感覚神経、運動神経を遮断していきます》
アイがスキャン画像を解析し、特定した痛覚神経が”ヴェール”の膜で覆われていく。
「じゃあ、始めましょう」
「ええ、お願いします」
両手を”ヴェール”で覆い、両目を閉じ意識を集中させる。
「これより、胃に発生した黒死病摘出術を始めます」
ミスリル製のメスを持ち、鳩尾下から臍にかけて縦に切開線を入れる。
その下の腹部の筋肉、左右の腹直筋の真ん中も切っていく。
割れた腹筋、俗に言う『シックスパック』の縦ラインを切っていくイメージだ。
最も、この患者はガリガリに痩せているため、筋肉などほとんど見えないんだけど。
そして、その下、内臓を納める腹部の空間を包む膜、腹膜も切開し、”ガード”で体表組織を大きく広げ、いよいよ彼女の体内を露にする。
胃は体の中で先が丸い三日月のような形をしており、胃酸で食物を消化したり殺菌するための消化管だ。
今回黒死病の核が存在するのは、胃の胃体という、三日月の一番幅広くなっている部分に存在し、幽門という胃の出口には近いが、距離は十分離れている。
(これが胃癌だったら、幽門を温存した胃切除術を行うのだけど。それとも、核だけを摘出するだけでいいのか)
まずは黒死病から離れた胃の右上方には肝臓があり、肝臓と胃の結合組織を剥離していく。
次に、三日月の大きな彎曲から垂れさがっている脂肪でできたエプロン状の組織を剥離していく。
解剖学的には大網というものだ。
最も、ここも衰弱が激しいせいか、脂肪成分がかなり薄くなっている印象だ。
そして、レンジ君のときにも漂ってきた組織が壊死した腐った臭い、黒く変色した脂肪組織。
(ここは黒死病の核が近いから慎重に操作しないと。ちょっと試してみたいこともあるし)
「セインは大丈夫?気分悪くなっていない?」
「ええ、今回は口に布を巻けてますから、大分楽ですよ」
「やっぱり、坑道の時はこの臭いきつかった?」
坑道ではそもそも物資が不足していたから、布を巻く余裕すらなかった。
「あの時は正直、私もいつ死んでしまうか分からない状態だったせいか、臭いに気が付く余裕すらなかったですね」
「ああ、確かに」
あの時はドラゴンもうろついていたしね。
(それに比べれば、今の状況の何と素晴らしいことか)
心安らかに手術ができる有難さを噛み締めながら、大網を次々と剥離していき、出血点は”ヴェール”で止血していく。
そして、遂に―――
「見つけた!」
胃に巣食っていたのは、闇を凝縮した黒い繭のような形をした、黒死病の核だ。
大きさは2㎝といったところか。
レンジ君の時より少し小さめだ。
「セイン、核まで到達した」
「……!分かりました」
セインも緊張しているのか、声が強張っている。
「前回は何も知らずにいきなり触ってひどい目に遭ったからね」
レンジ君を治療した時は、鑷子でつついた途端、真ん中がパカッと割れ、真っ赤に充血した目ん玉みたいなのが出てきて、やれ断末魔の叫び声みたいな奇声を発するは、触手みたいなもので攻撃されてくるわで、本当に大変だった。
「私だって、前回の反省を活かさないわけじゃないのよ~?」
そう、私だってあの時の手術の振り返りをイメトレしていたのだ。
一番厄介なのは、核がこちらを妨害してくることだ。
私はそのきっかけが、あの赤い裂け目なのではないかと思っていた。
だから今回は、
(アイ。この核にだけ”ヴェール”をかけること、できる?)
《かしこまりました》
すると、淡く光る薄い膜がピタッと核に張り付いた、かと思ったら、
”ッ―――!!”
なんと、核はパカッと割れることもなく、まるで顔に纏わりついた布を取ろうとするかのように、その場でブルブル震えているだけだった。
(スゴイ!イメトレの効果が出た!)
あまりにも上手く行ったため、つい調子に乗ってしまい、
「アーハッハッハッ!思い知ったか、この結膜炎もどきめ!!」
と高らかに笑うと、
「ユーリさん、流石に声が大きいですよ……!」
慌てたようにセインが注意してきた。
すると、私の笑い声はリビングにまで届いてしまったようで、
「おいコラァ!あのアマ、俺の妹に何しようとしてくれてんだ!!」
リビングと診療室を繋ぐドアの向こうから、ジークさんの怒鳴り声、そして、ガタンと何かが倒れるような音が聞こえてきた。
(え、何あの保護者、コワい)
すると今度は、
「落ち着け!彼女は時々奇声を発する癖があるだけだ!実害はない!」
と今度はレンジ君の慌てた声が聞こえてきた。
ついでに、ドラコのピャーピャー騒ぐ声もだ。
(え、レンジ君、ひどい)
時折ガタン!とか、バシャン!とか騒々しい音が聞こえ、ガタガタ軋むドアの向こうが大いに気になるのだろう、
「ゆ、ユーリさん。進み具合はどうですか?その、急かす訳ではないのですが、何だかリビングの方が危うい気がするので」
とセインが焦ったように声をかけてきた。
「ごめん!核の方は制圧できたみたいだから、すぐに摘出するね!」
セインに謝りつつ、
(アイ、ちょっと質問なんだけど)
と脳内でアイに問いかけた。
(核を摘出すると、長径約2cmくらいの欠損ができると思うんだけど、それも治癒魔法で塞がるの?)
《欠損部分が大きいため、治癒魔法だけでは難しいと思われます》
と、とんでもない答えが返ってきた。
(ええッ?!じゃあ、縫合しないとダメなの?!)
前世の手術でよく使っていた組織同士を縫合する糸は、化学繊維から作られた吸収糸と呼ばれる、体の中で自然に溶けてしまう糸を使っていた。
ただ、この世界にはそんな便利なものは当然存在する訳がなく。
前世と同様に使えそうなものとしては虫のカイコが作ってくれる絹糸だが、この世界では絹糸なんて、お貴族様しか手に入れられない超お高いものだ。
なので、レンジ君に相談しながら、ステンレスを非常に細い糸状に引き伸ばしてもらい、それで縫合糸に代用できないか試していたのだ。
(あれはまだ試作段階で実用できるものじゃないし……何かいい案ない?!)
《あります》
(あるんかい!いや、ありがたいけどさ!)
《治癒魔法は、実質組織であれば欠損しても問題なく治癒できます。例えば、切断した足は皮膚の欠損が大きくても、内部に骨や筋肉などが存在するため治癒は可能です。ですが、胃のような管腔組織の場合、目安として、2㎝以上の組織が欠損すると、組織の治癒は難しいと考えられます》
要は、中身が詰まっているかどうかで欠損部位の治癒が可能かどうかが決まるわけね。
《そこで今回は、”ヴェール”て欠損部分を被覆し、それを橋渡しのようにすれば、欠損部分の修復が可能と思われます》
(魔法、凄くない?!)
ホント、何でもありだな!
何か、前世の外科医としてのスキルがどんどん衰えてきそうで怖いわ……。
でも縫合しなくても欠損を治すことができるのならば、
(核の周りの黒くなっている胃組織を余分につけながら、一塊にして摘出しよう。その方が核を無駄に刺激しなくて済むだろうし)
と思い、核を中心に1㎝組織をつけて無事摘出できた。
「摘出完了!”パージ”!!」
すぐさま浄化魔法をかけて、腹腔内全体を洗浄し、
「”ヴェール”!」
欠損部分を覆うように薄い膜を出現させた。
「セイン、治癒魔法をかける前にお願いがあるんだけど」
「なんですか?」
正直こんなことを頼んで大丈夫なのか分からなかったが、物は試しと思い、
「治癒魔法を一気にかけて創部を治すんじゃなくて、段階的に治すことってできる?」
「段階的、とは?」
「まず、黒死病の核があった胃の創部を塞いで、その後皮膚を閉じる……っていう感じなんだけど」
「そうですね……やってみましょう」
「難しかったら、いいからね!」
と念押しした上で、魔法をかけてもらった。
すると、
「……おおッ!」
欠損部分が、光る膜に沿って細胞が増殖し、再び繋がっていくのが分かる。
「治癒魔法、スゴッ!」
思わず声を上げると、
「黒死病を治療できるユーリさんの方がスゴイと思いますけど」
とセインに苦笑されてしまった。
そして、完全復活した胃を目視で確認した上で、
「じゃあ、残りの治癒を……!」
「分かりました!」
止血のために行使していた結界魔法を解くのと同時に、治癒魔法が体全体にかけられ―――
そこには、一筋の傷跡も変色した部分もない、元通りの白い皮膚になっていた。
そして、彼女を苦しめていた諸悪の根源も砂のように散ってしまい、後には切除した黒ずんだ胃の組織だけが残った。
("ヴェール"で包んで置いておこう。後で組織を調べたら、何か分かるかもしれない)
直視すると、特にセインの気分が悪くなるかもしれないので、タオルに包んで隠した。
「ふう……ありがとうございました!」
「ええ。お疲れさまでした、ユーリさん」
さて、無事手術を終えた私とセインは意気揚々とリビングの戸を開け、
―――ひっくり返ったテーブルや椅子、全体的に水浸しになった部屋、そして、部屋の中央で臨戦態勢を取るエルフとドワーフ、その周囲を慌ただしく駆け回るドラゴンの子供、という惨状を目にし……
めまいを起こしたセインを、私は慌てて支えたのだった。
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