Karte.60 旅人再会、そして、急変
「また雲が出てきた。イヤだねえ、ドラコ」
「ピャー!」
今日も森の中を薬草採取のために歩いていた。
いつもは1人で出歩いているが、今日はドラコがお供だ。
ティナ・ローゼン精霊国の盗品疑惑のブローチの件で、セインとレンジ君は早朝から辺境伯邸に出発し、私はお留守番だ。
そうすると、薬草採取の時には誰も家にいなくなってしまい、ドラコだけにしておくのは不安だったので、一緒に連れてきたのだ。
「最近の雨で冷えるせいか風邪を引く人も多くなっているし、今のうちに風邪薬用の薬草を調達しておかないと」
「ピャッ!」
私の独り言にも律儀に反応してくれるドラコを見て、
(ペットとのお散歩なんて初めてだけど、誰かと一緒に歩くのも楽しいわね)
と心がほんわかした。
首輪もリードも付けていないが、私の隣を懸命に歩く姿には庇護欲を擽られる。
ちなみに、今のドラコは雌鶏から雄鶏くらいの大きさに成長し、生まれたての頃は丸々としていた体型も、動き回るようになったせいか筋肉もついて、すっきりしたものになりつつある。
胸の羽毛に隠れた前脚も、今では隠れることなく存在感を出しており、日に日にドラゴンらしくなっていた。
それでも体を覆う羽毛の触り心地の良さは変わらない。
「雨が降る前に帰ろうね~」
「ピャー!」
と仲良く歩いていると、
「あっ!」
「ピュ?」
進む方向には、昨日話題に上がっていた人物がいた。
そして、向こうも私の存在に気がついたようで、すぐに踵を返して遠ざかろうとした。
「あ、あのッ、昨日のブローチなんですけど!」
そう声をかけると、灰色のマントの人の足がピタッと止まり、こちらを振り向いた。
顔はフードの隠れているためやっぱり分からない。
だけど、
「……なんでお前がそれを知ってやがる」
耳に心地良い、男らしい声がフードから聞こえた。
(おお、なんか……洋画の吹き替えを聞いているみたい。めっちゃいい声だ……!)
心の中で感嘆するが、じっとこちらを窺っているのが分かり、
「あ、私、あの診療所の助手として働いていて。セイン……先生が、あなたからブローチを薬の代金としてもらったって聞いて」
とシドロモドロしながら答えた。
「私も見せてもらったけどすごくキレイなブローチだったから……その、どこであのブローチもらったのかなって……」
(いや尋問下手だな、私!)
こんな挙動不審に聞いたら、普通に怪しまれるでしょ!
もし、この人が万一にもあのブローチを盗んでいたとしたら、私に疑われているのがバレるに決まっている。
背中に冷汗をかきながら、いざとなったらドラコを抱えてすぐに逃げられるように身構えていると、
「……あれは元々連れの物だ。今のアイツには……あんなものよりも薬の方がよっぽど必要だからな」
意外なことに、男性はあっさりブローチについて答えてくれた。
しかも気のせいか、声には切羽詰まっているような含みがあった。
「連れって……他にもお仲間がいるんですか?」
「ッ……お前には関係ねえよ」
バッサリ切り捨てられ、さっさと森の奥に歩いて行ってしまった。
「ちょ、ちょっと、待ってください!」
私の制止の声は華麗に無視されて、マントの男性はどんどん小さくなっていく。
「もし……もし、何か困ったことがあったら、いつでもあの診療所に来て下さいね!仲間の人も、一緒に来てくれて構いませんから!」
私の呼びかけにも応えず、人影は足早に森の奥に消えて行った。
***
『何か困ったことがあったら、いつでもあの診療所に来て下さいね!仲間の人も、一緒に来てくれて構いませんから!』
(んなこと……できるわけねえだろッ!)
森で会った娘の言葉が頭の中にこびりついて離れず、彼女の言葉に縋りつきたくなってしまう自分の弱さに心底腹が立った。
誰かに助けを求めることができたら。
妹をともに支えてくれる誰かがいたら。
どんなに救われるだろうか。
だが、もし妹が黒死病を発症していることを知ったら、あの娘だって差し伸べ手をすぐに引っ込めてしまうに決まっている。
(何より……アイツらに、フィーがまだ生きていることがバレたら……!)
そう思うと、誰にも頼ることなど決してできなかった。
「俺しかいねえんだ……フィーを守ることができるのは、もう、俺しかッ……!」
必死に自分に言い聞かせて頭から娘の存在を無理矢理消し去り、洞穴に足を急がせた。
洞穴に着いた頃には、また雨が降り始めていた。
少しでも水以外のものを口にさせたいと、今日は森で果物を探し歩いていたのだ。
「フィー、喜べ!旨そうなのが木についていたから、採ってきたぜ!」
できるだけ明るく声をかけるが、洞穴の中は静かなままだ。
いつもならどんなに辛くとも兄の言葉に返事をしてくれる妹が、今は沈黙している。
(……寝てるのか?)
昨日も苦しそうに呻いており、碌に眠ることすらできていなかった。
それならば、ゆっくり眠らせた方がいいと思い、そっと妹の様子を窺った―――
「っ、フィー!!」
彼女の口や顔、そしてその周囲に飛び散った赤い付着物から、何が起こったのかすぐに察し、慌てて妹を抱き起こした。
「フィー!しっかりしろ!フィー!!」
口元に耳を近づけ、息をしていることを確認する。
だが、呼吸は浅く、何度呼びかけても意識がないことは明らかだった。
「クソッ……クソォ!!」
(果物なんて探しに行かなければッ!!)
寄りによって、一番離れてはいけないときに傍にいてやれなかった自分を殴りつけたくなった。
(どうするッ……どうすれば……ッ!)
学のない自分には、こんなときどう対処すればいいのか全く分からない。
唯一分かることといえば、このままにしておけば、妹は間違いなく死んでしまうということだけだった。
「フィー……!」
妹を抱きしめながら、自分の無力さを心から呪いたくなった―――
『何か困ったことがあったら、いつでもあの診療所に来て下さいね!仲間の人も、一緒に来てくれて構いませんから!』
思い出したのは、森で会ったあの娘の言葉だった。
(……助けてなんて、くれる訳がねえ……追い返されるに決まっている……けどッ!!)
マントごと妹を大切に抱えながら、土砂降りの雨の中、全速力で走った。
「絶対に死なせねえから……!お前は俺が、必ず守ってやるからなッ!!」
雨音にかき消されないよう、叫ぶように腕の中へ声をかける。
「だから……だから、死ぬんじゃねえぞッ……フィー!!」
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