Karte.59 旅人、そして、妹
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「チッ……降って来やがったか」
フラノ村近くの森の中。
ユーリが薬草採取をした場所よりもさらに奥深くで、空を見上げて悪態を吐く人影がいた。
暗い灰色のフード付きマントを頭からスッポリ被った長身の男性だ。
マント越しでも肩幅が広く、がっしりとした体格であることが分かる。
しかし、大柄でありながら一切体重を感じさせない動きで、木々の間を風のように通り抜けていた。
雨足がすっかり強くなった頃、男性は目的の場所に着いた。
そこは、小さな洞穴だった。
この男性であれば、座りながら進めばようやく中に入ることができるだろう。
だが、男性は中に入ることはせず、洞穴の中へ声をかけた。
「戻ったぜ、フィー」
先程、雨に舌打ちしていた声と、同じものとは思えないほど優しい声音だ。
「大丈夫だ。俺がここで入り口を塞いでるから、雨は入ってこねえよ」
マントは雨水を吸い、完全に冷たく重くなり、服までびしょ濡れになっていた。
そんなことを少しも気にかけることなく、男性は懐から取り出したものを、『フィー』と呼ぶ人物に見せた。
「薬を貰ってきたからよ。これで少しは楽になるはずだ」
すると、
「ありが、とう……ございま、す……ジークお兄……様」
途切れ途切れのか細い声だが、可憐で高い声と奥ゆかしく丁寧な言葉遣いは、上流階級の令嬢を連想させる。
確かに、初雪のような白銀のストレートな長い髪が美しい少女だ。
だが、その下の顔は頬がこけ青白く、衣服から覗く日焼けとは無縁の白い腕や足はガリガリに痩せ、まるで骨と皮のようだった。
それでも、大きくパッチリした二重瞼の中にある、柔らかなピンク色の瞳は、麗らかな春のように温かく、目の前の男性を気遣っていた。
「お兄様……そんなに……濡れてしまって」
「これくらいどうってことねえよ」
そう言いながら、男性は頭に被っていたフードを鬱陶しそうに下ろした。
癖の強い長い銀髪を無造作に後ろで縛り、大きなくっきりした二重瞼ではあるが、吊り目であるため、深い水の底のような青い瞳に鋭く見据えられているかのようだ。
しかし高くすっきりした鼻梁と薄い唇の整った顔立ちのせいか、荒々しい口調ではあるが不思議と気品が漂っていた。
そして特に目を引くのがーーー
2人とも耳が長く、先が尖っていた。
ジークと呼ばれた男性は、袋から小分けにされた薬を1つ出して水で溶き、少女の体を支えながら、少しずつ慎重に飲ませていった。
「ゆっくり飲めよ。苦いかもしんねえが、我慢しろよ」
絶えず少女を気遣いながら、時間をかけて溶かした分を全て飲ませた。
「……どうだ?大丈夫か?」
腕に抱えながら少女に尋ねると、
「……ええ。先ほどより、痛みが引いて……きましたわ。ありがとう……ございます」
ふんわりと微笑む少女の様子を見て、ジークは胸が締め付けられた。
(ウソだ。本当は、全然楽になんてなってねえだろうに……!)
ジークも分かっているのだ。
こんな辺鄙な小さな村で手に入る薬ごときで、良くなるような苦痛ではないことを。
それでも、自分のためにずぶ濡れになって薬を持ってくてくれた兄の気持ちを慮って、この少女が気丈に笑いかけてくれていることに。
そして、ジークも。
日に日に衰弱していき、絶え間ない苦痛に体を小さくしてひたすら耐えることしかできない妹を見ていると、例え効き目がないと分かっていても、何かせずにはいられなかったのだ。
(クソ、どうすれば……ッ!)
突然、心臓を鷲掴みにされたかのような鋭い衝撃に、ジークは一瞬息を詰めた。
「……お兄、さ、ま?」
兄の異変を感じたのだろう、少女は心配そうに声をかけた。
「何でも、ねえよ。空きっ腹が少し痛んだだけだ」
「まあ……私に、構わず……お食事、してきて……下さいね」
少女は乾燥した唇を綻ばせた。
この少女がまともな食事を取れたのはいつが最後だろうか。
形のあるものを食べさせようとしても、すぐに吐いてしまい、余計に体力を消耗させてしまうだけだった。
今の彼女が口にすることができるのは水、そして少しでも気分が良ければ、果実を絞った汁くらいだった。
兄は黙って妹の髪を指で梳いてやった。
(……早くしねえと)
ゆっくり丁寧に動かす指とは裏腹に、ジークの心には焦りが渦巻いていた。
(早く、聖ティファナ修霊院に行かねえと……フィーが黒死病で死んじまう前に……!)
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