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聖女、メスを執る  作者: 西園寺沙夜


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Karte.58 怪しい旅人、そして、黒死病の治療経過

村の近くの森で、日課の薬草採取をしていたある日。


「そろそろ帰ろうかな。空も暗くなってきたところだし」


まだ夕方の時間には早いというのに、厚い雲が空を覆っているため薄暗くなっていた。


最近は天気が変わりやすく、朝はいい天気だったのに、お昼過ぎになると急に雲が出てきて雨がぱらついてきたり。


その逆もあったり。


とにかく天候不順が続いていた。


お目当ての薬草も手に入ったことだし、雨に降られる前にと速足で森の中を歩いていると、


「……ん?」


少し離れた木々の間に、人影が見えた。


暗い灰色のフード付きマントで全身を覆っているため顔は全く見えないが、身長は、たぶんセインよりも高い。


マント越しでも上背がしっかりしているのが分かるから、恐らく男性だろう。


(誰だろ。旅人かな?)


フラノ村はかなり辺境の小さな村だから見かけることは少ないけど、辺境伯に謁見するため王都から来た使者や、ガルナン首長国やティナ・ローゼン精霊国に向かう商人がたまに訪れたりすることはある。


(ひょっとして、道に迷っているのかしら)


そう思って、

「おーい、そこの人ー!」

と声をかけてみた。


すると、

「ッ!」


弾かれたようにこちらを振り向いたと思ったら、


ビュウゥーーー!


「わっ?!」


いきなり風が吹いてきて、慌てて腕を盾にした。


風は一瞬だけだったようで、すぐに腕を下ろすと、


「……あれ?」


人影は消えていた。



「ただいまー!」


家の裏口から入り、リビングに向かうと、レンジ君が床に座り込んでいた。


「おかえり。邪魔しているぞ」


こちらをチラリと見ると、またすぐに視線を前に戻した。


見つめる先には、白い羽毛に包まれたドラゴンの赤ん坊、ドラコだ。


最近、レンジ君はドラコの観察を熱心にしている。


今日も羊皮紙にスケッチしたり、気が付いたことをメモしたり。


やっぱりドラゴンの赤ん坊なんてレア中のレアなんだろう、研究者としての探求心を擽られているようだ。


そして、ドラコの方はというと、


「ピュー!」


と私の姿を確認するやいなや、嬉しそうに一目散に駆け寄ってきた。


ナニこれ、カワイイ!


「ただいまぁ、ドラゴぉ!」


両腕を広げて迎えると、私の胸に甘えるように頭を擦り付けてきた。


「やはり、君のことは親だと分かるんだな」

レンジ君は興味深そうにメモを取った。


ドラゴンの世話の仕方なんて全く分からなくて手探りの状態だけど、ドラコはとりあえず元気に過ごしている。


レンジ君曰く、


「ガルナン首長国はこの村のような、いわゆる『普通の動物』というものがあまりいなかったから、サラマンダーには専ら討伐した魔物の肉を与えていた」


ということらしいのだが、この平和な村には魔物なんて皆無なので、手に入りやすい鶏肉や卵をあげてみた。


美味しそうに喜んで食べていたし、最初は元気もあった。


だけど、食欲はあるのに、だんだん元気がなくなってきてしまいオロオロしていると、今度はアイから、


《ドラゴンの魔力が徐々に減少しております》


というアドバイスをもらい、卵の時のように1日2回魔力を与えると、だんだん元気になってきたので、ホッとした。


(魔物の肉を食べると、魔力も一緒に摂取できるのかしら)


ドラコのモフモフした毛並みを気の済むまで撫でまくった後、


「あ、そうだ。レンジ君」

「なんだ?」


羊皮紙を片付けているレンジ君に、

「ちょっと、上半身を見せてほしいんだけど」

と声をかけた。


もちろん、疚しい気持ちは一切ない。


「……分かった」


すると、意図を汲んでくれたレンジ君は素直に上着を脱いでくれた。


(黒死病の治療後3カ月。今のところ再発や転移はなさそうだけど)


これまでも、1カ月後、2カ月後を目安にアイによる全身スキャンと黒死病の核があった創部を中心に診察はしていた。


「義手も外すぞ?」

「うん、お願い」


そして、何一つ身につけていない露わになった上半身をじっくり観察しながら、


(アイ、スキャンお願い)

《かしこまりました。スキャン開始―――終了》

(黒死病の時みたいな、腫瘤性病変は?)

《全身も含めてスキャンしましたが、明らかな病変はありません》


とりあえず、他臓器への転移や再発はないようだ。


(私の経過フォローの仕方って、癌治療のだからなぁ。果たしてこれが正しいのかどうかも分からないけど、やらないよりはマシでしょう)


そして次に、


「今から首や肩を触るから、気になるところや痛いところがあったら教えて」

「わかった」


顎の下から、首の筋肉の縁に沿って触診していく。


ここにはリンパ節という免疫組織が連なっており、癌細胞はこの連なりに沿って転移していく。


今回黒死病の核があったのは、右鎖骨上窩だ。


もし、黒死病が癌のように他臓器に転移するのであれば、首のリンパ流に乗って転移する可能性はある。


「痛みはある?」

「大丈夫だ」


私の方でも明らかに硬くなっているリンパ節は触れないし、気になるしこりも触れない。


リンパ節の触診と併せて、右鎖骨上窩の視診と触診もするが、黒く変色している部分もなく、腫瘤性病変も触れない。


併せて左鎖骨上窩も触診していく。


左鎖骨上窩には、体中のリンパ流が集まるリンパ管があり、特に、進行した消化器癌ではここのリンパ節にも転移することがある。


ここも特に触れるものはない。


「腋も触るから腕を上げてくれる?」

「ああ」


腋の下にもリンパ節がある。

ここに転移する代表的な癌は乳癌だ。


もちろん、男性のレンジ君に乳癌を積極的に疑うなんてナンセンスにも程がある。


ただ、黒死病がどんな経過で転移するかなんて分からないから、周辺の代表的なリンパ節は触っておくに越したことはないだろう。


特に触れるものがないことを確認し、


「腕や肩はちゃんと上がる?動かしにくさはある?」


と肩や腕の動きや力の入り具合もしっかり確認する。


「いや、全く問題ない」


黒死病による神経麻痺や筋肉の機能障害はなく、術後の創部経過も問題ない。


これについては、『さすがは治癒魔法!』と言うしかない。


「―――はい、終了。治療後3カ月も再発はなし。服を着ていいよ」


上着を着て、義手を装着しながら、


「僕が再び黒死病を発症する可能性はあるのか?」


とレンジ君が聞いてきた。


「こればっかりは、私も分からないんだよねえ……」


変にごまかしてもレンジ君には通用しないから正直に答えた。


「私も、あの治療で全部完結してくれればどんなにいいかと思っているよ。でも、黒死病を治療した後の経過って誰も知らないんでしょ?」


「そもそも、黒死病の治療に成功した例が今までにないからな」


私以外に手術をする人なんていないのだろうし、致死率100%だから当たり前なんだけど。


「となると、あまり楽観的には考えられないんだよね。黒死病が再発したり、今度は別の場所に発症する可能性は常に頭に入れておかないと。早期発見、早期治療の方が、レンジ君の負担も少ないだろうし」


そう考えると、やっぱり治癒魔法は偉大だ。


黒死病さえ摘出できれば、術後の瘢痕やら機能障害なんかもキレイに治してくれるし、何より手術の傷痕を気にしなくていいなんて、術者にも患者にもこれほど有り難い話はない。


「……どうしたの?」


レンジ君がまじまじと私を見つめてきた。


「黒死病については、君は本当にしっかりした考えを持っているんだな。治療に成功したからと言って楽観視せず、もし再発してしまってもすぐに対応できるように、こうして経過を見てくれるとは」


「黒死病については、って……」

(まるで私が他のことには考えなしみたいじゃない)


思わず口を尖らせると、


「要するに……君がいてくれるなら、例え黒死病を再発しても安心だ、と言うことだ」


「えっ?」


「君になら安心して僕の全てを任せられる、とも言える」


ポカンと、今度は私がレンジ君を見つめた。

(何か、今……スゴイことを言われたような気が)


そんな私に構うことなく、レンジ君はいつの間にか着替えを済ませていた。


すると、

「あ、ユーリさん。お帰りなさい」

セインがリビングに入ってきた。


「そうそう……この村に旅の方が来たみたいですね」

と付け足すようにセインが言った。


「旅人が?」

レンジが尋ねると、


「ええ。ただフードを深く被っていたので、顔は全く分からなかったのですが」


「それって、灰色っぽいマントを着た背の高い人?」


私もセインに聞くと、


「そうそう!ユーリさんもご存じだったんですか?」


「さっき森で見かけたのよ。私も声かけたんだけど、見失っちゃって。じゃあこの村に無事到着したんだ」


「というより、ついさっきまで診療所に来てたんですよ」


「そうなの?!」


「ええ、痛み止めと胃薬が欲しいと。しかも、ほら」


とセインが手の中の物を見せてきた。


「わ、とってもキレイ!」

「お金の代わりにと渡されまして」


雪の結晶を彷彿させる精巧な銀細工が施され、その中心に淡いピンク色の丸い宝石が埋め込まれている。


見るからに高価なブローチだ。


「これは……!」


一緒に覗いてきたレンジ君がブローチを凝視した。


「レンジ君どうしたの?」


セインの手からブローチを取り上げ、じっくり眺めた。


「間違いない。これは……僕が作った物だ」

「「ええっ?!」」


驚くセインと声が重なった。


「以前、ティナ・ローゼン精霊国に依頼された物の一つだ。第二皇女への贈答品に、と」


「レンジ君って、こんなアクセサリーも作れるの?!」


「デザインは別の者の発案だが、それを錬成魔法でひたすら作り続けさせられたんだ」


「……お疲れ様です」


あまりにも遠い目をするレンジ君の胸中を察し、今更だが労いの言葉をかけた。


「では、これは……エルフの皇女殿下の持ち物……というわけですか?」


「え、じゃあこれって、もしかして……盗品?」


セインと私の頬に冷たい汗がツーッと垂れる。


レンジ君は険しい顔でセインにブローチを返した。


「これ……私が持っていても大丈夫なんでしょうか?」


さっきとは一変、恐ろしい物を見るような目をブローチに向ける。


「……いっそ、辺境伯に相談した方がいいかもしれないな」


「辺境伯にですか?」


レンジ君はセインに頷いた。


「もしこれが本当に盗品なら、ティナ・ローゼン精霊国から各国に情報提供されている可能性がある。この国であれば、その窓口はルーベルト辺境伯だ。」


「なるほど。それでそのままブローチを預けちゃえばいいんだ!」


「確かに!」


「早速明日にでも伺った方がいいだろうな。辺境伯に説明する際は僕も付き添おう」


「ありがとうございます!」


ガルナン首長国の元太子殿下で、しかも製作者本人であるレンジ君が説明してくれるのであれば、こんなに心強いことはない。


「でも……じゃあ、あの旅人は、このブローチを盗んだっていうこと?」


「……もしそれが本当なら、一大事ですよ」

セインが深刻な顔をした。


この村に王族から盗みを働くような犯罪者が来ているなんて、とても心穏やかにはいられない。


「いや、その可能性は低いと思うな」

すると、レンジ君があっさり否定した。


「このブローチは、ティナ・ローゼン精霊国の皇帝陛下が、ガルナン首長国にわざわざ依頼した宝飾品の一つだ。当然、使われている銀と宝石は、その年の鉱山で採掘された物の中でも特に厳選した一級品。これを売り飛ばせば、庶民であれば一生遊んで暮らせる程の値打ちがある」


「……マジですか」


「このピンクダイヤモンドも、『皇女の瞳のような丸みを帯びた形で、かつ、内側から淡く輝くような加工をしてほしい』などという曖昧かつ無茶な注文がつけられて、試行錯誤したんだ」


「……お疲れ様です」


当時の苦労を思い出して、忌々しそうにブローチを見つめるレンジ君に本日2度目の労いをかけた。


「要するに、あの旅人が本当にこれを盗んだのであれば、とっくの昔に換金しているだろうし、たかが薬の代金として渡すとはとても思えない」


「確かにそうですね」

レンジ君の説明に、セインも納得の表情だ。


「大方、どこかで拾ったか何かして、価値も分からずに持っていたと考えるのが自然だ。注意しておくに越したことはないが、そこまで危険視する必要もないだろう」


とレンジ君は結論付けた。


「雨、けっこう降ってきたね」


何気なく外を見ると、外は黒い雲に覆われ、雨足が強くなっていた。


「レンジさん。もしよろしければ、夕御飯食べていきますか?」


「いいのか?」


「この天気では、『憩いの木馬亭』に行くのも億劫でしょうし」


「いつも作ってもらって申し訳ないな。今まででかかった食費を教えてくれないか?せめて、それくらいは出さないと」


「いいえ、大丈夫ですよ」


「しかし」


すると、セインが声を潜めて、


「……ここだけの話ですが、封魔石作りを始めてから、かなり懐具合が良くなっているんですよ」


「確かに。浄化の封魔石を作り始めてから、私まで辺境伯からお給料貰えるようになっちゃったし」


封魔石の生産という、かなりおいしい内職のおかげで、私もセインもとても余裕のある生活が送れているのだ。


「これもレンジ君がこの村で封魔石の生産をしてくれているお陰だよね」


「間違いなくその通りですね。ですからレンジさん、どうぞお気になさらず」


「……そういうことなら」


渋々といった具合だけど、レンジ君は引き下がり、そのまま夕食の準備に入った。


ちなみに私は、包丁を使うことはお許しを得ているが、セインがいないときに火は絶対に使うなと申し渡されてしまっている。


あの、優しいセインに、だ!


……まあ、セインのお気に入りの鍋を、底に穴が空く一歩手前まで焦がしてしまったから仕方がないのだけど。

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