Karte.54 セインとレンジの密談、そして、……
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「……つまり、森で倒れていた身元不詳で記憶喪失のユーリを保護してそのまま助手にしたということか?」
診療スペースを整え終え、セインは診察机の椅子に、レンジは簡易ベッドに座っていた。
「まあ要約すると、そう言うことになりますね……」
「前々から思っていたが、君も大概お人好しだな」
「いや、最初は助手にするつもりなんてなかったんですよ!」
呆れた顔を向けたレンジにセインは慌てて否定した。
「ユーリさんに事情を聴こうと診療所に連れてきた時に、ちょうど急患が来たんですよ。患者はダンカンさんの部下で、仕事中に、その、腹部に木の杭が刺さってしまって……」
「……なるほど」
レンジはその光景を想像し、そしてセインがどういう状態になったのかをすぐに察した。
「それほどの重症患者を前にしても、彼女は終始冷静でした。それこそ、貧血で倒れそうになっている私よりもはるかに。何より、彼女の魔法のおかげで止血しながら杭を抜くことができ、私は治癒魔法をかけることができました。もし彼女がいなければ、私は気絶してしまって、取り返しのつかないことになっていたでしょう」
(治療前にヒーラーに気絶される患者も気の毒だが、例え貧血を起こしてでも患者を救わなければならないセインも気の毒だな)
レンジは心の中でそっと両者に同情した。
「だからその時、ダンカンさんにユーリさんのことを聞かれて、咄嗟に助手だと言ってしまったんです。実際、血を見る度に貧血を起こしてしまう自分にも辟易していましたから、彼女の力は私の足りない部分を補ってくれるのではと思ったんです」
ユーリを助手にしたのは、あくまで自分の短所をカバーするためだけだとセインは考えていたのだろう。
だが、その目論見は、非常に良い意味で外れたのだ。
「まさか彼女が黒死病の治療を成功させるとは……。あの時の私の判断は正しかったのだと、自信を持って言えます」
セインの揺るぎない言葉に、
「ああ。そのお陰で、僕は今こうして生きているんだからな」
レンジも大きく頷いた。
「だが、そうなるとユーリのこれまでの生い立ちについては全くの詳細不明ということか」
天井を仰ぎながらレンジが呟くと、
「……これは私の推測ですが、ユーリさんは恐らく記憶があるんだと思います」
そう話すセインにレンジは目を戻した。
「ただ、よほど何か事情があって言えないのか……それとも」
「それとも?」
一瞬逡巡したが、
「……話しても信じてもらえないと思っているのか」
とセインは答えた。
「そんなはずはない……と言いたいところだが、あながち間違ってはいないのかもしれないな」
レンジは考え込むように腕を組みながら同意した。
「結界魔法や浄化魔法。どちらも見たことも聞いたこともない魔法だ。もちろん、エルフの氷魔法のように、行使できる者が極端に少ない魔法も確かにあるから、僕やセインでさえ知らない程の希少な魔法だという可能性はある」
だが、レンジが気になるところはそこではなく。
「彼女が『シュジュツ』と呼んでいる、あの治療法。はっきり言って前代未聞だ」
患者に触れることなく怪我を治すことができる治癒魔法とは対局の―――患者の体を敢えて傷つけ、切り開き、体内を露わにし、黒死病を取り除く。
「ええ、私も思いつきもしませんでした」
「その割に、君は坑道で妙に落ち着いていたようだが?」
「実を言いますと、その治療法を一度見たことがあるんです。最も患者は黒死病ではありませんでしたが」
「なに?!」
レンジは目を見開いた。
「患者は村長のポールさんの娘、アンナさんです。彼女は産婆ですら手に負えない難産でして、私とユーリさんが駆り出されたんです。建前上では私がアンナさんの出産を助けたことになっていますが、実際は違います」
「……まさか僕を助けた治療法と同じことをした、というのか?どうやって?」
「……乱暴な言い方をすると、『妊婦の腹を切り開いて胎児を取り出した』ということです」
「・・・・・・」
絶句するレンジを見て、セインは頭を掻いた。
「こんなことを本当にしたら極悪非道な殺人犯としか思われないでしょう。ですが、あのまま下からの分娩を強行していたら、大量出血で母子ともに命はなかった。それに、私はユーリさんが魔法で止血ができることを知ってました。だから、彼女に賭けてみたんです」
「それが、あの坑道での治療法に繋がった訳か……」
何とか言葉をひねり出したレンジはセインを改めて見据えた。
「それで?ヒーラーとしてセインはこれからどうすればいいと思っている?」
「……実に悩ましいところです」
普段の様子とは異なる真剣な顔をしながら、セインは慎重に言葉を紡いだ。
「今この瞬間も苦しんでいる黒死病患者のことを考えれば、ユーリさんの存在を一刻も早く世に知らしめるべきだとは思います。ですが……レンジさんのおっしゃったように、ユーリさんのやり方は」
「猟奇的殺人犯として投獄され、最悪処刑される」
ガルナン首長国を出発した際に荷馬車の中でユーリに言った文言をレンジは繰り返した。
「はい。少なくとも、大っぴらに公開できるような方法ではありません。治療を始めようとした時点で中断させられ逮捕されるのが目に見えている」
アンナにしろ、レンジにしろ、ユーリがこれまで治療を行えたのは、セイン以外に目撃者がいなかったからだ。
もしこの方法を詳らかに世間に明かせば、ユーリは間違いなく『患者の体を切り刻んで弄ぶ異常者』として糾弾されるだろう。
だがその一方で、ユーリの治療法以外に黒死病の治療を成功させた方法がないこともまた現実だ。
「ユーリさんが投獄されてしまえば、今後、黒死病患者を救う手立ては二度とないかもしれません。何より……身を挺して黒死病の治療を遂行したユーリさんを、私は……頭の狂った犯罪者のように扱われたくはない」
ガルナン首長国の坑道で、ドラゴンの存在に怯え、いつ瓦礫の下敷きになるやもしれない危機的状況の中、それでもユーリはレンジを、文字通り命を懸けて治療した。
あの時見せたユーリの覚悟を、『キチガイ』などと受け止められることは、何としても避けたいのだ。
「……全く同感だ」
レンジも静かに同意した。
「僕も、ユーリを残虐な殺人鬼扱いする輩が現れたとしたら……一片も残さぬほど焼き尽くすだろうな」
セインは思わずレンジを凝視した。
聡明で、常に思慮深いこのドワーフには似つかわしくない、奥に秘めた激情を感じ取ったからだ。
「どうした?」
レンジもセインを見つめると、セインは躊躇いながら口を開いた。
「……正直不安だったんです。レンジさんがユーリさんに協力すると申し出たとき、ユーリさんに黒死病の治療に専念するよう説得するのではないか。それこそ、今すぐにでも聖ティファナ修霊院に向かおうとするのではと」
聖ティファナ修霊院―――エヴァミュエル王国王都近郊に建つ、黒死病患者が最期に縋る国立の療養機関だ。
記録によると、約200年前のエヴァミュエル王国国王の王妃が黒死病を発症した際、王妃の苦痛を和らげ、安らかな余生を送るために尽力した薬師がいた。
当時の国王は王妃と同じ苦しみを味わう黒死病患者を憂い、その薬師に、黒死病患者が最期を安らかに送ることができるための施設を任せた。
院長は世襲制であり、初代だった薬師と同じ名前―――ロザリー・ガルミエルの名を受け継いでいる。
「ですから、レンジさんにその様子がないことに、ホッとするのと同時に少し意外でした。レンジさんはユーリさんを問い詰めて、何が何でも黒死病の謎を解明しようとすると思っていたので」
聖ティファナ修霊院には言うまでもなく、多くの黒死病患者が入院している。
それこそ、人間だけでなく、ドワーフやエルフなど、種族を問わず、黒死病を発症したことで居場所を失い、時には命を奪われそうになった患者が助けを請う場所だ。
『黒死病患者を救うべきだ』という崇高な口実を盾に、レンジがユーリを修霊院に連れて行き、ユーリの立場を二の次にして、黒死病の治療と原因究明を合理的に解決しようとしたのでは―――セインはそれを危惧していたのだ。
「確かに僕自身、黒死病の原因を知りたいとは思っている。黒死病の苦しみを経験した者として、他の患者も救われればとも思っている。だがな」
一呼吸置いて、レンジは重々しく宣言した。
「……最優先すべきは、ユーリだ。ユーリの身の安全と、不当な罪を着せられないこと。それが保証されないのであれば僕は……ユーリは今後、黒死病に関わらない方がよいとすら思っている」
「ッ……!」
驚きで声を失うセインに、
「君が思っているほど僕は高潔ではないんだよ、セイン」
レンジは苦笑した。
「こんな事を言ったら非難されるだろうな。『自分もかつては黒死病に苦しめられていたくせに見殺しにするのか』と。全ての黒死病患者に恨まれるだろう」
自嘲気味に呟きながらも、その瞳には揺るぎない覚悟が宿っていた。
「……それでも構わない。僕はユーリに救われた。それは命だけではない。僕よりも僕の人生を尊重し、幸せを望んでくれた。そんな彼女を、みすみす火中に放り込むようなことだけは絶対にしたくない。その結果、どれだけの者に恨まれ、どれほどの命が失われようとしても、だ」
「レンジさん……」
「だが、黒死病に苦しむ患者が再び現れたら、ユーリはきっと助けようとするのだろう。己の技術と信念を尽くして。ならば僕は、ユーリに降りかかる火の粉を全力で払いきってみせる」
ユーリが望むのであれば、心置きなく黒死病の治療ができるよう全力でサポートをする。だが、治療することでユーリの身に危険が及び、犯罪者扱いされるようなことになるくらいなら
―――全ての黒死病患者を見捨てても構わない。
それが、この冷静沈着なドワーフが普段は決しておくびにも出さない、ユーリへの心酔とも捉えかねない強い決意なのだ。
「これは恩返しなどではない。完全なる僕のエゴだ。少なくとも、僕の方が余程、極悪非道な考え方をしている」
黙って聞いていたセインをレンジは、
「僕を軽蔑するか?」
セインの心を見定めようとするかのように見つめた。
「……いいえ」
静かに首を振った。
「むしろ、有り難いとさえ思っています。黒死病の患者を救うことと、ユーリさんの身を守ることは、どちらも同じくらい重要だと思っていましたから。レンジさんに守っていただけるのであれば、これ以上心強いことはありません」
セインは改めてレンジに向き合い、
「これからも、よろしくお願いします」
と軽く頭を下げた。
するとレンジは眉を下げて、
「……君にも感謝しているんだ、セイン。ヒーラーである君にとって、治癒魔法が通用しない黒死病患者など関わりたくもない存在だっただろうに。君も僕の命を救うために尽力してくれた」
セインに深く頭を下げた。
「……本当に、ありがとう」
「私はただ、ユーリさんの指示に従ったに過ぎません。全てはユーリさんの力があってこそ、ですよ」
とレンジの頭を上げさせた。
「今日はこれくらいにして、そろそろ休みましょう。明日からレンジさんの新居や封魔石の生産について本格的に準備しなければなりませんから」
「ああ、そうだな」
レンジもセインに同意した。
「おやすみ、セイン」
「おやすみなさい、レンジさん」
2階に上がったセインの足は自室ではなく―――ユーリの部屋の前で止まった。
一瞬ドアノブに手を伸ばしかけたがすぐに空中で止まり、代わりにドアの表面を撫でるだけに止まった。
その手はまるで慈しむように、幼子の頭を優しく包み込むようだった。
(あのレンジさんが―――精霊の愛し子が、あそこまで忠誠を示してくれるとは思いも寄らなかった)
この村に移住して定期的にガルナン首長国に出向していたセインは、これまでにもレンジに会う機会があった。
セインの知る、レンジというドワーフは、聡明で冷静沈着、無表情で感情を露わにすることが滅多になかったが、だからと言って第3太子という身分を振り翳すことはなく、研究所の部下への評価は業績を軸に公正な判断を下していた。
ほとんどの研究員や技能者は、レンジの身分や容姿に関係なく、レンジの才能や人柄を尊敬していたが、貴族出身の研究員、特に所長は、侮蔑に満ちた眼差しや嘲りの言葉を投げかけることがあった。
それでもレンジは決して卑屈になることなく、常に堂々とした佇まいで、完璧でいた。
―――いや。
完璧であり続けなければ。
少しでも弱みを見せてしまえば。
一瞬で押しつぶされてしまう程の重圧に、ひたすら必死に耐え続けていただけなのだ。
今のレンジの、肩の力が抜けるにつれて増えていく豊かな表情を見て、セインは初めてその事実に気が付いたのだった。
(だけど、黒死病を治療した恩返しというだけでは、あそこまで彼女に対し強く思うことはなかっただろう)
きっかけは間違いなく、あの言葉だ。
『せっかく黒死病から生還したんだから、私達のことは気にせず、これからは自分のために楽しく生きて欲しい』
『それでも恩を返したいって言ってくれるのなら、レンジ君がこれからの人生をより良いものにして、幸せに生きてくれることかな』
黒死病という致死率100%の恐ろしい病から救ったにも関わらず、何の見返りも求めず、恩着せがましくすることもなく、レンジの幸せな人生を願い、その背中を優しく後押ししようとした。
それはきっと、レンジが長い間心の底から望んでいたもの―――『無償の愛』というもの。
だからこそ、何の躊躇いもなく与えてくれた彼女に、レンジは絶対の信頼と忠誠を捧げたのだろう。
セインは額をそっとドアにつけ、
「君は本当に君のままなんだね……」
優しく、しかし切なさを込めて、深い眠りについている彼女に囁く。
それは、あまりにも一瞬のことで、もし見ている人物がいても気が付かなかっただろう。
セインの茶髪と空色の瞳がほんの一瞬―――闇を纏う漆黒に変化したことを。
「きっと大丈夫だ。レンジさんが、精霊の愛し子が君の傍にいてくれる」
「だから、ユーリ―――」
”君ならきっと僕をーーー殺すことができるよ”
その囁きは、夜の帳の中にそっと埋もれ、静かに落ちていった。
ブクマしていただければ励みになります。




