Karte.52
トクットクットクッと小気味よい音を立てながら、レンジ君のグラスにナミナミと葡萄酒を注いでいく。
「どうぞ、どうぞ!今日はお疲れさまでした~!」
「異様にテンションが高いな、ユーリは」
「もう既にけっこう飲んでますからね」
ついさっきまで、私達は『憩いの木馬亭』で飲んでいたが、今はレンジ君を囲み、セインと私の家で宅飲み中だ。
トーマスさんの義足の一件で、新参者のレンジ君の評判は一気に村中に広まり、レンジ君は一躍、時の人状態になった。
事実、『憩いの木馬亭』で催されたレンジ君の歓迎会(おまけで、セインと私の帰還パーティー)に参加したトーマスさんが、義足を御披露目しながら、いかにレンジ君が素晴らしい技能者かを熱く語り、村のみんなもトーマスさんの義足が本物同然に動くことに驚き、そして、トーマスさんがまた以前のように乗馬できるようになったことを自分のことのように喜んでいた。
また、トーマスさんやマリーさんだけでなく、ダンカンさんまでも『レンジ先生』と呼ぶようになった。
ティム君にガチで説教しているレンジ君が、今は亡きご両親に怒鳴りつけられるより怖かったから、だそうだ。
その結果、『レンジ先生』呼びがすっかり定着してしまった訳だ。
「そりゃそうだよね。実年齢もそうだけど、レンジ君は何たってドラゴン倒しちゃうくらいなんだから。修羅場のくぐり方が尋常じゃないもの」
「別に僕も好き好んで場数を踏んだわけではない」
道中では絶対に飲めなかった、久しぶりの麦酒と葡萄酒のジョッキを1杯ずつ速効で飲み干した私と違い、レンジ君は1杯目の葡萄酒もほとんど口に付けていない。
集まった村人達に挨拶して回っていたのと、セインとポールさんと一緒に、今後のレンジ君の住まいや封魔石作りについて話し合う必要があったからだ。
「それにしても、本当に申し訳ありません。新居が決まるまでここの宿屋に泊まって頂こうと思っていたのですが」
「構いませんよ。僕は移住者の身ですから、バレット氏の行商団を優先させるのが当然です」
さしあたっての問題が、ここ数日間のレンジ君の寝る場所だ。
本当であれば、新居が決まるまでは『憩いの木馬亭』に併設されている宿屋に泊まることができる。
だけど、この村にはレンジ君以外にもバレットさん率いる行商団も訪れており、カーラさんと合流次第の出発なので、数日間滞在する可能性が高いのだ。
そして残念ながら、この小さな村の宿屋は、商人達を受け入れてしまえばもう満室なのだ。
「でも本当によろしいんですか?診療スペースで寝泊まりなんて。ここの宿屋が空くまでなんですから、私が診療スペースで寝て、レンジさんが私の部屋を使っていただいてもいいんですよ?」
「流石に家主を自室から追い出すわけにはいかないだろう。研究所でも、椅子を繋げて寝ることが多かったから、問題はない」
「え、だったら私の部屋使っても別にいいよ?私もどこででも寝れるから」
と提案してみたが、
「面倒なことになるから君は黙っていてくれないか?」
と一蹴されてしまった。
「うぅ゛~何よ~。私だってあの家に住んでいるって言うのに~」
とブーブー文句を言うと、
「ユーリさんの申し出は大変ありがたいですけど……流石に女性の部屋を貸すのはちょっと……」
とセインがやんわりと窘められた。
ほろ酔い気分だったこともあり、
「私の下着見たって別に楽しくもなんともないけど」
何ていうことをうっかり言ってしまったら、
「……君には貞操観念というものがないのか?」
レンジ君が本気でドン引きしてしまったので、
「……スミマセン、口閉じてます」
その後は黙って聞き役に徹していた。
それから、レンジ君が新居の場所や、封魔石作りの工房なんかについてアレコレ話していると、
「レンジ兄ちゃん!」
ティム君がひょっこり酒場に顔を出してきた。
すっかりレンジ君に懐いてしまったようで、嬉しそうに近づいてきた。
「あっ、葡萄酒飲んでるの?オレも飲みたい!」
「コラ!アンタはダメでしょ!」
マリーさんが慌てて引き離そうとするが、
「なんでレンジ兄ちゃんはよくて、オレはダメなんだよー!」
と母親に文句を言ってきた。
(ドワーフのことを知らないティム君からすれば、レンジ君って年上の男の子に見える訳ね)
だから、自分と同じ子供のレンジ君がお酒飲んでもいいのが気に喰わないのだろう。
「ティム。僕の見た目は人間の子供のように見えるかもしれないが、成人して既に40年以上経っていて、とうの昔に飲酒も許可されているんだ」
とレンジ君がやんわりと諭すが、
「ええーなんでだよぉ、オレもレンジ兄ちゃんとおんなじの飲みたい!」
と、やっぱりよく分かっていないので駄々をこね始めた。
「分からないことを言うんじゃないよ!レンジ先生はとっくの昔に立派な大人になってんの!アンタはまだ子供なんだから、ミルクでも飲んでな!」
とマリーさんが注意するが、
「ミルクなんて飲まない!葡萄酒を飲むんだ!」
とティム君はてんで聞く耳を持たず。
「いい加減にしないと、店からつまみ出すよッ!!」
遂に怒鳴り始めたマリーさんにティム君は目を潤ませ、それでも納得がいかないのか口をとがらせている。
―――スッ
「えっ」
「飲んでくれ。ほとんど口を付けていないから」
ふいにレンジ君からジョッキを渡された。
そしてマリーさんに、
「……すまないが、僕にもミルクをくれるか?」
完全に諦めた顔で、そう注文した。
「そんなッ!この子のことなんて無視して飲んでくださいよ、先生!」
マリーさんは慌てて取り成すが、
「長旅で疲れたせいか、少し飲んだだけで大分酔いが回ったようだ。ミルクでも飲んで酔いを醒まそうと思う」
(めっちゃ空気読んでるな、レンジ君)
そんな私は遠慮なくレンジ君のジョッキをグビグビ頂いているけど。
「じゃあオレも、ミルク飲む!」
とティム君はあっさり葡萄酒を諦め、母親にせがんだ。
要は、レンジ君とお揃いのものが欲しかっただけのようだ。
子供らしくて何とも微笑ましいが、それに付き合うレンジ君も本当に優しい。
「レンジ兄ちゃんは今日からこの村に住むんだろ?明日、オレが村を案内するよ!」
「そうか。それでは、よろしく頼む」
「オレの秘密の穴場も教えてやるよ!魚が良く釣れるところなんだ!」
「ほお。釣りはしたことがないな」
「そうなの?じゃあ、オレが教えよっか!」
「それは楽しみだな」
「なんか……いいよねえ」
実年齢差は祖父と孫ってくらい離れているのに、仲良くミルクを飲みながら話しているのが、とてもほのぼのしていて……イイ!
「本当に、良い人に来て頂きましたね」
「そうですね」
ポールさんとセインも温かい目で2人のことを見守っていたのだった。
結局レンジ君はその後一滴もお酒を飲むことができず、宴会がお開きになった後に、
「うちの子が本当にわがまま言って、ごめんなさい!」
とマリーさんが、お詫びに葡萄酒のボトル1本をお土産に渡してくれた。
「いいんですか?頂いて」
セインが恐縮して言うと、
「だってレンジ先生、うちの子に合わせてミルクしか飲んでないじゃない!これでもまだ足りないかもだけど……」
「セイン、せっかくだ。ありがたく頂いていこう」
レンジ君はマリーさんから快くボトルを受け取った。
ちなみにティム君はすっかりお眠になってしまい、トーマスさんに連れ添われ先に帰っていた。
「じゃあ、このまま家で飲んじゃおう!」
「君はこれ以上飲むなよ」
―――というわけで、私、セイン、レンジ君による2次会という名の宅飲みが開催された。