Karte.45 ユーリ背中を押す、そして、レンジの新たな人生
目を覚ましたときにはすでに2人とも起きていて。
慌てて荷馬車から顔を出すと、今日一番顔を合わせにくい人物と出くわしてしまった。
「お、おはようございます……レンジ、大先輩……」
「……君は僕の名前におかしな敬称を付けるのが好きなのか?」
呆れた表情を浮かべながら、美少年の姿をした人生の大先輩は、温かい湯気が立つコップを渡してくれた。
「セ、セインは?」
「食料を取りに行くついでに今日の行程をカーラ殿に確認しに行っている」
いつも通り淡々と話しかけてくれるが、昨夜のことを思い出すとこちらは非常に居たたまれない。
「あ、あのぉ……」
オズオズと話しかけると、目線だけこちらに送られる。
「その、昨日は若輩者の分際で、随分、偉そうなことを言ってしまったなぁ、と……その、反省して、おりまして……」
「だから、朝からいつにもまして挙動不審なのか」
「ちょっ……!私だって、あの後寝付けないくらいアレコレ悩んでたんですよ!」
だからいつもより起きるのが遅くなったんだけど、とまでは流石に言えず。
澄ました顔でお茶を口にするレンジ大先輩を恨めしそうに見ながら、私もフーフーとお茶に息を吹きかけた。
「反省することなど何もないだろ。君が言ったことに間違えはなかったのだから」
ポツリとレンジ大先輩が呟いた。
「ユーリ。僕は、黒死病を発症してから今日に至るまで分かったことがある」
「え?」
「どうやら僕は、自分が思っていた以上に愚かだったということだ」
「それ……本気で言ってます?」
あなたが愚かだったら、世の中の人の頭の中には、脳みそじゃなくてスライムが詰まっていることになるんですけど。
「ああ。現に、僕は黒死病を前に何も出来なかった。唯一できたことと言えば、絶え間のない激痛と死の恐怖に耐え、周囲に隠し続けることだけだった」
その時の苦しみを思い出したのかレンジ大先輩の顔がわずかに曇る。
「そして昨夜、君は『僕が幸せに生きることが恩返しだ』と言ってくれた。だが僕は……自分がどうすれば幸せに生きることができるのか、全く分からない。太子という柵がなくなり自由に生きる権利は得たが、その後のことは皆目見当がつかない」
そして私の方を向く。
「君は若輩者の分際でと言うが、僕はその若輩者に助けてもらわなければ何もできない愚か者だ。だから、君が気にすることは何もない」
困ったように微笑むその顔は、途方に暮れた迷子のようにどこか頼りないものだった。
(本当に真面目だな、この人。そして……私が思っている以上に根深いものなのかもしれない)
あの性悪騎士団長とのやり取りを見る限り、レンジ……君は実の家族からも理不尽な扱いを受け続け、そのせいで自己犠牲が当たり前になっているのだろう。
だから、私に必要以上に恩を返さないといけないと思っている可能性がある。
責任感が強いからなおさらだ。
(こういう時、誠吾なら何て言うのかな……)
ふと、精神科医だった彼の顔を思い浮かべる。
けど、すぐにその考えを捨てた。
(外科医の私がレンジ君の心理に沿った気の利いたことが言えるとは思えないし、どうしたって嘘くさくなるだけだ)
―――ならば。
「レンジ君は私のことを大分買いかぶってくれているみたいだけど、私だって成人君子じゃないから、打算はあるよ」
「そう、なのか?」
「そうよ。だって……嫌じゃない!あんな危険な目に合いながらせっかく必死に治療したのに、レンジ君のその後の人生が結局ロクでもないものになって『治療なんてしなければよかった!』なんてことになったら!あの時の苦労が水の泡よ」
ポカンと口を開けたレンジ君に構わず話し続けた。
「だから、レンジ君には幸せな人生を送ってもらわないと私が困るのよ。『治療をしてくれたお陰でその後の人生がさらに素晴らしいものになった』くらいにしてもらわないと。私が坑道で死にかけた意味が無くなっちゃうじゃない」
「……プッ、アハハハハッ!」
お腹を抱えてレンジ君が笑い出した。
「フフフッ!た、確かに、その通りだな!」
私もそれにつられてフフッと笑う。
「確かに私は黒死病の治療をしたけど、別にレンジ君を不死身にしたわけじゃない。まあ当たり前なんだけど。言葉を選ばなければ、私はレンジ君の死期を遅らせただけなのよ。例え今回黒死病で死ななかったとしても、レンジ君はいつかは死ぬ。当然私もそうだし、限りある命の死亡率は100%なんだから、避けられない事実なのよ」
それは、医師になってから何度も思い知らされた真実だ。
消化器外科に属していた私も、これ以上手の施しようがない末期の癌患者を何度も看取ってきた。
もちろん……誠吾もそのうちの1人だ。
「だからね、あくまで仕事をしただけの私に、必要以上に尽くす時間がもったいないって。そりゃあ感謝してくれるのは嬉しいし、やりがいにもなるよ。でも昨日も言ったとおり、今回の仕事が本当の意味で成功するかどうかは、これからのレンジ君次第なんだから。それを私への恩返しのためだけに費やすのは止めて欲しいのよ。そんなことしてほしくて、私は命をかけてレンジ君のこと助けた訳じゃないし、下手すると私の仕事が無駄になっちゃう」
「だが……君は仕事をしたというのなら、それに対して正当な報酬が必要だろう?僕はまだ、君の仕事に見合うだけのものを払っては」
「それなら、もう貰っているよ?しかも前払いで」
それでも言い募ろうとするレンジ君を遮り、腰のポーチから取り出したモノを見せた。
「それは……!」
「……コレがなければ私はあの治療をすることは絶対にできなかった。『作っても無駄だ』と断られ続けたこのナイフを、レンジ君だけが私の気持ちを汲んで作ってくれた。それも、今まで使った中で最上級の逸品をね」
朝日に柔らかく光る刃渡りたった3cm程の小さなナイフ。
だけど、このメスが生みの親の命を救った。
それはきっと、長年不当な扱いを受けながらも、私のような小娘の願いに寄り添ってくれるその優しさこそが、レンジ君を生かしたのだ。
「詰まるところ、レンジ君を黒死病から救ったのは、他ならぬレンジ君自身だったのよ。だから、これで貸し借りはなし。心置きなく自分の人生を始められるんじゃない?ガルナン首長国の第3太子としてではなく、『レンジ=トゥル=ゾレ=ガルナン』という1人のドワーフとして」
メスを閃かせながら二ッと笑いかける。
「本当に、君という人は……」
メスを見つめる琥珀色の瞳が朝日に揺れる。
まるで本物の宝石のような煌めきだ。
レンジ君は手元のコップに目を落とした。
「……僕は、知りたい」
ポツリと小さな声が漏れる。
「僕を苦しめ、死に陥れようとした病を……黒死病の正体を、この目で確かめたい」
そして私の方を向く。
その顔は、凛々しく、気高く、頼もしいものだった。
「だから、やはり僕は君達とともにフラノ村で暮らそうと思う。もしまた黒死病の患者が現れたとしても、君は決して見捨てないだろうから」
「レンジ君て……本当に真面目だね」
ハア、とため息が漏れる。
「1日中麦酒飲みながらダラダラ寝てたって、文句言う人は誰もいないのに」
「ハハハッ!確かにそれも悪くないかもしれないな!」
レンジ君は楽しそうに笑い声を上げる。
「だがな、僕はやはり研究者なんだ。太子の地位は放棄しても、未知の事象を突き詰めたいという欲求まで放棄した訳ではない。それに……今まで誰にも言ったことがなかったんだがな」
内緒話を打ち明けるようにソッと声を落とす。
「僕は……魔物と戦うのが嫌いなんだ」
一瞬言葉に詰まってしまったが、
「……だったら、ルーベルト伯邸に居候するのは難しそうだね」
「そういうことだ」
諦めたように笑うと、レンジ君もニッと笑いかけてきた。
まるで悪戯が成功した子供のような笑顔だ。
仕方がない。
レンジ君が『こうしたい』と言うことをするのが、一番正しいのだろう。
少なくとも彼の寿命は私の2倍はあるのだから、フラノ村でゆっくり過ごすのも悪くはない。
「ま、フラノ村は何もないけど、長閑で平穏な村だから。今まで苦労した分のんびりするにはちょうどいいと思うよ」
そして、スッと右手を出し笑いかける。
「改めまして……よろしくね、レンジ君!」
一瞬目を見開くが、
「……ああ」
フッと微笑むと、レンジ君も右手を差し出した。
「こちらこそ、よろしく頼む。ユーリ」
―――こうしてフラノ村には、ずば抜けた才能と技術、そして誠実さを兼ね揃えたドワーフが、新たに加わることになった。
「ところでレンジ君て、麦酒飲んでも注意されないの?」
「……本当に一言余計だな。君は」
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