Karte.3 聖女生活開始、そして、とりあえずスローライフなのか?
「おはようございます、ユーリさん。よく眠れましたか?」
「……アハハハ、まあね」
朝から誠吾、じゃなかったセインの優しい笑顔。
一睡もできなかった私の目には眩しくてチカチカする。
(この人は本当に誠吾じゃないんだよね?)
それは昨日から何度も浮かんでは消えていった疑問だった。
セインの朝日に透かされた茶髪と空色の瞳が、黒髪黒目の誠吾と違うことを際だたせているのに。
年齢だって、誠吾より10歳以上も若いのに。
何気ない表情や仕草、雰囲気は驚くほど誠吾そのもだ。
(誠吾もひょっとして異世界に転生しちゃった、とか?)
ふと浮かんだ考えを即座に否定する。
いやいや、さすがにそこまで都合よくないでしょ。それに、私の名前を教えても平然としていたし。
まあ私自身も容姿変わりすぎているからなー。
例え万一彼が誠吾だったとしても、絶対に『瀬戸悠莉』だとは分からない自信がある。
顔を洗ったとき鏡に写った自分を思い出す。
寝癖で波打っているけど、朝日に透き通る金髪の長い髪。
寝不足で若干濁っているけど、春の若葉を彷彿させる翡翠色の瞳。
やはり寝不足と精神的疲労で張りが失われて、目の下にも若干隈が浮かんでいるけど、陶器のようなスベスベの肌。
以前の姿とはかけ離れた、うら若き金髪翠眼の17歳の美少女……ひどくくたびれているけど。
そう、私の肉体年齢は17歳相当なんだそうだ。
正直こんな疲れた17歳がいていいものなのかとも思う。でも中身はアラサーとアラフォーの分岐点にいる。だから徹夜が精神的にこたえるのは、許してほしい。
セインに乾いた笑顔を向けながら、リビングの椅子に腰掛ける。
セインはというと、甲斐甲斐しくも朝ご飯を作ってくれていた。ホントにいい人。
ぼんやりと料理を見ていると、セインがフライパンをコンロらしきものの上に乗せていた。
私の知っているコンロと違うのは、その中心に球体状の石が置かれていることだ。
セインはそれに手をかざすと、
「解除」
―――ボッ
呪文とともに、その石を中心に火が点いた。
(なるほど……これが、封魔石か)
熱くなったフライパンの上で卵がジュージュー焼かれているのを見ながら、一晩中行われた講義を思い出す。
私の記憶から生まれたくせにアイはめちゃくちゃスパルタだ。
私がたった1日で激変した人生に疲れ切っていたというのに、この世界の一般常識や生活様式を問答無用でレクチャーしてきたのだ、しかも夜通しで。
まあ、睡眠を代償にしたおかげでこれ以上非常識人のレッテルを貼られなくて済みそうだけど。
その中の一つに出てきたのが、封魔石だ。
封魔石とは、名前の通り魔法を封じ込めた石のことで、今目の前で火を出しているのは火属性魔法を封じ込めたのものだ。
この世界で火属性魔法を使えるのはドワーフだけで、人間やエルフが火を起こすためにはそれなりの燃料や労力が必要になる。
そんな人間やエルフでも微量な魔力で手軽に火を起こせるようにした道具がこれ。
封魔石はドワーフの国、ガルナン首長国の鉱山で採掘された魔鉱石という鉱石から作られている。
魔鉱石はドワーフによって加工、火属性魔法の封印まで行われ、人間やエルフの国に輸出されている。
《ガルナン首長国の大部分は鉱山や洞窟で占められており、もともと農業に不向きな土地です。しかしドワーフが使用できる火や土属性魔法との相性が非常に良い土地でもあり、それを利用して、ドワーフたちは封魔石以外にも金属加工や宝飾加工の技術を発展させたのです》ということだそうな。
ちなみに他の属性魔法も封じ込めることができ、人間の光属性魔法、エルフのみが使用できる水や風属性魔法を封じ込めた封魔石もあるらしい。
「できましたよ、ユーリさん」
セインの声にハッとする。
「あっ、ごめんごめん。料理運ぶね」
慌てて立ち上がる。
今朝のメニューは、目玉焼きとカリカリに焼いたベーコン、数種類の野菜を盛り合わせたサラダ、そしてトロリと溶けたチーズを乗せたきつね色のトースト。
セインが淹れてくれた紅茶を置けば完成だ。
「すごい!豪華!おいしそう!」
「そうですか?いつもこんな感じですが」
いやいや。栄養ドリンクで済ませていた私にしてみれば、十分立派な朝ごはんだ。
「「いただきます」」
向かい合って食事をするセインを見ながら、
(こんなにのんびり朝ごはん食べるなんて久しぶり過ぎる……)
と感激している自分はいよいよヤバいのかもしれない。
セインの手料理はめちゃくちゃおいしいし。
思えば、元の世界にいた時は1か月1度も家に帰れない日とかあったしなぁ。まあ、人手不足の病院の勤務医なんて過労死ラインに余裕で引っかかるだろうし。
「今日は村長さんや村の皆さんにユーリさんのことを紹介しようと思います」
「ありがとう。そうしてくれると助かる」
昨日のダンカンさんみたいに、不審者扱いされると困るしね。
セインは私を王都からきた助手として紹介するみたいだ。
「昔は王都に住んでたの?」
「ええ……実は王宮仕えのヒーラーだったのです」
「えっ、そうだったの?!それってとんでもなくすごいことじゃないの?!」
驚きの声を上げる私を見て、セインは苦笑いしながら紅茶を飲む。
「でも今は何でこの村に?」
「私のせいなんです……血が苦手だから」
「あー……」
たしかに致命的だ。
「かすり傷程度であれば全く問題ないのですが、昨日のような明らかな流血を見ると、貧血を起こしてしまうんです。これでも大分マシにはなったのですが」
紅茶をスプーンでかき混ぜながら、ポツポツと説明する。
「王宮で働いていたときはしょっちゅう倒れてしまい、上司からも愛想を尽かされてしまいました。結果王宮を追い出されてしまったのです。行く宛てもなく途方にくれていた私をこの村に紹介してくださったのが、この地方を治めているルーベルト辺境伯だったのです」
「なるほどね」
要するに左遷されてしまったわけか。まだ若いのに、苦労してるな。
「幸いこの村の人達は皆さん優しい人ばかりですし、昨日みたいな負傷者も滅多にいない平和な村ですから、私はここでの生活に満足していますよ」
穏やかな笑顔からは無理している様子もないから嘘ではないんだろう。
「ですから」
しんみりした空気をかき消すように、紅茶のコップを置く。
「私を受け入れてくださった、この村のみなさんのためにも、ヒーラーとしてもっとお役に立ちたい。そのためにも、ぜひユーリさんの力を借りたいのです」
「セイン……」
空色の瞳を思わずじっと見つめてしまう。
正直、納得してしまった。
この若さで王宮に仕えるなんて、相当優秀なヒーラーなんだろう。
でも、ヒーラーなのに血が苦手なんてとんでもなく大きなマイナスポイントだ。
きっと、王宮内の熾烈な出世競争は勝ち残れない。
確かにこの村での穏やかな暮らしの方がセインの気性にはとても合っているんだろう。
「……分かった。そもそも家に置いてもらう身なんだし、私でできることがあったら遠慮なく言って」
そう返すと、
「ありがとうございます」
ホッとしたようなセインの笑顔が何だか少し寂しげなように感じた。
セインの紹介で、私の存在は拍子抜けするほどあっさり村人達に受け入れられた。多分顔の広いダンカンさんも口を利いてくれたんだろう。
その日の夜ダンカンさん主催で、村の広場で歓迎会も開いてくれた。
元の世界でも私はアルコールに強かったけど、今の姿でもそれは健在らしい。
ちなみに飲酒は16歳からOKらしいので、私も問題なく酒盛りに参加することができた。
麦酒(この世界でのビールもどき)と葡萄酒(この世界でのワインもどき)を飲みまくっていたら、ダンカンさんを始めとするおじさん連中とすっかり仲良くなってしまった。
「ねーちゃん、若いのにいい飲みっぷりだな!」
なんて言われて調子に乗ってガンガン飲みまくり、気づいたらおじさん連中は全員酔いつぶれていた。
ちなみにセインはお酒がほぼダメらしく、ずっとアイスティーをちびちび飲んでいた。
見た目を裏切らない見事な草食系っぷりだった。
結局飲み会会場で屍と化した人達をセインと一緒に介抱し、酔っ払い達のご家族からは、大層感謝された。
そして次の日からは、セインの助手としての仕事をする日々だった。
といっても薬草採取や薬づくり、薬の販売といったことがほとんどで、初日みたいな怪我人や病人は一人も来なかった。
ヒーラーは光属性魔法で怪我や病気を治す仕事だが、如何せんその治療費はべらぼうに高い。
ヒーラー自体が高度な専門職で数が少ないから仕方ないのだろうけど、1回の治療費の相場が平均的な庶民の1ヶ月分の収入になるんだからスゴい高給取りだ。
だからヒーラーの治療を気軽に受けられるのは貴族や王族といったお金持ちがほとんどで、一般庶民は薬を使って怪我や病気を治している。
断っておくけど、セインはそんなぼったくりはしない。
むしろ非常に良心的だ。
大体が物々交換とか労働の対価とか、お金はほぼもらっていないらしい。
でもそれをやり過ぎると他のヒーラーにやっかまれるし、セインの魔力にも限界があるので、大勢患者が押し寄せると、この間の時のようにここぞというときに魔法が使えなくなる。
村の人達もそのあたりを良く理解してくれているらしく、普段は薬で対応するようにして、どうしても必要なときだけセインの治癒魔法に頼っているみたい。
ちなみに薬の調合もヒーラーの仕事の一つだが別に専売特許ではない。『薬師』という職業もちゃんと存在するらしく、ヒーラーがいない町は薬師が調合や販売、診察などをしている。
最もフラノ村みたいな本当に小さな農村は薬師もいないらしく、その場合は各家庭の秘伝の調合なんかで対応しているらしい。
そんな訳で、セインに教えてもらったり、自分で調べたり、時々アイに質問したりしながら、毎日薬草を採取し、薬を調合し、気がついたら村に住み始めて1ヶ月経とうとしていた。
「今日もたくさん採れたなー」
日課の薬草採取を終え、帰路に着いた。
見渡す限りの畑には青い穂をつけた小麦がさざ波のようにうねり、遠くの山々には瑞々しい青葉が彩っている。
小麦の間を吹き抜ける風が何とも清々しい。
空を見上げると太陽が輝き、その隣にひっそりと寄り添うように三日月が見える。
夜になると、今度は月が大きく見え、太陽は控えめに瞬くようになる。昼と夜で太陽と月が交互に大きくなったり小さくなったりしているのだ。
「平和だな……」
そう、本当に平和だ。
今も呑気に畑の間の小道をブラブラ歩いているが、特に何も起こっていない。
セインの家に居候した夜にアイから《闇の勢力が~》とか《聖女として転生した~》とか、散々脅されて。
肉体は10代の美少女なんだけど、中身がアラフォー一歩手前の私に、そんな美少女戦士的な活躍を期待されても本当に困る。
だから翌日から
(いきなり襲われたり、戦闘とか始まったらどうしよう)
と真剣にビビっていた。
でも実際やっていることは、薬草採取と薬の調合、そしてセインの助手だ。
助手といっても薬の販売くらいだし、お腹に穴が空いているような重症患者もなく、今のところ私の結界魔法の出番もない。
この調子だと、闇の勢力との闘いどころか、以前の世界での激務からも解き放たれたスローライフを送って、生涯を終えることになるんじゃないだろうか。
(それも、悪くないかもしれないな)
自分でも意外なほどこの世界の生活がしっくりきているし、なにより。
……この世界には誠吾そっくりの青年がいて、彼と一緒に暮らすこともできている。
「あ、ユーリちゃん!」
随分ぼんやり歩いていたようで、いつの間にか村の広場に到着していた。
声のした方を見ると、赤毛の長い髪を一つに縛った若い女性が笑いかけてきた。
村長の娘のアンナさんだ。
「今日も薬草を採ってきてくれたの?いつもありがとう」
「いえいえ、そこまで大変じゃないですから」
挨拶しながら、視線が勝手にお腹の方に向いてしまう。
「また大きくなったんじゃないですか?」
「そうなのよー。ジュディさんも、もうそろそろなんじゃないかって。早く会いたいわ!」
愛おしげに大きなお腹を撫でる彼女に自然と頬が緩む。
ジュディさんというのはこの村の産婆さんだ。
この世界にも産婆さんがいて、妊娠中の経過を見てくれたり、出産の介助をしてくれる。
「これから先生の所に戻るの?」
「はい。採ってきた薬草の処理をしないといけないので」
世間話をしながら彼女と一緒に広場を歩いていく。
「そう言えばね、ユーリちゃんにずっと聞きたかったことがあるんだけど」
……何やら嫌な予感。
「何ですか?」
「ユーリちゃんと先生って、どういう関係なの?!」
はいきた!
この村に来てから何度となくされている質問だ。
みなさん興味津々で目をキラキラさせているところも共通している。
「どういうって……ただの師匠兼上司と助手の関係ですよ」
「またまた~!ただの助手がこんな辺鄙な田舎まで追いかけてくるなんて普通ないわよー?しかもユーリちゃん可愛いし、先生だって絶対まんざらじゃないと思うけど?」
アンナさんは頬を染めながら、はしゃいだ様子でまくし立てている。
そんなことを言われても、そもそも私はこの世界の人間じゃなかったし森で倒れていたところをセインに保護されただけだから、期待されるような展開は起きていないんですよ。
「いやー、セイン……先生は絶対そんな風に思っていないですよ」
アハハハ、と乾いた笑い声を上げた。
「そもそも私が先生を追ってきたのは、両親の命令なんですから」
「ご両親の?」
アンナさんは驚いた表情を浮かべる。
ここからはセインと打ち合わせしておいた嘘八百の作り話の出番だ。
「もともと親同士が知り合いだったんですが、私が魔法の素養があると分かって、両親が魔法を学べるようセイン先生に頼んでいてくれてたんです。でも王宮でのヒーラーの仕事が予想以上に多忙で、しかもいつの間にかこの村に移住する事になってしまって、結局教わらず仕舞いになってしまって。そうしたら、『ちょうどいいから助手として働かせてもらいながら、ゆっくり魔法を教授してきてもらえ。』と申しつけられまして。先生も快く承諾してくださったので、私もこちらに住み込ませてもらうことになったんです」
全部でたらめだけど、これが一番角が立たない理由だろう。実際私は魔法が使えるし。
「まあ、そうだったの。若いのにユーリちゃんも才能があるのねぇ」
目を見開きながら、アンナさんが口に手を当てる。
「でも、いくら魔法の修行のためだからって嫁入り前のお嬢さんを住み込ませるなんて、よっぽど先生を信頼していないとできないわよ!ヒーラーと結婚できるなんて滅多にないチャンンスなんだから、このまま先生を逃しちゃだめよ!私もね~」
そこからは今の旦那さんとの馴れ初めといかに結婚へ至ったかを熱く語ってくれた。
ホント女性ってこの手の話好きだよね!
適当に相槌を打っていたら、いつの間にか家に到着していた。
そう、セインと私が住んでいる家……
「だからね、ユーリちゃん!」
「はい?!」
急に話しかけられ、予想以上に大きな声が出てしまった。
すみません、全く聞いてなかったです。
「あんな優良物件は絶対に逃しちゃダメなんだからね!分かった?」
「は、はい」
それじゃあね、と手を振るアンナさんに手を振り返し、家の中に入っていった。
「おかえりなさい」
「ただいま。今日も薬草たくさん採れたよ」
「ありがとうございます」
籠に集めた薬草を取り出していく。
1つ1つ薬草を確認しながらセインは感嘆のため息をつく。
「いつ見てもユーリさんの採取した薬草は泥や汚れが全くついてないですよね」
「まあね」
得意げに答えながら、手に草の汁がついているのを見つける。
「光の精霊よ、我に御加護を。"パージ"!」
するとパァッと両手が淡く光り、光が消えると汚れ一つないピカピカな手になった。
私が使えるもう一つの魔法、浄化魔法だ。
『対象の汚染や呪いを清浄化する』ことができる、だなんて、最初はどう使えばいいのか全く分からなかったけど、今は土で汚れた薬草とか使った食器とか洗濯物とかをキレイにしてくれる、実に素晴らしい魔法だった。
たまにお風呂に入るのが面倒くさかったりしたときに自分にかけて体をキレイにしたりしているのは、セインには内緒だ。
「さて薬草の処理は午後にして、お昼ご飯にしましょうか」
「そうしよっか!」
セインと一緒に食事の用意をする。
うん、私は間違いなくこの世界の、この生活が好きだ。
前世の多忙な病院勤めが恋しく感じない、こともないけど、このゆったりした感覚が何とも心地いい。
(本当にこのままのんびり過ごすのも全然ありよね)
このときは、そう思ってた。
でも、医師だろうとヒーラーだろうと。
職業がら予期せぬ緊急事態には常に狙われているのだ。
ブックマークして頂けると励みになります。