Karte.32
***
ハァッ……ハァッ……!
この坑道を彷徨ってどれくらい経ったのか。
そもそもここは坑道のどの辺りなのか。
坑夫にはさっぱり分からなかった。
ファイアドラゴンと遭遇し、すぐに仲間と一緒に逃げようとした。
だが、戦くほど大きな爪が坑道の壁を抉り、落石に飲み込まれないよう死に物狂いで離れた時には、仲間も自分の居場所も、何も分からなくなっていた。
「チッ……ク、ショウ……!」
ズキズキと痛む右腕は青黒く変色し腫れていた。
不規則に起こる地震に足を取られ、しかも運の悪いことに頭上から岩が落ちてきたのだ。
何とか避けることができたので命を落とすことはなかった―――右腕を犠牲にして。
「クソッ……クソッ!地図なんざ、全然役に立ちやしねえッ!」
ファイアドラゴンの土属性魔法によって、あるいはファイアドラゴン自身の暴力によって、坑道の内部は以前の様相とはかけ離れたものに書き換えられていた。
当然そのことを坑夫は知らない。
だが、ファイアドラゴンの巨体が通れないような道であれば遭遇することはないだろうと踏んで、できるだけ狭い道を探して逃げ続けてきたのだ。
「んッ……あれは?!」
その時、岩陰にいる人影を見つけた。
「ま、まさかッ!」
一縷の希望を胸に必死で走り寄った。
「た、助けに来てくれたのかッ?!」
期待で声が上擦ってしまったが相手には伝わったようで、相手も坑夫の方へ走り寄ってきた。
「た、助けてくれぇ……!」
「んなッ?!」
涙まみれ、鼻水まみれの何とも情けない顔で、その人物は坑夫に縋りついてきた。
坑道の中を同じように彷徨っていたのだろう、髪はボサボサで服も砂で薄汚れ、所々擦り切れていた。
だが、身なりを見る限り、かなり身分の高い者であろうことは予想がついた。
(身分が高いってんなら、あの方が……レンジ殿下が来てくだされば、良かったのによ!)
その容姿から『ドワーフのなり損ない太子』と卑下されていたレンジ太子は、7年前にも出現したファイアドラゴンをたった一人で追い返した。
当然、国を守った英雄として崇められるべき人物だった。
だが、第3太子を疎んでいた首長や兄太子達が『ドラゴンを追い返したのはグスタフ騎士団長率いる騎士団だった。』というデマを公式に発表したのだ。
第3太子は首長の指示に従い沈黙を守っているが、太子に守られた多くの坑夫や研究者、兵士達は罪悪感に苛まれていた。
そして、この坑夫もその一人だった。
(俺ぁ、はっきり見てたんだ。俺を先に逃がして下さったレンジ殿下が、ファイアドラゴンを足止めしてくれた!それなのに……!)
特にグスタフ騎士団長の圧力が強く、緘口令を破った者には厳しい罰が与えられた。
だから全員口を噤むことしかできなかった。
第3太子へ感謝を伝えることすらできなかった。
(あの騎士団長野郎は何もしなかったくせに、レンジ殿下の手柄を全部横取りしやがって!)
今更ながらに後悔の念が押し寄せてくる。
地面を見ると、鉄に覆われた右足の甲が目に入る。
ファイアドラゴンの炎はかすっただけなのに右足趾を炭と化すほど強力だった。
燃えカスとなって消えた右足を再び授けて下さったのも第3太子だった。
(またこんな目に遭うなんて……オレァ本当についてないぜ。そうと分かってりゃあ……)
―――ズシン!
「チッ!またかよ!」
予測不能な地震によろめきながら、
「おいアンタ!早くここを離れんぞ!岩に押し潰されちまう!」
「ヒッ……こ、これ以上動くことなど、私にはとても……!」
「ふざけたことばっかり言ってんじゃねえぞ!早く立ちな!」
まだ動かせることができる左手で、泣きじゃくる男の首根っこを引きずりながら必死にその場を離れた。
それがよくなかったのだろう。
「しまった……!」
逃げ込んだ先は、もはや坑道とは思えないほど広い空間だった。
まるでドームのような広さだ。
天井は頭上の遥か彼方、幅もドワーフが百人以上並んでもまだ余るほどだ。
「さっさと通り抜けねえと、アイツがやってくる前に……!」
これほど広い空間では、いつあの怪物がやってきてもおかしくない。
「オラ!お前も早く動けよ!いつまでも引き摺ってやるほど俺も優しくねえんだよ!!」
「ヒッ……ヒィィ!」
なんとも情けない声を上げる男を怒鳴りつけ、疲労困憊の自分の体を叱咤しながらドームの端まで一直線に横切ろうとした。
―――ズシン、ズシン、ズシン!
「ま……まさ、か……!」
あの不穏に響く規則的な地鳴り。
吐息が暴風のように閉ざされた空間の中を荒れ狂う。
「も……もう、ダメだ……。」
ヘナヘナとドームの中央で力尽きてしまった。
ガルナン山嶺の地底を支配する暴君―――ファイアドラゴンが憐れで非力な弱者の前に無慈悲にも君臨したのだった。
(……来て下さる、訳がねえ)
命を救ってもらった上に新しい右足も授けてもらった。
そんな偉大な方に感謝すら述べなかった。
そんな薄情な自分を助ける義理などどこにもないのだ。
(全部……テメエの撒いた種だ……!)
悠々と迫りくるドラゴンを前に腰が抜け、完全に動くことすら出来なくなった。
圧倒的な強者に嬲られ、道端の石ころのように無用の存在となり果てるのを否応なしに受け入れることしかできない。
(こんな……こんなことなら、よぉ……!)
―――この国の真の英雄に、しっかりと感謝を伝えておけば良かったんだ……!
「火の精霊よ、汝が加護を以て紅蓮の槍で敵を穿て。"ファイア・ランス"!」
ギャオォォーーース!!
数多の炎の槍がドラゴン目掛けて放たれ、業火に耐えきれず苦悶の咆哮が響き渡る。
その人物は、よろめくドラゴンの前に一歩も引かず立ちはだかった。
「あ、あり得ねえ……まさ、か……!」
7年前と同じ光景が目の前に繰り広げられる。
ドワーフと呼ぶにはあまりにも薄い体が、絶望を彷彿させた脅威から守ってくれた。
その英雄の名は―――
「レンジ……殿下ッ!!」
ブクマして頂ければ幸いです。