Karte.31
(…何が、聖女よ。何が、医者よ!)
レンジ副所長は自分の命を犠牲にしてまで私達を助けようとしている。それなのに!
(…アイ。”ガード”をセインとレンジ副所長のためだけに使って。これから先は私の前には絶対に展開させないで。邪魔になるから。)
《しかし》
「いいからっ!!」
アイとの会話を強引に終わらせ、セインとレンジ副所長の前に”ガード”を出現させる。決して、この触手を近づけさせないために。
「…何をしている!早く」
ーーースゥッ!!
「甘ったれるな、瀬戸悠里!」
「あんたがメスを置いたら…誰がこの患者を助けるの!!」
自分を守っていた”ガード”を強制的に解除する。鮮血に染まったような赤い球面が私に狙いを定めているのが分かる。だけど、
「絶対に、諦めない!お前をこの人の体から追い出すまで!」
無数の黒い触手が私目掛けて一斉に襲い掛かってくる。
「ユーリさん!!」
ーーー悠里。
(誠吾…!)
最期に見た誠吾の微笑み。それが私の決心を揺るぎないものにしてくれた。
「絶対にーーー二の舞になんてさせない!!」
守りを捨て、メスを構える。
ーーードクン…。
(え…。)
あれ、この触手。
ーーーこんなに動き、遅かったっけ?
それだけではなかった。
「えっ。」
自分でも何が起こっているか分からなかった。気が付いたら、私に襲い掛かってきた触手はメスで一本残らず切り落とされ、
(…見える!顕微鏡もつけていないのに!)
組織と繭の境界が、まるで目の前で拡大されているかのように鮮明に見えるようになった。すぐさまセッシで繭を掴み、そこに誘い込まれるようにメスで切離していく。
”ィイイ゛ーーーーーッ!!”
黒い繭から音にならない絶叫が漏れ出る。だがそれは、先程とは明らかに違う、苦しみ悶えるようなものだった。
(効いてるッ!でも、なんで…!)
さっきまではコイツの触手に翻弄されて手も足も出なかったのに。
(私の動きが…格段に速くなっている?!)
《魔力操作によるものです。》
スゴイ。ここでアイの解説が飛び入りで来ても、耳を傾ける余裕があるなんて。
《あなたの体がようやく魔力操作を受け入れたのです。今のあなたは、視力、身体能力、反射能力が飛躍的に上昇しているため、触手の攻撃もメスで即座に迎撃することができているのです。》
魔法でそんなことができるようになるの?!
《どうやらあなたは、全身を使う協調運動能力はゼロ、俗に言う『運動音痴』のようです。》
「ねえ!今私、必死に頑張っているんだけど?!なんでこんな時にディスってくるの!!」
横から「す、すみませんっ?!」とセインの上擦った声が聞こえた気がするが、切っても切っても即座に生えて攻撃してくる触手をメスで切り伏せながら繭をどんどん剥がしているからフォローする余裕もない。だけど、アイは気にせず続ける。
《ですが、あなたが長年積み重ねてきた経験や技術は、あなたを裏切らず、新たな高みへと導いてくれました。》
(アイ…。)
《例え治癒魔法が使えなくとも、あなたは手を差し伸べた者の世界を救うことができる、紛れもない聖女だということです。》
「…ははっ。」
貶したと思ったら、急に褒めてくるなんて。
(アイって実は、ツンデレだったりして?)
そんな下らないことを考えるくらいの余裕はできたが、当然敵もそう簡単には倒されてはくれない。
「メスで剥離したところが、またくっつこうとしている?!」
とんでもなくしぶとい繭らしく、メスで剥離した組織にまた触手を伸ばそうとしている。
「くっ…また初めからやり直しなんて…」
《させません。》
先回りしてアイが”ヴェール”を出現させ、繭と組織の間を何よりも薄く何よりも強力な膜が阻む。
「さっすが、アイ大明神様!」
ミスリルの刃は吸い込まれるように組織と繭の境界を的確に分けていき、しかも切る必要のない血管や筋肉、神経に決して切り込むことはない。
「レンジ副所長!」
聞こえているか分からないけど、この言葉だけは絶対に直接本人に言いたいと思っていた。
「あなたが作ってくれたメスは、本当にスゴイです!!」
「…ユーリ。」
繭も必死の抵抗を試みて、触手を次々と私にけしかけていく。
「往生際が悪いわね!」
だけど、こちらのメスでの迎撃と剥離するスピードの方が段違いに速い。そして、最後の結合織が一寸の狂いなく剥がれていきーーー!
「ーーー摘出!」
黒い繭を掴んだ鑷子を高らかに掲げる。間髪入れず、
「光の精霊よ、我にご加護を。”パージ”!!」
レンジ副所長の体が淡く輝くと、壊死している部分に溜まっていた膿だけでなく壊死組織もキレイさっぱりなくなった。
「セイン!」
「分かりました!」
力強い返事とともに、セインが詠唱する。
「光の精霊よ、我にご加護を。”ヒール”!!」
止血のためにかけていた結界魔法を解くと同時に、セインが治癒魔法をかけた。
”ーーーーー‥‥‥。”
「繭が・・・!」
何故かはわからない。だけど、レンジ副所長の創部が見事に閉じられ、右肩が左肩と同じ色の皮膚に戻ったとき。
あの黒い繭は、セッシの間から砂のように跡形もなく崩れてしまった。
「おわ…った…?」
急に力が抜けて、頭の中が白い靄に覆われていく。
(あ、ヤバい…。)
あれ、ひょっとしてこれ、気が遠くなって・・・
ーーーグラッ…!
《意識と無意識の狭間という曖昧な状態に陥った場合、一瞬ですが”ガード”が弱体化してしまいます。》
(あれはフラグ…だったの…ねー。)
頭上から大きな岩が妙に遅く落ちてきて、妙に遠くでセインの叫ぶ声が聞こえた。
「”アース・ニードル”!!」
高く凛とした、だけど今までで一番力強い声が響くや否や、
「ッ!」
私達を守るように、地面から生えた無数の棘が一つ残らず落石を弾き、削り散らした。
「どうやら君は、最後の最後で爪が甘いようだな…ユーリ。」
スッと立ち上がり身なりを整えるその姿には気品が漂い、
「だが。」
不敵に微笑むその顔には、ほんの少し前まで生死を彷徨っていたとは思えないほど自信と生気に満ち溢れていた。
「この世に生を受けてから、今日ほど生きる喜びを感じたことはない!!」
圧倒的な存在感、そして少年のように小さな体には想像を絶する力が秘められている。
「セイン!」
炎のように燃える深紅の髪。
「ユーリ!」
琥珀色の大きな瞳が、闇夜に瞬く綺羅星のように一際輝く。
「君たちのおかげだ!心から感謝する!!」
レンジ=トゥル=ゾレ=ガルナン。
そこにいたのは、誇り高きドワーフの正統なる御子だった。
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