Karte.30 黒死病の手術、そして、絶体絶命!!
右上半身だけ服をはだけたレンジ副所長を”ガード”で出現させた光の台に仰向けになってもらう。
身に着けていたローブは、これも”ガード”で出した光の壁をアーチ代わりにしてセインやレンジ副所長は術野を見なくてすむ。
「光の精霊よ、我にご加護を。”パージ”」
私とセイン、レンジ副所長そして”ガード”で守られた空間全体に浄化魔法をかけた。
「レンジ副所長、今から右肩から右手までの痛覚、触覚がなくなります。驚くかもしれませんが、起き上がらないようにお願いします」
「分かった」
”ヴェール”をかけようとしたとき、はたと思い当たった。
(……ちょっと待った、アイ)
《どうしましたか》
(今気がついたんだけど……私、ドワーフの手術ってしたことがないんですけど!!)
《今更ですか》
(そんな意地悪言わないでよ!どうしよう……!ドワーフの解剖なんて全然わからないんだけど!!)
《それについては心配ありません。ドワーフも人間と身体の構造は同じです》
(そうなの?!)
《先ほどスキャン画像をお見せしたと思うのですが》
(・・・・・・デスヨネー。)
「どうかしたか?」
「いえ、大丈夫です!順調ですから!」
マズイマズイ、患者に余計な不安を与えちゃダメでしょ!
気を取り直して、
「”ヴェール”」
(アイ、お願い)
《かしこまりました。各感覚神経を遮断していきます》
アイがスキャン画像を解析し位置を特定した神経に”ヴェール”の膜で覆われていく。
「……驚いた。あれだけ苦しめられていた激痛が完全になくなっている」
「それならよかったです。ですが、右肩はまだ黒く変色したままですから」
ゴソゴソと腰のポーチから道具を出していく。
この国の鍛冶屋に誂えてもらったドベーキー鑷子、メッツェンバウム剪刃、そして、
「……それは!」
「そうです、レンジ副所長。あなたに作って頂いた、あの小さなナイフです」
とんでもなくお高いミスリルのメスだ。
このメスを使う最初の患者が、製作者自身になるとはね。
「手短にこれからの流れを説明します。黒死病の原発巣はレンジ副所長の右鎖骨上の窪んでいる辺りにあります」
「そんなことまで分かるのか……」
「その直上の皮膚をこのナイフで約5cm切開し、病変を露出させます」
「……ちょっと待て」
レンジ副所長から珍しく狼狽えたような声が上がった。
「皮膚を切って、体の中を弄るつもりなのか?!」
「そうしないと治療ができません」
「……まさかとは思うが、セイン殿が教えたのか?」
「いいえ。私は血を見ると貧血を起こしますので、とてもそんなことはできません。ですが」
セインは静かに断言した。
「ユーリさんには出来るんですよ」
セインを少しの間凝視していたが、
「……ユーリ。どうやら君はとんでもなく常識外れなことを思い付いているらしいな」
どこか開き直ったように私に声をかけた。
「もし止めるのであれば今のうちです。切開を始めたらもう後戻りはできません。治癒魔法が使えないので、創を閉じることもできませんから」
もし治癒魔法が使えなければ縫合しなければならないが、生憎針も糸もここにはない。
「……いや、始めてくれ」
「よろしいんですね?」
念を押すと、レンジ副所長はゆっくり頷いた。
「ああ。未だかつて治療できた者がいない病だ。これまでの常識が通用する相手ではないのだろう。それに」
レンジ副所長の瞳が私をしっかりと捉えた。
「僕は君に命を託したんだ。君の思うとおりにやってくれ」
「分かりました」
私も目を逸らさず頷き返す。
「セインはレンジ副所長の様子を見ていて」
「分かりました」
スゥと息を吸い、目を閉じて心を落ち着かせる。
「これより、黒死病に対する試験的切開術を始めます」
メスを構え、皮膚切開を始めた。
(き……切れ味が良すぎる!!しかも、一度の切開で理想的な深さまで完璧に切ることができるなんて……!!)
これは私の腕がどうのこうのじゃなくて、完全に『伝説の金属』製のこのメスのおかげだ。
そういえば、『切りたい深さや範囲を想像しながら魔力を込めれば、ナイフが切れ味を調整してくれる』って説明されたけど、こういうことか!
(……このメスに恥じない手術をしないと。レンジ副所長のためにも)
そう胸に誓い、皮下組織を分けていく。
(予想はしていたけど……組織がかなり壊死しているな)
剥離するごとに鼻の中までこびりつく腐った臭いが漂ってくる。
本来なら黄色い脂肪組織も、どす黒く変色している部分が多い。
(これ、できれば壊死した組織も除去したいけど、そうすると壊死した皮膚も切除しないといけないよね)
小柄なレンジ副所長の体表面積を考えると皮膚移植はかなり厳しいだろうし、何より今はそんな大手術ができるような材料も時間も余力もない。
《壊死しているだけであれば、治癒魔法で治療可能です。浄化魔法をかけて創部を清潔にしてからですと、さらに効果的かと思われます》
(アイ、ナイスアドバイス……!)
ただそれも、治癒魔法が使える状態にできた前提の話だ。
(結局は黒死病をどうにかしないといけないわけだ)
「セイン、レンジ副所長の様子は?」
「著変ありません。痛みのコントロールも問題ないようです」
「ああ……本当に体の中を切っているのか?痛みを全く感じないなんて……」
"ヴェール"の効果は問題なさそうだ。
「こちらも問題ありません。順調ですよ」
”ガード”で術野を拡げ、切らざるを得ない血管は”ヴェール”で止血する。
そろそろ病変に到達するはずだ。
(スキャン画像では楕円形の腫瘤性病変だけど、黒死病の正体っていったい……)
スッ―――。
「これは……!」
首と肩の筋肉、そして鎖骨でが形作られた間隙にソレはいた。
形は画像の通り楕円形の腫瘤……というよりまるで蚕の繭のようだ。
闇を凝縮した黒いソレは規則的にゆっくりと脈打つように体動しており、筋肉の間でまるで時が来るのを待つかのように静かに眠っていた。
(な、なにこれ……!いや、コレが何かは摘出すれば分かるはず!)
急がないと、ドラゴンだっていつまでも待ってくれないだろう。鑷子の先がソレに触れた
―――その時だった。
―――カッ!!
「なッ?!」
突然、繭の中央がパカッと割れた。
漆黒の繭の中は鮮血のような毒々しくテカテカした不気味な赤色だ。ただそれだけのはずなのに。
直感的に分かってしまった。
(コイツには……意思がある!!)
ただのできものなんかじゃないことは予想はしていたけど、これは私の想像を超えていた。
(えーい狼狽えるな、私!意思があろうがなかろうがやることは変わらないでしょ!)
メスを構え直し鑷子でソレを掴んだ、その瞬間―――!!
“ィィィィイーーーッ!!”
「ッ!!」
「ユーリさん?!」
声にならない、だけど悲鳴とも絶叫とも感じられる悍ましい空気の振動が鼓膜を震わせる。
と同時に!
ギュルギュルギュルーーー!!
「えっ」
《”ガード”》
ダンダンダンッ!
「ッ?!」
腕で顔を守る前にアイが結界魔法を出現し、勢いよく飛び出したナニカを弾き飛ばした。
「ナニコレッ?!」
黒い繭から飛び出て来たのは、繭と同じ色で無数のムチのようにしなる紐のようなモノだった。
(た……!)
妙に肉厚なのが余計にグロテスクなソレは触手のようにも植物の蔓のようにも見えた。
が、私が咄嗟に思ったのは、
(タ、タ○リ神じゃとぉぉーーー?!)
巨大なイノシシ神の肉を腐らせ、アカシシに乗った蝦夷の少年に呪いをかけた、アレだ。
(『ゴ○ラ』の次は『ジ○リ』ですか!?)
「ユーリさんッ?!」
「セイン、危ないっ!」
「ッ!」
咄嗟に出現した光の障壁を出現させて、セインに襲い掛かった黒い触手を防ぐ。
「何よ、コレ!全然術野に近づけない!!」
「ア゛アアァァァーーー!!」
「レンジ副所長、落ち着いてください!!」
突然、痛みからなのか何なのか、激しく体動するレンジ副所長をセインが必死に抑える。
(“ヴェール”の効果範囲外にも痛みが広がっている?!)
こっちはこっちで、蠢く触手が攻撃してくるから摘出するどころか、“ガード”で防御することしかできない。
(どうする?!いったい、どうすれば……!!)
―――ズシン!
「また、地震が……!」
「でも落石の心配ないはずですから!」
だが、今回はそれだけでは収まらなかった。
―――ピシッ……!
「ユーリさん、地面がッ!」
「嘘でしょ!!」
なんと、私達のいる方向へ地面に亀裂が入り始めたのだ。
まだ完全な地割れには至っていないが、早く避難しないと亀裂が広がり奈落の底に真っ逆さまだ。
「ど、どうすれば……ッ!!」
(考えろ考えろ考えろ!)
「も、う、いい……」
「っ!」
とても小さな、だけど芯の通った声でハッとした。
「きみ、たちは……よくやって……くれ、た。だから……早く、逃げろ」
息も絶え絶えなレンジ副所長が手術の中断を申し出てきた。
「でも……!」
「僕の、義手には……魔鉱率70%という、高い含有率を誇る、錬成の封魔石が、埋め込んである。ここは、魔鉱石が……豊富に含まれて、いる……鉱山だ。これを、使えば……落石を操作して、僕の方へ……吸い寄せることも、できるはず、だ」
何を言っているの、レンジ副所長は。
それじゃあ、まるで……!
「君が障壁を解除した瞬間……僕は、封魔石を発動させる。そこですかさず……君達の周りにだけ、障壁を再度展開させろ。そう、すれば、落石が僕の方へ集中して……君達の方へは落ちなくなるはずだ」
「待って下さい!それなら、義手を外して同じことをすれば!」
「それはできない」
レンジ副所長がゆっくりと頭を振った。
「この義手は、長年僕を支えてくれた……相棒なんだ。最期まで、共にあり続けたい。それに、障壁を解除してから……封魔石を解放して……障壁を再度展開、など、どう考えても……間に合わない」
「そんな……!」
「僕のことは、気にするな。どうせ今日明日の命だったんだ……この死に損ないが、最期に誰かの命を守れるのであれば……これほど名誉なことはない……だから」
急にレンジ副所長の目に強く灯が宿った。
「どうか、絶対に生き延びてくれ。君達は、この世界で誰よりも黒死病の解明に近付いた人間なんだ。僕の命を少しでも惜しんでくれるのならば、この経験を生かして1人でも多くの黒死病患者を救って欲しい」
(やめてください……!)
レンジ副所長が力を振り絞って紡ぐ言葉を聞き逃してはいけないのに。
「……君達と一緒に戦えて、本当に光栄だった。おかげで僕は、一人で野垂れ死ぬのではなく、最期まで生き抜くことができた」
そして、レンジ副所長は、穏やかな笑みを浮かべ―――
「・・・・・・ありがとう」
ブクマして頂ければ幸いです。




