Karte.24 ミスリル製のメス、そして、不穏なレンジ副所長
ミスリルの表面が一瞬ユラリと揺れ、表面が盛り上がっていく。
いかにも硬い金属がまるでスライムのように動いたと思ったら、見る見るうちに金属の盛り上がりが一本の細い棒に形をなる。
先端が鋭く尖り、そこから縦3cm程だけ厚さ5mmにも満たない極薄の楔型に変化していった。
『―――レンジ副所長の金属を錬成する魔法は、言ってみれば『ただの鉄の棒をナイフに仕立て上げる』ことができる魔法です。鍛冶屋には冒涜とも受け取られかねない魔法です』
ウィルさんの言うとおりだ。
(こんな魔法、鍛冶屋が見たら泣きたくなるよ!)
「大まかだが、デザインの通りにはできた。ここからはさらに調整していく。君も気になるところや要望があれば遠慮せずに言ってくれ」
「は、はいっ!」
そこからは、しどろもどろではあるものの、私も要望を言わせていただいた。
『柄の部分にギザギザを入れて滑りにくくしてほしい』とか、『先端の曲線をもう少し緩やかにしてほしい』とか。
そんな私のワガママを副所長は淡々と、だけど確実に取り入れてくれる。
(何よりも、私が言ったらメスがすぐに反応して形状を少しずつ変えるのが本当にスゴい)
いつしかその場にいる全員が、ミスリルの洗練された動きに魅入っていた。
それはそうだろう。
私ですら、魔法はこんなに美しいものなのだと、そう感じたのだから。
(これが火と土の精霊に愛されたドワーフ、レンジ副所長……!)
そして、
「これでいいか直接触って確認してくれ」
完成したのは、『円刃刀』という刃の腹が丸い曲線を描く、外科医であれば誰もが使ったことがある(と私は勝手に思っている)メス
―――その名も、10番のメス!
(ま、眩しい!)
何この輝き!
こんなにキラキラしたもの、私の汚い手で触ったら指紋が付いてむしろ叱られるんじゃ?!
「どうした?君の手に合うかどうかを確認してもらう必要がある。早く手に取ってみてくれ」
なかなか手を出さない私を不思議そうに見ながら、レンジ副所長が促す。
「は……は、い」
恐る恐る白銀に煌めくメスに手を伸ばす。
(―――ッ!)
かつての自分の世界が一気に蘇る。
―――手術に挑むときの緊張感。
―――常に清潔が意識された手術室。
そして―――メスを握れば、自分の知識と技術だけが頼りの病魔との闘いが始まる……!
胸元でギュッとメスを包み込む。
「……ありがとう、ございます」
レンジ副所長をまっすぐ見つめて、
「まさに理想通りです。この国に来て本当に良かった。心からそう思います!」
自然と笑顔が零れてくる。
レンジ副所長は一瞬目を見開いたが、
―――フッ
柔らかく微笑みを浮かべて左手を胸に当てる。
「その言葉、作り手にとって何物にも代えられない喜びだ」
(……うわ!)
いつも冷静沈着で無表情な人が笑うとこんなに破壊力があるのか……!
しかも、レンジ副所長は素が美少年だから、その微笑に後光が差して目がチカチカする!
「だが、そのナイフはまだ本当の意味で完成していない。切れ味を試す必要がある」
そう言って、近くにあった木材の切れ端を手に取った。厚さは5㎝くらいだろう。
「これを切ってみてくれ」
「……え?」
この殿下は今なんとおっしゃいました?(本日2回目)
「こ、この厚い木の板を……ですか?!」
いやさすがにそれは厳しすぎる、というかそもそもメスで切るものではないんですけど?!
だけど、レンジ副所長は平然とした顔で、
「その程度の木材で刃がダメになる訳ないだろう。ミスリルを舐めてもらっては困る」
さっさと切れ、と無言で促されてしまえばもうやるしかない。
「し、失礼します!」
覚悟を決めてメスの背に人差し指を添えて、皮膚切開と同じように板の上を滑らせる。
―――スパーン。
「……え?」
自分で切ったのにもかかわらず、目の前の光景が信じられない。
あんなに分厚い板がまるで豆腐のようになんの抵抗もなくキレイに切断されている。
「ふむ、悪くないな」
レンジ副所長の言葉を皮切りに、
「す、素晴らしい……!!」
「さすがはレンジ副所長!!」
「お見事です!!」
と観客と化していた研究員から歓声が湧き上がる。
セインもウィルさんも感嘆の溜息をもらしている。
ただ一人、
(こっわ!!)
私だけが恐ろしすぎるメスの切れ味に震え戦いていた。
「あ、あの!レンジ副所長!!」
周囲の称賛の声に負けないよう声を張り上げる。
「大変すばらしい切れ味だと思います!だけど、ちょっと……予想以上に切れすぎて……その、怖い、というか……」
私だって勝手なこと言っている自覚があったから、だんだん声が小さくなっていく。
でもこんなに切れたら最初の皮膚切開だけで骨まで貫通しそうだ。
例え殿下の機嫌を損ねたとしても、それだけは絶対に阻止しなければならない。
すると、
「切れ味については、魔力で調整すればいい」
とアッサリ解決策を教えてくれた。
「魔力で、ですか?」
「ああ。そのナイフはあなたの魔力で切る深度や範囲を調整することができる」
「そんなことができるんですか?!」
「それが魔力伝導率が極めて高いミスリルが他の金属と一線を画するところだ。今はその板を試し切りすることが目的だったから完全に切断することができた訳だ。だが、そこまでの切れ味が必要ではないのであれば、あなたが切りたい深さや範囲を想像しながら魔力を込めればいい。それがナイフに伝わり、切れ味を調整してくれるはずだ」
スゴイな、魔法!!
いや、この場合はミスリルがスゴイのかな?
どちらにしても、私の意思だけで皮膚だけを切ることも、こんなに分厚い板を切り落とすこともできる訳だ。
呆けた顔でメスを眺めていると、
「ちなみに、例えそれほど小さいナイフであったとしても、ミスリル製であれば荷馬車付きで馬を一頭買ってもお釣りがくる。心して使うように」
(私の手の中には馬がついた荷馬車があるのか)
レンジ副所長の忠告に顔が引き攣った。
「副所長。私の助手のために貴重な素材を使って、しかも副所長自ら作って下さり感謝の言葉もありません。しかし……よろしいのでしょうか。こんな高価なものを頂いてしまって」
流石に心配になったセインが私の代わりに尋ねてくれた。
「構わない。浄化の封魔石について、今後も彼女の協力が間違いなく必要だ。にも関わらず、『職人の種族』を語るドワーフともあろうものが、大切な技能者の所望する物も作成できないなど言語道断。ドワーフの汚名返上と今後の協力関係を考えるのであれば安いものだ」
傍で聞いていたウィルさんが気まずそうに頬を搔いていた。
(本当に凄い方なんだな、レンジ副所長は)
魔法の才覚についてはさっき間近で見せてもらったから疑う余地はない。
それももちろん凄いんだけど、王子様(本当は太子殿下だけど)でありながら、たかが平民の、しかも一介の助手のためにここまで一肌脱いでくれるなんて。
現に研究員全員が尊敬と信頼の眼差しで副所長を見ている。
あのダメ所長とは雲泥の差だ。
マジマジと副所長を見ていた時だ。
「―――グッ!」
突然、副所長が顔を歪め、左手で右肩を押さえた。
「どうされました?!」
いち早く異変に気付いたセインが副所長に声をかけた。
「だい、じょうぶだ。やはり、連日深夜まで研究を続けるのは身が保たないな。少し立ち眩みしてしまった」
セインを軽く手で制し、顔色が悪いままウィルさんの方を向き、
「悪いが今日はこのまま早退する。このお二方については引き続きよろしく頼む」
「かしこまりました。こちらのことは私が責任を持って対応しますので、副所長はどうぞゆっくりお休みしてください」
「ああ、そうさせてもらう」
「あの、レンジ副所長」
そのまま場を離れようとする副所長に思わず声をかけてしまった。
どうしても、先ほどの副所長の仕草が気になったのだ。
「ひょっとして、右肩の具合が悪いんですか?」
副所長が一瞬固まるが、
「……いや、そんなことはない」
「でもさっき、左手で右肩を押庇ってましたよね。その辺りが痛むんですか?」
「……」
黙る副所長にセインが歩み寄る。
「ユーリさんのナイフを作って下さった御恩もありますし、もし差し支えなければ私が治癒魔法を
「いらん!!」
研究所に響く拒絶の声。
その場にいた全員が予想外の出来事に硬直することしかできなかった。
レンジ副所長はハッとした表情を浮かべ、
「……ご厚意は大変ありがたいが、わざわざヒーラーの力を封魔石以外に消費させてしまうのは申し訳が立たない。このまま休養すれば済む話だ。失礼する」
いそいそと自室の方へ向かってしまった。
「ところで、セイン殿につかぬことをお伺いしたいのだが」
「ッはい!」
背中を向けたまま副所長が声をかけ、セインがビクッと直立する。
「3日前にゲイル所長が貴殿を会食に招いたという話を聞いたのだが、もし所長から次のお誘いがあるのであれば教えて頂きたい。都合がつけば、僕もぜひご一緒したいので」
「えっ、3日前ですか?その日は、ゲイル所長とはお会いしておりません。研究所での作業が終了してそのままユーリさんと宿に戻りましたから」
「……そうか。おかしなことを聞いてすまない。忘れてくれ」
その言葉を最後に、バタン、と部屋のドアが閉ざされた。
「……私は、何かお気に障るようなことをしでかしてしまったのでしょうか?」
「そんなことは絶対ないから!きっと本当にお疲れだったんだよ!」
「そうです!最近、かなりお忙しそうでしたから!どうか、気を落とさないでください、セイン殿!」
残された私達は、すっかりしょげてしまったセインをひたすら励ましていたのだった。
***
「これは、いよいよバレたかもしれないな」
「ああ。あの口振りだと、王妃殿下にも報告が行っているのかもしれん」
物陰から一部始終を盗み見していたのは、ゲイル所長の腹心として付き添っている研究員の2人だった。
「だが、あの出来損ないのレンジ副所長がまさかわざわざ調べに出るとは」
「きっと、看過できない事態にまで陥っているのかもしれん。いずれにしても、だ」
「ああ」
「そろそろあの無能と縁を切っておいた方が良さそうだな」
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