Karte.1 転生、そして、治癒魔法?!
―――柔らかな日差し。
―――木々の間を風が通り抜け、木の葉を優しくくすぐっている。
―――鳥たちの囀りや羽ばたく音。
体の下には草が生えているようだ。
少し湿っぽいが清々しい香りが鼻に運ばれ、全身を毛先の長い絨毯に埋めているようで気持ちがいい。
……ん?草?
おかしいな。
私は、確かアスファルトを歩いていたはずなのに。
こんないかにも自然あふれる場所にはいなかった。
それに、さっきまで降っていた雨はいつの間に止んだんだろう。
「よかった!気が付いたんですね」
すぐ横から声が聞こえてきた。
若い、男性の声だ。
でも、なぜだろう。
どこかで聞いたことがあるような、とても馴染みのある声。
私はゆっくり目を開けた。
どうやら仰向けの状態で倒れていたようで、青々と繁った葉の間から木漏れ日が差し込んでいる。
声がした方に顔を向けると、
「―――ッ!」
全身に衝撃が走った。
私を心配そうに見下ろすその顔は。
いかにもお人よしそうで、とても穏やかな光を湛えたその眼も。
まさか、そんな……
だって、だって……!
「っ誠吾!」
「―――ダッ!」
ゴンッ!!
勢いよく起き上がった私の額が、相手の額のど真ん中に命中した。
「「~~~ッ!」」
……痛くて声が出ない。
それは相手も同じようで、仲良く揃って額を抑えて身悶えている。
「み、見事な頭突きでした。お嬢さん」
でも不思議なことに、相手は痛みがすぐに引いたようだ。
涙で滲んだ目で、改めて相手の顔を見る。
春の青空のような、穏やかな青い瞳。
髪の毛は茶色で、襟足が長く、後ろで一つに縛っている。
服装は、これまた奇妙なことに、お馴染みのジーンズとかTシャツとかスニーカーとかいうものではなく。
長袖の白いシャツを腕で捲り、襟元をワインレッドの細い紐で結び、その上に使い古した皮のベストを着ている。
腰にはベストより濃い茶色のスカーフのようなものを巻き、黒いズボンと編み上げの黒いブーツを履いている。
若い男性だ。
たぶん20代前半。
そして……顔も雰囲気も、本当に誠吾にそっくり。
「あ、額が赤くなってしまってますね。すぐに、治しますね」
誠吾そっくりの青年は、私の額に右手を掲げる。
すると、手のひらに白い光が灯り、額がホワッと温かくなる。
そして光が消えたと思ったら、額の痛みはすっかり消えてしまった。
「今のは、なに……?」
「ひょっとして、治癒魔法を受けたのは初めてですか?」
「ち……、ちゆ、ま、ほう?」
いきなり何を言っているの、この人は。
まほう?
確か、30歳過ぎてアッチの経験がないと『魔法使い』になれるんだっけ?
そういうこと?
「えーと、治癒魔法というのはですね。ヒーラーと呼ばれる者たちが施行できる魔法でして。自身の魔力を生命エネルギーに変換して相手に与えて、相手のケガの回復を促進させる魔法なんですよ」
私が見るからにチンプンカンプンな顔をしているのが分かったのだろう、若者は丁寧に説明してくれた。
こういうきめ細やかなところも誠吾にそっくりだ。
それでも私には信じられない話だけど。
アッチの『魔法使い』ではなくて、ガチの『魔法使い』の話なのか……
「な、訳ないでしょーが!」
「ええっ?!」
「魔法で治療ができるなら、医者なんか必要ないだろうがー!」
そうだ、私が外科医として今まで必死に手術の腕を磨いていたのが、全て水の泡になってしまうじゃないか!
「あ、あのぉ……」
ワナワナ震えている私に、オズオズと誠吾のそっくりさんが話しかけてきた。
「いしゃ、って、なんですか」
「……」
今度は私が絶句する番だった。
彼の名前は、セイン・ケイシー。
名前もよく似ている。
そして、予想通り22歳だった。
この世界には『医者』という存在はいないらしく、その代わりになるのが、『ヒーラー』だった。
ヒーラーは自分の魔力を生命エネルギーに変換して相手のケガや病気を治す魔法の専門家、だそうだ。
何だこれは、誠吾のハマっていたゲームか何かなのか。
「そう言えば、お嬢さんの名前は何というのですか」
「やめてよー。お嬢さん、なんて。もう35歳のおばさんだよ~?」
「えっ、そうなんですか?!」
セインは驚いた顔をした。
「そ、そうなんですか!いやぁ、私はこういうことには疎くて。女性の年齢は分からないって、本当なんですね!」
「えー?そんなこと言って、結構慣れてるんじゃない?」
お世辞とは分かっていても、ニヤニヤしてしまう。
顔は誠吾にそっくりだけど、目や髪の色にしても本物より華やかだし。
最近の若い子の割には、年上を立てるのがウマいなぁ。
「ちなみに、セイン君は私が何歳だと思ったの?」
「えっと。その、20歳より若い、かと」
……ちょっと、それはわざとらしすぎるんじゃない。
せめて、20代後半とか。
「……君には、私がどう見えてるの」
流石にここまで見え見えのお世辞だと、なんだかバカにされた感が否めない。
じっとりした目で見つめると、
「えーと、そうですね。透き通る金色の髪と若葉のような碧色の目を持った、若く、その美しい、お嬢さん……でしょうか」
と頬を染めて遠慮がちに答えた。
「は?」
金色?
碧色?
私は純粋な日本人ですよ?髪も目も、真っ黒なんですけど?
そのとき、本当に今更だけど、私はようやく首から下の自分の体を観察した。
特に目を疑ったのは服装だ。
誠吾の通夜の帰りだったから、私は喪服を着ていた。
なのに、今はどうだ。
黒い上下とは正反対の、かすかに青みがかった純白のワンピースを着ていた。
しかも両肩は剥き出しだ。
最近冷え性に悩まされていたから、こんな寒そうな服、着たことないんだけど。
手入れを怠っているいつものガサガサの手とは程遠い、滑らかな陶磁器のような手を凝視し、
「セイン君さ、鏡とか持ってる?」
「あ、手鏡であれば。患者さんにキズの場所を確認してもらうときにたまに使いますので」
彼から鏡を借りて自分の顔もじっくり観察する。
「……ダレデスカ、コレハ」
そこに写っていたのは―――
サラサラ輝く金髪の長い髪と、明るい澄んだ碧色の目をした、若い、娘。
え、これ私?
百歩、いや、百万歩譲って髪や目の色は良しとしよう。
でも、この見た目は。
どう見ても、高校生くらいの若い女の子……
「だ、大丈夫ですか?!」
現状について行けず、もう一度地面に倒れ込みそうになった私を、セインが慌てて受け止めた。
「ここがフラノ村です。ユーリさん」
森で自分の容姿にまた気絶しかけた私を見て、セインはどうやら私の記憶が混乱していると考えてくれたようだ。
その方が私にとっても都合がいい。
とりあえず名前だけは教えたが、これからどうすればいいのやら見当もつかない。
途方に暮れている私を、根っからのお人好しなんだろう、セインはフラノ村の自分の家に連れて行ってくれた。
見渡す限り畑と牧場が広がり、それぞれおまけでつけられたように質素な家が建っている。
中心には開けた場所があり、広場を囲むようにそこにも家がいくつか建てられていた。
あれだ。
中学の世界史の教科書の挿絵にあるような、中世ヨーロッパの農村の雰囲気だ。
「御覧の通り、フラノ村は農業と畜産業で生計を立てている村です。中心の広場は村長の家や商店が並んでいます。ちなみに、僕の家もあの一角にあります」
セインは広場の隅に建てられた家を指さした。
他の家に比べれば小綺麗な2階建ての家だ。
セインの家に入るとすぐにデン、とベッドが置かれており、ベッドの頭側には机と椅子が置いてあった。
壁のわきにはズラリと多種多様な薬草が種類ごとに陳列されている。
「ここは診察スペースなんです。患者さんが来たらすぐに対応できるようにしているんです。それから、薬草を調合した薬などもここで販売しています」
そう言いながら、セインは診察室の突き当りのドアに誘導してくれた。
隣は二階建てで住居スペースになっているらしい。
1階は台所があり食事をするための大きめのテーブルも置かれている。
2階が寝室とのことだ。
私にお茶を出しながら、セインは丁寧に私たちがいた場所やこの国について説明してくれた。
ここはエヴァルミエル王国という王政の国で、私たちはその辺境の小さな村、フラノ村の近くの森にいるということだった。
セインはその村で唯一のヒーラーをしているらしい。
ヒーラーは治癒魔法以外にも薬学にも精通しているらしく、今日は森で薬草採取をしていたが、その最中で倒れている私を発見したとのことだった。
温かいお茶を飲んで、ようやく一息つく。
私に向かい合うように座ったセインが、今度は私に質問してきた。
「お名前は、ユーリ・セトさん……でよろしいんですよね」
「そうそう」
『瀨戸悠莉』が本名だけど、こちらの世界では苗字が名前の後に来るらしい。
「年齢は、覚えていますか?」
「17歳……だったかな、たぶん」
本当は35歳なんだけど。
「なるほど。ご自分がどうしてあの森にいたのかは分かりますか?」
「いやぁ、なんでなんでしょう。全く覚えてなくて……」
確か誠吾の通夜から帰る途中だった。
トラックのヘッドライトが目前に迫ってきて。
記憶に残っているのはそこまでだけど、たぶんトラックに轢かれたんだろう。
目が覚めたらこの世界に来ていたのだ。
ひょっとして、あれかな?
現実世界では私は昏睡状態に陥っていて、本当はこれは夢なんじゃないかっていうオチとか?
「そうですか。ちなみに、この文字は読めますか?」
紙に何かサラサラとペンで書き、見せてくる。
……英語?アルファベットに似ているけど所々形が違う。
でも不思議なことに、なんて書いてあるか、私には読むことができた。
「ユーリ・セト」
セインが頷く。
やっぱり夢なんじゃないかな。
今まで見たことがない文字が読めるなんて、ご都合主義にも程がある。
「では、次に……」
と次の質問に移ろうとしたとき、
「先生、大変だ!すぐ来てくれ!」
突然、診察室から大声が上がった。その後ろからドタドタと騒々しい音を立てている。
セインはすぐに立ち上がりドアを勢いよく開けた。
「どうしました、か……ウッ?!」
「なに、ちょっ、どうしたの?!」
ドアに縋り付くように急に座り込むセインに慌てて駆け寄る。
「バカヤロー!先生にいきなり傷を見せるなって、あれほど言っただろうが!!」
怒鳴り声をあげているのは、恰幅のいい中年男性だ。
肉体労働をしているのか両腕が太く、よく日に焼けている。
その後ろには、2人の男性が1人の若い男性を抱えていて、抱えられている青年は苦悶の表情を浮かべている。
「腹部からの、出血?!」
私は急いで担架のそばに駆け寄った。
「な、なんだよ、この別嬪さんは?!」
「そんなことどうでもいいから!早く患者をベッドへ!」
「お、おう!」
私の剣幕に圧倒され、おじさん達は青年をベッドに運んだ。
「状況は?」
「こいつは、最近入ったばかりの大工見習いだ。今日は朝から村長の屋根の修理をしてたんだが、こいつが足滑らせちまったんだ」
おじさんの話を聞きながら服を捲り、傷の状態を観察する。
右側腹部に何かが刺さっており、その周囲から血がじわりと滲んでいる。
「これは?」
見た目からは細い木の板のようだ。
「ああ。落ちたところが花壇で、しかも運の悪いことに柵の一本の上だったんだ」
想像しただけでお腹が痛くなりそうだ。
「柵を抜いちまうと一気に血が出るだろ?だから、柵をできるだけ短く切って、刺さったままここにつれてきたんだ」
「懸命な判断ですね。もしその場慌てて抜いたら、出血多量で命に関わっていたでしょう」
このおじさん、見た目によらず冷静だし、判断が的確だ。
おじさんを誉めながら、首の血管を触り脈を確認する。
苦痛に顔を歪ませているけど意識はあるようだ。
脈も何とか触れる。
柵が刺さったままのお陰で、傷が塞がれ出血は多くないけど、当然柵を抜かなければ傷を塞ぐことはできない。
(ただ、刺さった場所を考えると肝臓を損傷しているかもしれない)
肝臓には特に太い血管があり、その血管に全身の血液が戻ってくるから血液も豊富だ。
抜いた瞬間一気に血が溢れてしまえば、出血多量で成す術がない。
それに、転落したのであれば、当然他にも外傷があると考えた方がいい。
急いで点滴とって、全身の画像検査をしないと……!
そこまで考え、はっと気がついた。
「なんで病院に連れていかないんですか?!ここじゃあ、何もできないでしょ!」
そうだよ、ここセインの家じゃん!いくら診療所だからって、セインの手には負えないでしょ!
すると、おじさんはキョトン、とした顔をする。
「は?びょういん?なんだよ、それ」
「……え゛」
まさに衝撃の事実。
「いやいやいや!じゃあ、この人どうするんですか?!こんな重症患者、ここで出来ることなんてほとんどないんじゃ……!」
「さっきからなに言ってんだ、この嬢ちゃんは。ケガはヒーラーに治療してもらうに決まってんだろ?」
半ば呆れたように言うおじさんに、私は言葉をなくしてしまう。
え、ヒーラーって……
うそ。え?
こんな、いかにもな重症患者も治せるってこと?
呆然とする私を他所に、おじさんは未だヨロヨロしているセインに声をかける。
「先生、大丈夫ですかい?!」
口にハンカチを当てながら、何とかベッドに近づくが、腹部に刺さった柵の一片をチラリと見て、
「ウゥッ……!」
と呻いている。
顔面蒼白で、こちらの方がよっぽど病人らしい。
「セ、セイン。大丈夫なの?あなた、治せるの?」
思わずセインを支えると、額に脂汗をかきながら、
「だ、大丈夫ですよ、ユーリさん。このくらいの傷であれば、大したことはありません」
セインは随分自信があるようで、その言葉は頼もしく感じる。
ただし、その顔色とハンカチがなければもっとよかったけど。
「じゃあ何で、あなたが顔色悪くしてるの?」
本当は治療できないのに、みんなの手前、見栄を張ってる、とか。
「実は、その……」
セインは言おうかどうか迷っていたが、
「私は、血が苦手でして。血を見ると気が遠くなってしまうんです」
「……うそ」
ガツン、と頭を殴られたかのようだった。
そんなところまで……誠吾に似てなくていいのに。
誠吾は外科医を目指して医学部に入ったんだけど、手術見学で血が吹き出すのを見て貧血を起こし倒れたらしい。
そのときの執刀医が災難なことに当時の外科の教授で、誠吾に激怒し、それ以降オペ室出禁になってしまったんだとか。
何とか大学は卒業させてもらい、研修病院も手術を重視しない病院を選択して研修医を終了。
自分の性格と極力血を見なくてもいいように、精神科医になったそうな。
だから、バリバリ外科医をやっている私を憧れの気持ちで支えてくれたのだ。
決して私を妬んだりしない所も、本当に誠吾らしい、と思っていた。
そして、目の前にいるセインというこの若者。
見た目も優しいお人好しな性格も、血が苦手な所も。
ひょっとして、本当は―――?!
「早く治してやってくれよ、先生!」
おじさんの必死な声かけにハッとした。
(なにやってんの、私は!今はそんなこと考えてる時じゃないでしょ!)
セインを抱えながら、ベッドのそばに行く。
「お待たせしました。今からこの柵を抜いて、すぐに治癒魔法をかけます」
「おお!頼むよ!」
嬉しそうなおじさんの声に応えてセインは柵を抜こうとする。
「ちょっと待って!」
慌ててセインの手を止める。
「今、柵を抜いたらさらに血が溢れてくるよ。セイン、それに耐えられるの?!」
セインの目をじっと見つめる。
顔色は相当悪い。でも彼の青い瞳には、強い意志が込められていた。
「……耐えて見せます。絶対に。僕が彼を助けないと……!」
セインは静かに私の手を外し、少しずつ柵を抜いていった。
引き抜くときの摩擦が痛いのだろう、青年は苦悶の表情を浮かべる。
それに比例して出血量も徐々に増えている。
でもそれ以上に状態が危ういのがセインだ。
意識が遠退きそうになっていて、患者の上に倒れこみそうだ。
このままだと柵が抜けて大量出血したとき、間違いなくセインは気絶する。
そうなれば、この患者も助からない。
(何とかしないといけないのに……!ここじゃあ手術もできないし、開腹せずに血流を遮断するなんて、そんな魔法みたいなこと……!)
何もできない自分が情けない。
指を咥えて見ていることしかできないなんて―――!
《ターヘルアナトミアAiを起動》
(……え?)
《ユーリ・セトのログインを確認しました》
(え、ちょっ、何?)
《音声モードでターヘルアナトミアAiの操作を行います》
「えっ、な、何?」
「うるせえぞ、さっきから!先生の邪魔すんじゃねえよ!」
突然聞こえてきた声に周りをキョロキョロする。
セインの手を止めたのが気にくわなかったのだろう、おじさんに怒鳴られる。
それにも構わず、無機質な声は続く。
《先程のコンサルトについてお答えします》
「こ、こんさると…?」
《開腹せずに止血する方法として、結界魔法の行使が望ましいと考えられます。結界魔法を創部にかけることで、創部から流出する血液を遮断、合わせて組織を保護しつつ異物を摘出できます》
(それってつまり、結界魔法を使えば止血しながら柵も抜くことができるってこと?!)
頭に響く声に心の中で問いかける。
この声は、私自身にしか聞こえないんだ!
《その通りです。ただし、注意点が2つあります》
(注意点?)
《第一に、結界魔法は止血することはできても創部を治癒することはできません。よって、異物を摘出した際は治癒魔法を行使する必要があります》
(な、なるほど。で、2つ目は?)
淡々と答える声に質問を重ねる。
《第二に、結界魔法を行使したまま治癒魔法を行使することはできません。結界魔法をかけると組織同士が遮断された状態になり、創傷治癒が妨害されるためです。そのため、治癒魔法を行使するためには先に結界魔法を解除する必要があります》
要するに結界魔法をかけた状態で治癒魔法はかけられないから、結界魔法を先に解かなければならない、ということか。
(それだと、結界魔法の止血の効力はどうなるの?)
《止血効果がなくなり、再出血します》
(じゃあ、出血を最小限にするためには、結界魔法を解いた瞬間に治癒魔法をかけるしかない、ってこと?!)
《その通りです》
それって一発勝負じゃん !今まで使ったこともないのに!
改めてセインの様子を見る。
柵は半分以上は抜けているだろうが、正直こっちの方が重症なんじゃないかというくらい顔色が悪くなっている。
もはや土気色だ。
それに患者の状態を見ると悠長に考えてはいられない。
(一か八か、やるしかない!)
覚悟を決めて、私は柵を引き抜いているセインの手を掴む。
「ユーリさん……?!」
「私が抜きます」
驚くセインを押しのけて、セインが座っていた椅子に腰かけた。
その様子にとうとうおじさんの怒りが頂点に達する。
「はあっ?!さっきから邪魔ばっかりしやがって、この小娘は!このままじゃ、コイツ死んじまうぞ?!それくらい...…」
「死なせません」
喰ってかかろうとするおじさんに、きっぱり言い放つ。
「私が、血を止めながら柵を抜いていきます」
「そんなことが...…できるんですか?!」
目を見開くセインの顔色は少しはマシになっている。
ほんの少しだけど。
そんなセインに、できるだけ目に力を込めて深く頷いた。
「ええ、大丈夫。私に任せて」
本当は、初めて行う処置に『大丈夫』だなんて安請け合いしたって、いいことなんて何一つないんだけどね。
でも、この場で患者のケガを治癒することができるのはセインだけ。
そのセインが気絶することは患者の死を意味する。
それだけは、絶対に阻止しないと。
(ターヘルアナトミア、だっけ?結界魔法のやり方を教えて!)
《承知しました。魔法の範囲は、異物が刺さっている周囲の組織でよろしいですか?》
(それで、お願いします!)
《認証しました。では、私の後に続けて詠唱してください。》
(はい?詠唱?)
《声に出して唱えることです。》
(いや、知ってるけどさ!)
《光の精霊よ》
(シカト?!……ええい、もうやけくそだ!)
「光の精霊よ!」
《我に御加護を》
「我に御加護を!」
《"ヴェール"》
「"ヴェール"!」
半ばやけっぱちで音声に続いて復唱した。
その瞬間―――
柵を握っていた手のひらから温かいナニカが放出され、創部全体が柔らかな光に覆われる。
光は柵の周りにだけ自然に集まり、やがて柵を囲む形で落ち着いた。
「血が、止まっている!」
セインが驚きの声を上げた。
多くはないとはいえ、柵の周りからジワジワと滲みだしていた血が、完全に止まっていた。
「よし!」
私はゆっくり柵を抜いていく。
結界が守ってくれているからなのか柵が擦れたときの痛みもないようで、柵を動かしても患者の表情は変わらなかった。
そして柵を完全に抜けきり、
「すごい。本当に血が全く出ていない!」
「すげえ!」
柵が刺さっていた形に沿うように光が傷を覆い、血の一滴も流れてこない。
結界魔法によって、出血は完全に制御されていた。
(うわあ、傷穴からシーツが見えてる……)
まるで傷に柵の型を取った筒をはめ込んだようだ。これはこれで奇妙な感じがする。
「ありがとうございます、ユーリさん!いったいどんな方法を……!」
「それは後で。ここからが本番だから!」
「どう、いうことですか……?」
出血が治まったことでセインにも余裕ができたみたいだ。
顔色も大分よくなってきた。
「このままだと傷を塞げないの。私が魔法を解除したら、それと同時に治癒魔法をかけて」
「同時に、ですか?」
「そうしないと、血が一気に噴き出してくるよ!」
『血が噴き出す』という言葉にセインの顔がひきつる。
「……わかりました。やりましょう!」
青い瞳に込められた強い決意を確認し、私とセインは並んで手をかざす。
「3つ数えたら私がまず魔法を解除するから、その瞬間にセインは治癒魔法をかけて」
「はい!」
「いくよ。……3、2、1!」
「光の精霊よ、我に御加護を。”ヒール”!」
合図とともにセインが呪文らしきものを唱えた。
その瞬間、2人の手から強い光が放たれ、部屋の中を埋め尽くす。
結界を傷の中心、体内から徐々に解除し、それを上書きするようにセインの魔力が傷を覆い癒していく。
やがて、光が消えたとき―――
私とセインの前に横たわっていたのは、傷一つない青年だった。
読んで下さりありがとうございました!
ブクマして頂くと励みになります。




