Karte.144 ユーリの決意、そして、記憶喪失(仮)
ルシアン様は少し考えると、
「ユーリ殿」
「っはい!」
急に私の方を向いてきた。
「貴女も同じ考えなのか?」
確認するように尋ねてこられたので、
「はい、むしろ私の方からセインにお願いしたんです」
はっきりと答えさせてもらった。
「ディーノさんが仰ったように、たった1度だけであれば、ただの偶然かもしれません」
レンジ君の方を見て、
「ですが、その後2人の患者の治療もさせてもらい、更に今回、ルシアン様の治療も担当させていただくことができました。治療方法の1つとして世間に公表できる段階だと考えております」
今度はフィーちゃんとジークを見た。
「もちろん、私も黒死病のことを全て知っているわけではありません。先ほどの話題に出ていた、黒死病の原因についてはまだ分かりませんし、私の治療法以外にもひょっとしたら別のアプローチがあるかもしれません。聖ティファナ修霊院に行き、患者の治療に携わりながら黒死病の解明をするべきなのではないか。そう思いました」
ルシアン様は静かに私の話を聞き、
「見事な心構えだ。そして、今の私には貴女の存在がこの世界にとってどれほど有難いものなのか、身に染みて実感している」
榛色の瞳が眩しそうに細められた。
「黒死病を患ってから治療を受けるに至るまでの苦痛や絶望は本当に耐え難いものだった。父と妹は決して見捨てず必死に守り続けてくれたが、それでもこの苦痛から逃れられるのであれば、今すぐ命を絶ってしまいたいという弱気が何度も頭を過ってしまったのだ」
「兄上……」
カーラさんにやさしく微笑むと、ルシアン様はセインとレンジ君の方に向き直ると、
「セイン、レンジ殿。2人には王都への出向を許可する。彼女とともに、死と絶望の病からどうか人々を救済してくれ」
と辺境伯として下知を下された。
「ありがとうございます、ルシアン様」
「謹んで承ります」
セインとレンジ君は恭しく頭を下げた。
すると今後はグラハム様が、
「此度のゴブリン族の大規模討伐は、レンジ殿とジーク殿が参戦してくださらなければ、我々は敗北を期し、この要塞を彼奴等に奪われていただろう。そして、ユーリ殿、セイン殿、フィー殿は辺境伯現当主であり、我が息子を死の淵から救った恩人である」
正妻の後釜騒動とは全く違った意味で、私達に頭を下げてくださった。
「我がルーベルト家がこの恩を忘れることは決してない。貴殿達の王都への旅路や王都での生活に対して、全面的に協力させて頂きたい」
「えっ、よろしいんですか?!」
まさかスポンサーを名乗り出てくれるとは思っていなかったため、思わず声を出してしまった。
グラハム様はフッと顔を綻ばせた。
私はそのとき、ここにきて初めてグラハム様の微笑んだ顔を見たことに気が付いた。
「貴女には随分な醜態を晒し、無茶な縁談を押し付けようとしてしまった。にもかかわらず、こうして息子が再び当主として生きて戻った姿を見せてくれたことを心から感謝する。それに比べれば、我々の協力など微々たるものだ」
そして、
「我が息子と同じように、今も苦しみ絶望に立たされる患者の命をどうか救って頂きたい」
と、もう一度頭を下げられた。
「……ありがとうございます。ご期待に沿えるよう、精一杯努めさせて頂きます」
グラハム様の言葉の端々に私への感謝と真摯な願いを感じ取り、私はそう返すので精一杯だった。
セイン達も予想を超えてトントン拍子に進んだ展開に驚きつつも、嬉しそうな顔をしていた。
「ユーリ殿、自分から一つだけお尋ねしてもよろしいだろうか」
その時、ディーノさんが私に声をかけた。
「はい、なんでしょうか?」
ディーノさんはジッと私を見据えると、
「貴女が一体どうやって、その常識を逸した治療方法を会得したのか。そのことをヒーラーとして是非とも教えていただきたい」
(……遂にきたか)
私が一番答えにくい質問を投げかけられてしまった。
(でも聖ティファナ修霊院でもきっと聞かれることなんだろうね、きっと)
最も、私の返答は決まっているのだけど。
「実はその……フラノ村に住む以前の記憶が私には無くて。ただ、この治療法に関する知識や技術などについてはなぜか覚えているようなんです」
実に都合の良い記憶喪失である。
「まあ……そうだったのですね」
(ううッ!)
そう言えばフィーちゃんやジークには伝えていなかったかもしれない。
そんな心から同情してくれている顔をされてしまうと、ものすごく罪悪感が芽生えてくる。
(フィーちゃん、ごめん!でも流石に『前世で事故にあったと思ったらいつの間にか異世界に転生していて?しかも"聖女"なんて言うよくわからない役割を与えられて?しかもしかもなぜか世界を救う使命?まで押し付けられているんです』なんて馬鹿正直に話したら、いよいよ頭が狂っていると思われかねないでしょ!ただでさえ私、挙動不審で変な目で見られることが多いのに!)
チラッとレンジ君を見ると、顔色一つ変えない、いつも通り思慮深い面持ちのままだ。
このチャンスに乗じて、私の過去を根掘り葉掘り問い詰めようと思えばできるはずなのに。
私の気持ちを優先して、ずっと黙ったままでいてくれる。
(ありがとうございます、レンジ大明神様……!)
心の中で何度も拝み倒していると、
「本当か?」
ディーノさんは疑わしそうな目で睨みつけてきた。
「えぇと、その……」
「ディーノ、それくらいにしてはくれないか?」
ルシアン様が助け船を出して下さった。
「記憶を失ってしまうなど、気の毒に思うことはあっても、疑うことではないだろう?」
「ですが、御当主様!このような常識外れの治療法だけを覚えているということは、流石に不自然かと思われますが!」
全く仰る通りでございます。
だけど、私だって白状する訳にはもちろんいかない。
「ディーノさんがそうお考えになるのは至極当然だと思います。でも私、本当に何も覚えていなくて……」
私にできることはただ一つ。
ひたすら、
『記憶にございません』
を連呼するしかないのだ。
それこそ、前世の国会で証人喚問に応じた国会議員をも唸らせるくらいの記憶の無さを露呈しなければならない!
「何か人には言えない疚しいことを隠したくて、わざと記憶喪失のフリをしているのではないだろうな?!」
「や、疚しいことなんて、そんなッ!」
半分正しいが、半分間違っている。
バリバリ記憶喪失のフリはしているけど、疚しいことをするつもりは一切ない。
どちらかというと私は、いつの間にかトラブルに巻き込まれる側である。
(私はあくまで小心者で善良な一外科医に過ぎないんですけど!)
どうしよう。
ディーノさんがここまで食いついてくるとは……!
(どうすればいいと思う、アイ?!)
脳内で専属AIにヘルプを求める―――
ダンッ!
前に、
「……さっきからテメエは何様のつもりだ?」
額に青筋を立てたジークが立ち上がっていた。




