Karte.139 辺境伯の生還、そして、黒死病の核
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カーラに支えられながら、呆然と自分を見つめる父に、ルシアン卿は頭を下げた。
「ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。そして、今回のゴブリンキング率いる大規模討伐の指揮を代行して下さり、心から感謝申し上げます」
緑色と茶色が混じる榛色の瞳にまっすぐ見つめられても、グラハム卿は幻を見ているようだった。
「そ、そんな……あり得ん!ルシアンは……お前はッ
「騎士団長!」
「ルシアン様ッ!」
譫言のように繰り返すグラハム卿の言葉の上から部下の兵士達が明るい表情で近づいてきた。
「もうお体の具合はよろしいのですか?!」
「流石は、騎士団長ッ!素晴らしい攻撃魔法です!」
ルシアン卿の元に集まる兵士達はみな尊敬の念が込もった眼差しを主に向けていた。
「心配をかけて済まなかった!まだ本調子ではないが、ようやく外に出られるようになった!」
快活な笑顔を見せるルシアン卿の顔には、あの絶望を彷彿させる黒い皮膚は消えてなくなり、開くことさえできなかった両方の瞳には光が戻っていた。
その姿にグラハム卿は、これが現実なのだということ、信じがたいことに……息子の黒死病がなぜか跡形もなく消えていたことを、ようやく実感したのだった。
「ーーーッ!」
目にこみ上げてくるものを必死に抑え、グラハム卿は黙ってその光景を見守っていた。
本当であれば、黒死病から見事生還した息子に、すぐにでも駆けつけ声を掛けたかった。
できることなら、抱き締めて喜びを分かち合いたかった。
だが、軽率に感情的な行動をしてしまえば、ここまで必死に隠し通していた真実を、他ならぬ自分自身の手で暴露してしまうかもしれない。
そう思うと、ただひたすら歓喜の涙を耐えることしかできなかった。
そして、完全に沈黙したゴブリンキングの亡骸の前で、レンジとジークも要塞を救った雷撃を見ていた。
「あのオッサン、やるじゃねえか!今までの中で一番デカかったぞ!」
「頼むから、グラハム卿を面と向かって『オッサン』呼びするのは止めてくれよ」
先代辺境伯相手に不遜な発言をするジークにレンジは釘を刺しながらも、
「最後の雷撃は間違いなく雷の属性攻撃魔法だろうな。凄まじい破壊力だった」
感心したように頷いた。
だが、
「ま、まさか……あれはもしやッ?!」
未だ律儀にドラコを抱き締めながら、ディーノだけは唖然としていた。
「どうしましたか、ディーノ殿?」
レンジが尋ねると、
「間違いない……あれほどの雷魔法を扱える御方は、この騎士団にはたった一人しかいらっしゃらない!」
感情の昂ぶりを何とか抑えようとするが、ドラコを抱き締める手に無意識に力が入ってしまったのだろう、
「ピャッピャッ!」
ドラコが抗議の意味を込めて、尖った口でディーノの手を強く突いた。
「イタッ!す、すまん!」
「止めろ、ドラコ!こっちに来るんだ!」
ディーノは慌てて力を緩め、レンジも急いでドラコを受け取った。
「あ?さっきの雷、あのオッサンのじゃねえのかよ?」
相変わらずのジークの発言にディーノは一瞬眉を顰めるも、
「自分もグラハム様の雷魔法をそう何度も見たことがある訳ではない。だが、先程の攻撃魔法を見間違える訳がないんだ!」
そう言うと、ディーノは急に要塞に向かって走り出した。
「ジーク、僕達も行くぞ」
何かを察したレンジは、ドラコを空へ離しジークを促した。
「ディーノ殿の発言……ひょっとすると、あれはルシアン卿の雷魔法なのかもしれない」
「ああ?つうことは……ッ?!」
そこでレンジの言わんとすることに気がついたジークは目を見開いた。
「どうやら、4人目の生還者が現れたようだ」
明るい表情でレンジは頷き、2人と1匹もディーノの後を追って要塞に向かった。
「フィーじゃねえか!」
「お兄様!レンジさん!ドラコちゃんも!ご無事だったんですね!」
「ピャー!」
要塞に到着してすぐ、レンジ、ジーク、ドラコはフィーと出くわした。
「どうして君がここに?」
ドラコを優しく抱きかかえるフィーにレンジは尋ねた。
「私とカーラ様はルシアン様を付き添っていたのです。ゴブリン達が押し寄せてきていることをルシアン様がお知りになって、すぐにでも要塞の様子を確認したいと仰られて。私は途中までご一緒して、また城内に戻る途中だったのです」
そこでフィーはレンジとジークだけに聞こえるように声を落とし、
「黒死病の治療は無事成功いたしましたわ」
とレンジ達が一番気になっていたことを報告した。
「流石と言うべきところだが、肝心の本人達はどうしたんだ?」
レンジはフィーにユーリ達のことを尋ねると、
「実は……今回核の摘出が相当大変だったようでして。ユーリさんとセインさんは、お部屋でお休みになられているのです」
眉を落とすフィーにレンジとジークの顔色がサッと変わった。
「2人は無事なのか?!」
「まさか、怪我してるとかじゃねえよなッ?!」
珍しくフィーに詰め寄る2人を、
「ご安心ください!お2人には怪我一つありませんし、もちろん命に別状もありませんわ!」
フィーは慌てて落ち着かせた。
「……すまない、取り乱してしまって」
「ワリい……驚かせちまったよな」
レンジは頭を軽く下げ、ジークは謝罪の意味を込めてフィーの頭を優しく撫でた。
「いいえ、私もユーリさんとセインさんの様子には、すっかり焦ってしまいましたから」
ふわりと微笑むフィーに2人もつられて口元を緩ませた。
「お兄様とレンジさんも本当にご無事でよかったですわ!私、お2人がゴブリンキングに止めを刺すところを見ていましたの!とても勇ましかったですわ!」
今度はフィーが2人の戦いを労った。
「あれくらい、どうってことなかったぜ!」
「流石にゴブリンキングまで登場するとは思わなかったがな」
ジークは胸を張り、レンジは苦笑しながらも達成感を含ませながら答えた。
フィーはクスッと笑うと、
「よろしければこのままユーリさん達のお部屋に行きませんか?お兄様達にもぜひ見て頂きたいものがあるのです」
と真剣な表情をした。
「見て欲しいもの?」
ジークが繰り返すと、フィーは頷いた。
「ええ……今回、黒死病の核を崩れることなく保存することに成功しましたの」
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