Karte.137 核との攻防、そして、摘出
はっきり言って、アイの支援システムは非常に優秀だ。
脳内を走る神経や血管も名前付きで教えてくれるし、脳の手術の執刀医をしたことがない私でもしっかり順序立てて手術ができるのだ。
それに加えて、レンジくんが作成してくれた器具もメチャクチャ便利だ。
「”解放”」
鑷子の長短を自分の思い通りに調整することもできるし、さらに、これは使っていて気づいたのだが、鑷子の先端を部分的に幅広にしてヘラのように使うことだってできる。
これで、奥深くに存在する組織の剥離を鑷子だけであらかた行うことができるのだ!
(魔法、マジすごい)
結界魔法で術野も一人で絶妙の広さに展開できるし、止血だって糸で結ぶ必要もない。
(助手もいなければ器械出しの看護師も外回りの看護師もいない。全部一人でやらなきゃならないんだから、これくらいはしてもらわないと手術できないけどさ)
現に、脳の中心部に近づくにつれ黒く変色している組織が目立ち、それに伴って腐乱臭が強くなっていく。
(そもそも病気から攻撃を仕掛けてくるってこと自体がおかしいんだしね)
《下垂体が術野に見えてくる頃です》
アイのアナウンスが流れてきた。
「セイン、もうじき黒死病の核が現れるよ」
仕切り越しに反対側のベッドサイドでルシアン様の状態を見ているセインに声をかけた。
「わかりました」
緊張感が漂う声でセインが返事をした。
「そろそろ核に到達します。フィーちゃん!」
私の背後にいるであろうカーラさんとフィーちゃんに声をかけた。
「私が核を摘出したらすぐに障壁を解除するから、氷魔法で核を凍らせてもらえる?」
「分かりましたわ!」
フィーちゃんは力強く答えてくれた。
「いよいよか……!」
カーラさんも緊張しているらしく、唾を飲み込む音が妙に響いて聞こえる。
黒死病の正体を見たことがないのだから仕方がない。
だが、ここで望ましくない事態がアイから伝えられた。
《鑷子の先が黒死病の核に触れてしまったようです》
(うそっ?!)
《頭蓋内ですから、スペース的に術野を展開させるには限界がありますので、致し方ないと思われます。ですが、核を露出したと同時に攻撃を仕掛けてくる可能性が非常に高いので、十分注意してください》
厄介なことに、核はこちらから少しでも接触したりすると覚醒し、自身を摘出しようとする相手に攻撃を仕掛けてくるのだ。
「セイン、核が攻撃してくるかもしれないから十分注意して!」
「ッはい!」
手を休めることなく注意喚起する。
「見つけた……!」
下垂体近傍にあった闇を濃縮したようなピンポン玉くらいの塊。
視交叉の周囲が圧迫され、しかも黒く変色していた。
そして、核の中央はすでにパックリと割れ、鮮血に染まった瞳が私を待ち構えていた。
(見た限り下垂体には癒着していない。さっさと摘出してしまえば、それで終わりのはず!)
核の視線に気後れすることなく一気にメスで切りかかろうとした。
その時だ。
“ギイ゛ィィィーーー!“
突然ブルブル震えたかと思うと、神経を逆なでする悍ましい震動が空気を震わせた。
「ア゛ック……!」
「グ、ゥッ……!」
(な、一体、何がッ……?!)
私もセインも何が起きたのかさっぱり分からなかった。
ただ、頭の中から激しく揺さぶられるような激痛と気持ち悪さに、清潔不潔とか言っていられる余裕もなく、メスを持ったまま両手で耳を塞いでしまった。
「ユーリさん、どうしたッ!何があった?!」
「ユーリさん、セインさん、大丈夫ですかッ?!」
結界の外からカーラさんとフィーちゃんが私達の異変に気付き、焦って壁に張り付いた。
(ここで結界を解除なんてできない!この超音波みたいな攻撃を2人もまともに受けてしまう!)
更に追い打ちをかけるように、
ギュルギュルーーー!
あのタ〇リ神のような触手が私に向かって襲い掛かってきた。
《”ガード”》
すかさずアイが私の代わりに障壁を出現させてくれ、鞭のように打ち込んできた触手を防いでくれた。
「コイツ……今までで、一番タチ悪い、じゃないッ!」
耳を塞げば超音波攻撃は何とか耐えられるレベルに落とすことができるが、そうすると当然手術を続行はできないし、核を摘出することもできない。
「アイ、何とかならないッ?!」
最早、脳内会話をする余裕もない。
《ユーリとセインの耳を”ヴェール”で覆えば、この音波を防ぐことができると考えられます》
「分かった!」
すぐに、
「”ヴェール”!」
と両耳に向けて魔法をかけると、
「……おおッ!」
途端に周囲の音がシャットダウンされ何も聞こえなくなってしまったが、ついさっきまでの脳みそを揺さぶられる不快極まりない超音波も完全に消えてなくなった。
急いでセインがいるベッドサイドに回ると、セインも膝をついて核の超音波攻撃に耐えている。
セインの傍に行き、
「”ヴェール”!」
呪文を唱えると、セインの両耳が光る布のようなものに包まれた。
すると、
「―――ッ?!」
驚いたように私を見上げた。
「私が結界魔法をかけたの!」
自分ではそう言ったつもりだけど、”ヴェール”で完全に遮断されているため、私自身も自分の声が聞こえない。
だけど、セインは私が魔法をかけたことを理解してくれたようだ。
頷くと、再びルシアン様の近くに立った。
私も持ち場に戻ると、核による触手攻撃を”ガード”による障壁が防いでくれていた。
きっとアイが気を利かせて維持してくれていたのだろう。
「”パージ”!」
改めて全身に浄化魔法をかけて清潔にし、術野の前に再び立った。
「随分好き勝手にしてくれたわね!」
(アイ、この障壁を解除後、触手の攻撃直前に最小限の障壁を出現させて防いで!)
《承知しました》
目の前の障壁が無くなり、私目掛けて触手が一斉に襲い掛かるが、
バンッ!
ガンッ!
触手の攻撃が当たる直前に直径5㎝にも満たない障壁が出現して、防いでは消え、防いでは消えを繰り返し、私にはグロテスクな魔の手が当たることは絶対にない。
「今度はこちらの番!」
メスを構え、魔力操作で自分の身体能力を上昇させ、核と脳との境目の一部分を的確に素早く切り裂いた。
ィ゛ーーーッ!
魔力操作で視力も大幅に調整し、まるで顕微鏡で観察しているように、核と脳実質の境目がはっきりと見える。
音にならない核の叫びに構うことなく、次々にメスで切り込む範囲を広げていく。
核は必死の抵抗で切り込みを入れられた直後に再び組織に張り付こうとするが、
「”ヴェール”!」
そこはこちらも学習済みなので、切れ込みの隙間に結界魔法を展開させ妨害した。
「これで最後!」
鑷子で核を掴み、メスでトドメの一筋を入れる。
「摘出!」
同時に私とセインの耳を覆う”ヴェール”を解除した。
「セイン、まだ治癒魔法はかけないで!」
そう言いながら、ベッドの周囲に張り巡らしていた障壁も解除した。
「ユーリさん、大丈夫か?!」
カーラさんが勢いよく飛び込みそうになるのを何とか抑えて、
「フィーちゃん、氷魔法を!」
鑷子で掴んでいる黒い塊を差し出した。
フィーちゃんは一瞬息を呑むが、すぐに頷き、
「水の精霊よ、我にご加護を。”アイス”!」
核に魔法をかけると、核は一瞬で氷の塊の中に閉じ込められた。
「OK!」
例え氷の塊でもしっかり掴んでくれるレンジ君の鑷子に密かに感動しながらも、
「”パージ”!」
術野全体に浄化魔法をかけ、切り取っていた頭蓋骨の一部を元通りの位置に乗せ、
「セイン!」
「分かりました!”ヒール”!」
セインが治癒魔法をかける直前に止血のためにかけていた結界魔法を解除する。
術野は淡い光に包まれ、光が消えた時には―――
今まで頭蓋骨が切り取られ、脳みそが露出していたことが嘘だったかのように、ルシアン様の頭部には元通りになっていた。




