Karte.133 手術準備、そして、カーラの選択
まずは、手術がしやすいよう環境を整える必要がある。
流石はお貴族様なだけあって、ルシアン様は天蓋付きのキングサイズのベッドに寝ていらした。
しかも非常にフカフカしていて、とても寝心地が良さそうだ。
(でも手術はメチャクチャしにくい!)
ベッドが大きすぎて、私とセインが両側のベッドサイドに立つとお互い手が届かなくなってしまう。
しかも、敷き布団がフカフカし過ぎると、必要以上に体がベッドに沈んでしまって、必然的に術野も沈んでしまう。
と言うわけで、室内にあったシングルベッドを部屋の中央に動かし、ルシアン様にはそこに移動していただくことにした。
どうやらカーラさん用の簡易ベッドらしく、お屋敷に帰ってからカーラさんが夜も看病するために置いたそうだ。
大きさも敷き布団の沈み具合も、手術するには申し分ないが、裏を返せば、普段使うにはあまり寝心地がよろしくないということでもある。
とても貴族のご令嬢が御用達するとは思えないほど粗末なベッドだが、
「普段は野宿が多いから、ベッドで眠れるだけでも十分有り難い。それに、兄上の様子を見るためにこまめに起きているから、寝心地を求めてもあまり意味がないのだ」
と言う、何とも逞しいお答えが返ってきた。
(できれば、ヘッドアップして手術したいんだけどな)
上体ごと頭を持ち上げた状態にするということだ。
なぜなら、脳は髄液という体液に常に浸かっているからである。
これは脳を保護するためにも重要な体液だ。
開創することで髄液が体外に漏れてしまうことは避けられないが、できるだけ流出量は少なくしておきたい。
そのため、頭を上げておくと、重力に従って髄液が足側に溜まってくれるという訳だ。
《ベッドの頭側に障壁を差し込むように出現させれば、上体のみを挙上させることが可能です》
(魔法って本当に何でもありだね)
アイ先生のアドバイス通りに試しにマットレスとベッドの間に障壁を差し込むように出現させると、背もたれに寄りかかるように上体を上げることができそうだ。
「セイン、カーラさん。ルシアン様をこちらのベッドへ。フィーちゃんは一緒にシーツを外すのを手伝ってくれる?」
「分かりましたわ」
2人がルシアン様を支えてゆっくり歩いてくる間に、私とフィーちゃんはシーツを外しマットレスを剥き出しにした。
「ベッドに座らせるようにルシアン様を寝かせて下さい」
4人がかりでルシアン様をベッドに寝かせた。
これで環境は整った。
「これからいよいよ治療を始めていきますが、その前にカーラさんに確認しておくことがあります」
「何をだ?」
「私は今まで、黒死病の治療にセイン以外は基本的には立ち会ってもらわないようにしています。セインには治療中の患者の状態が急変しないかをチェックしてもらい、私が核を摘出したら創部を閉じるために治癒魔法をかけてもらう必要があるからです。まあ、治療に必要なため例外はありましたが」
チラッとフィーちゃんを見た。
「あらかじめお伝えしたように、私達は今からルシアン様の体内を操作していきます。それを見ることは、はっきり言って気持ちのいいものではないですし、身内の方であれば強いショックを受けるかもしれません」
私は改めてカーラさんを真っ直ぐ見つめた。
「カーラさんが望まないのであれば、カーラさんにはこの部屋から退出していただきたい。ただ、もしこの部屋に残って私達の様子を見るのであれば、絶対に私達の邪魔をしないでほしい。なぜなら、治療の失敗はルシアン様の死を意味するからです」
「ッ!」
カーラさんが目を見開く。
「黒死病が治せないことによる死ももちろんですが、中途半端に体を切り開いたところで邪魔が入り、結局黒死病の核を摘出できない。そうなったら治癒魔法をかけられず、創部も閉鎖できなくなってしまう……そうなるくらいなら、最初から治療しないと決めた方が余程マシです」
「……確かにな」
「ちなみにカーラさんが部屋から退出した場合、治療が完了するまで部屋には誰も入れないようにします。事情を知らない方が万一入ってしまって、治療の邪魔をされる訳にはいきませんから」
考え込んだカーラさんに私は繰り返した。
「だから、カーラさんには今決めてもらいたいのです。この部屋に留まるか、退出するか。どちらにしても、治療の邪魔だけは絶対にしないことを約束してください」
酷な話だが、それが守れなければ私は治療しないと決断しなければならない。
少しの間カーラさんは目を閉じていたが、
「……私はこの部屋にいたい。治療の様子をこの目で確かめたいんだ」
紫紺色の瞳が真っすぐ私を見据えた。
「例えユーリさん達が何をしようと、絶対に邪魔をしない。他の邪魔も入らせない。そのことをこの命に代えても約束しよう」
「……分かりました」
私も深く頷いた。
「私はどうした方がよろしいですか?」
フィーちゃんが聞いてきた。
「もしフィーちゃんが大丈夫なら、このまま部屋にいて欲しいのだけど」
「よろしいんですか?」
セインが驚いたように確認してきた。
カーラさんのときと対応が違うからだろう。
「黒死病の核を摘出した時、できれば崩壊する前に保存しておきたいのよ。その方法の一つとして、フィーちゃんの氷魔法で核を摘出したと同時に凍結保存できるかどうか試したいの」
これまでの手術では、黒死病の核を摘出し、セインが治癒魔法をかけた時点で核が崩壊してしまっていた。
だから、『これが黒死病の正体です!』という確固たる物証を示すことができなかったのだ。
だけど今回は、フィーちゃんという氷魔法の使い手がいてくれる。
上手く凍結保存ができれば、私の口だけ説明より遥かに説得力が増すだろうし、今後黒死病の研究をするときに絶対に必要になってくる。
(レンジ君やジークも実物を見たら、手掛かりになるようなことを知っているかもしれないしね)
フィーちゃんは頷き、
「私なら大丈夫ですわ、ユーリさん。私もルシアン様の治療をしっかりと見届けたいです」
と力強く答えてくれた。
本当にこの皇女様は度胸がある。
「ユーリさん」
カーラさんがどこか眩しそうに私を見てきた。
「あなたにはいつも度肝を抜かされるな。そして、今回ほどあなたを頼もしく思ったことはない」
そして、
「どうか、兄上をお願いします」
と今までで一番丁寧に頭を下げてくれた。
「はい、最善を尽くします」
私が口で言えるのはここまでだ。
後は、私の手技に語ってもらうしかない。
ベッドに近づき、今回の患者に手術前最後の挨拶をする。
「ルシアン様、よろしくお願い致します」
「ああ、あなたの思う通りにしてくれ……セイン」
「ッはい!」
最早何も映すことができない目をセインに向け、
「君も一緒に戦ってくれるのか?」
「……ええ、恐れながら私もご一緒させていただきます」
セインの強い意志が込められた言葉を聞き、ルシアン様の口元がフッと綻んだ。
「これが君との初陣というわけだ……よろしく頼む」
カーラさんに了承を得た上で、シーツを4等分に裂き、セインが直接見ないよう、目隠しを作っていく。
その間にセインは、ルシアン様を眠らせていく。
「光の精霊よ、我にご加護を。"パージ"」
私達を含め、部屋全体を浄化魔法で清潔にする。
口を布で覆い、手を"ヴェール"の膜で包んだ。
ルシアン様が深い眠りについたことを確認し、部屋の中をセインには光属性魔法で明るくしてもらい、私はベッドサイドに立った。
目を閉じ、深く息を吸う。
「これより、下垂体近傍原発の黒死病摘出術を行います」
メスを取り、私達の戦いが始まった。




