Karte.128 ルーベルト辺境伯・ルシアン、そして、いざ治療へ
部屋の中は夜のように暗く、昼間だというのにカーテンはぴったりと閉められていた。
部屋の主が一筋の光さえも拒絶しているようだった。
「部屋を明るくすると頭痛が悪化するらしい。光の刺激にさえも過度に敏感になっているようなんだ」
入口近くに置いてある手持ちの燭台のようなものを持ち、カーラさんが囁くような声で説明してくれた。
「”解放”」
すると、燭台に蠟燭の代わりに立てられていた棒、火の封魔石の先端に火が灯った。
「それに……今の兄上をみれば、黒死病を発症したことは明白だ。事情を知らない者にすぐに発覚されないようにするためでもある」
平民の私からすれば十分広い寝室で、唯一の光源はカーラさんが手に持っている封魔石だけ。
私達の顔さえもうすぼんやりと浮き上がっているばかりで、あとは闇だけだ広がっている。
だけど、主であるルシアン様がどこにいらっしゃるのかはすぐに分かった。
何とか押し殺そうとしているのだろうが、時折耐えきれないのだろう苦悶の叫びが一定方向から聞こえてくる。
「兄上、カーラです。先程のお薬はいかがでしたか?」
足元も碌に見えない中をカーラさんは慣れた様子で歩いて行った。
何度もこの部屋を訪れ、ルシアン様の看病をしているからなのだろう。
「すま、ない。正直……あまり、よくない……んだ。せっかく、お前が、わざわざ薬を……取り寄せてくれた、というの、に……ッ!」
話をするのも辛いのだろうか、途切れ途切れに掠れた声が聞こえてきた。
それでもすぐに苦痛の波がやってくるのだろう、それをやり過ごそうと息を詰めて懸命にやり過ごそうとする様子が見て取れる。
カーラさんに続き、私達もベットの方に近づいた。
石が宿す灯がベッドに横たわる人物を柔らかく照らした。
「―――ッ!」
隣にいるセインから息を呑む声が聞こえた。
そしてそれは、ルシアン様にも伝わったようだった。
「他に……誰か、いるの、か?」
カーラさんの光越しに私はこの地の領主様と初めてご対面した。
金色に近い茶色の髪の毛を短く刈り上げ、意志の強そうな凛々しい眉毛と彫りの深さから、いかにも鍛え上げられた騎士という風貌だ。
だが今は、額に脂汗を浮かべ苦悶に満ちた表情が非常に痛々しい。
何より、ルシアン様は私達の姿が分からない。
当たり前だ。
ルシアン様の両瞼の皮膚が黒く変色していたからだ。
この様子だと、目も黒死病に冒され視力も失われているのだろう。
(そう言えばカーラさんが、最初の症状は『目に違和感がある』っていうものだったっけ)
「お久しぶりにございます……ルシアン様」
なるべく動揺が出ないように、敢えて淡々とセインが挨拶をした。
最も、その表情は平常心とは程遠いものだったけど。
「その声は……セイン、か……ッ!」
驚いてわずかに身じろぎするが、その些細な動作だけでも痛みが走るらしく、すぐに体はベッドに沈んだ。
「……見苦しい所を、見られて、しまったな。御覧の、通り、のザマだ……」
それでも、弱音を吐くことなく、慌てて取り繕ろおうともせず、セインといつも通り話をしようと努力しているんだろう。
顔は青色を通り越して土気色だが、口角を何とか上げている。
「お労しいことです、ルシアン様。まさかっ……黒死病を発症して、いらっしゃるとは……!」
一方セインは、恩人であり、お仕えしている主の変わり果てた姿に声の震えを抑えきれていない。
(セインはルシアン様のことを本当に敬愛しているんだね……)
フッと口元を緩ませると、
「だが……私は、恵まれている、と、思っている。父も、妹も……私を見放さずに、こうして、看病も……してくれている」
「兄上……ッ」
カーラさんが何かを堪えるように唇を噛み締めた。
「ディーノには……すまないことを、してしまった。私が、安易に……治癒魔法、を、かけて欲しいなどと……お願いしたばっかりに……責任を感じて、いるようだ」
目の不調を訴えたルシアン様に治癒魔法をかけたばっかりに、黒死病が一気に進行してしまったということだ。
(ただのうるさい体育会系だと思っていたけど、責任感が強い人なんだ。副騎士団長を務めることができるくらいなんだから、当たり前なのかもしれないけど)
セインがグッと拳を握り、
「……どうでしょうか、ユーリさん」
切羽詰まった顔を向けた。
「何とか……何とか、できないでしょうか?!」
「……セイン以外にも、他に、いるの、か……?」
目が見えないため、他の人間の気配を探そうとルシアン様は頭をゆるゆると動かした。
「お初にお目にかかります、ユーリと申します。セイン……先生の助手をさせて頂いております」
スカートの端を持ち、淑女の礼を取った。
私はセインの助手という立場なので、対外的にはセインを『先生』と呼ぶようにしている。
私生活では一度も呼んだことないけど。
「ユーリ……そうか、あなたが……浄化の、封魔石の……」
私の声がした方に、わざわざ閉ざされた目を向けて下さった。
「あなたには……いつか、正式に、礼をしようと、思っていたんだ……浄化の封魔石の、お陰で、我が領地は……かつてない程、栄えることが、できた。本当に……感謝して、いる。このような、場での、挨拶で……申し訳ない」
「もったいないお言葉にございます、御領主様」
深く一礼し、ルシアン様を真っ直ぐ見つめた。
(アイ、早速だけどスキャンをお願い)
《かしこまりました。スキャン開始―――終了》
アイが再構築した画像が私にだけ見えるディスプレイに映し出される。
《ルシアンの脳内、視交叉に接する部位に約2㎝の腫瘤性病変が認められます》
(やっぱりか……)
フィーちゃんがパーフェクトなお辞儀で自己紹介をしている様子を見ながら、できれば当たって欲しくなかった結果に心の中で唸った。
目から伝わった視覚情報を脳に伝える神経、視神経は、左右の目からそれぞれ1本ずつ延びており、2本の視神経は脳内で交差する。
これが視交叉だ。
ここに脳腫瘍などの病変があると、両目の視力が低下してしまい、最悪両目とも失明する恐れがある。
(ジークは心臓、そして今回は脳内。それも視交叉なんて脳のかなり深い場所に核ができるなんて)
志高い人であれば試練だと思うかもしれないが、小心者な消化器外科医である私には嫌がらせとしか考えられない。
本気で前世の脳神経外科医の知り合いを異世界転生させたくなる。
(まあ、ジークの時もそんなバカげたこと無理だった訳だし。アイ、今回も術式のサポートやナビゲーションをお願いできる?)
《かしこまりました。お任せください》
アイの冷静な言葉に私はセインの目を見て、しっかり頷いた。
一瞬セインが目を見開き、そして私の決定を悟ったのだろう、軽く頭を下げた。
「ルシアン様」
セインが再び口を開いた。
「今から私がお話することは常識を逸していることだと理解しております。ですが、どうか私達を信じて……ルシアン様の御命を預けさせていただくことはできないでしょうか」
「それ、は……どういう、ことだ?」
今までとは雰囲気を一変させたセインに、ルシアン様だけでなくカーラさんも注目した。
セインは私に目配せした。
「私の助手であるユーリは、黒死病を治療する術を持っている者です」
「ッ?!」
「ほ、本当なのかッ?!ユーリさん!」
驚愕で息を呑む2人にフィーちゃんも静かに頷いた。
「事実ですわ。なぜなら……私もかつて黒死病を患い、そして、ユーリさんに治療をしていただいた患者の1人だからです」
「なッ……?!」
カーラさんは今度はフィーちゃんを凝視した。
「私がユーリさんとセインさんにお会いした時は、生死が危うい状態でした。ですが、お二人は私を黒死病から見事生還させてくださり、ご覧の通り、私はこうして何事もなかったかのように健康に生活できております」
フィーちゃんが静かに、だけどきっぱりとカーラさんに断言した。
「ルシアン様」
私が静かに声をかけると、光を失ったルシアン様の瞼が私に向く。
「初めに申し上げておきますが、私の治療法は治癒魔法とはかけ離れた、常識外れの方法です。というよりも、むしろ犯罪に近い可能性もあります」
「は、犯罪ッ?!」
カーラさんがギョッとする。
一応彼女の中では、私は善良な小市民という存在だと認識してくれていたのだろう。
そんな人間が『犯罪』なんて言葉を口にするのは、かなり衝撃的なのかもしれない。
「ですが、私はこれまでここにいる彼女も含め、3人の黒死病患者に治療を行い、その3名は現在も黒死病に苦しむことなく日常生活を送ることができております」
「では、あなたは……私の、病魔も……」
ここに来て初めて、高潔な騎士の雰囲気に弱々しく縋るような声音が含まれた。
「100%治すことができるとは、口が裂けても申し上げられません。ですが、私は最善を尽くすとお約束します。ですから―――」
「どうか私と、一緒に戦っては頂けないでしょうか」
「―――ッ!」
一瞬言葉が失われるが、
「それは、私が言うべき言葉だ」
「兄、上……!」
今までの弱々しく息継ぎもやっとという話し方とは打って変わって、しっかりとした口調になった。
残されたわずかな力を振り絞り上体を起こす兄を、カーラさんが慌てて支えた。
「どうか黒死病を治療するため……私と供に戦ってくれ!」
差し伸ばされた手を取り、私も力強く頷いた。
「分かりました。何卒よろしくお願いします」




