Karte.123 フィーちゃんの婚約事情、そして、懐かしのあの人
グラハム様とラーベルさんが部屋から出て行き、ドアにはしっかり鍵が掛けられた。
「……どうやら行ったみたいだな。だが、入り口に見張りが立てられたみてえだ。数は1人だ」
口から氷の塊を取り出したジークが耳を澄まして廊下の様子を教えてくれた。
「随分用心深いことだ。まあグラハム卿の様子だと、ユーリを絶対に逃すつもりはないようだからな」
レンジ君が組んだ両手の上に顎を乗せて考え込んだ。
「それにしても、予想外の事態となっている訳だが、これはいったいどういう状況なんだ?」
レンジ君は頭を抱えているセインに、
「この中で唯一ルシアン卿に会ったことがあるのは君だけだろう?何か知っていることはないのか?」
と尋ねた。
「全く分かりません。お目通りを願う手紙への返信でも、このような話題は当然ありませんでしたし。レンジさんのおっしゃる通り、ルシアン様には伯爵家の奥方様がすでにいらっしゃいます。その方を差し置いてユーリさんを正妻にするなど……いったい何をお考えなのか」
そこまで言って、ハッと私の方を見た。
「す、すみません!別にユーリさんのことを見下した訳ではないんです!」
慌てて頭を下げてきたが私はそれを制し、
「気にしないで、セインの言う通りなんだから。私は平々凡々な庶民なんだし」
そして先ほどは言えなかった胸の内をぶちまける。
「なんかいろいろおかしくない?そもそも正妻と正式に離縁していないっていうのに後釜を用意しておくことも訳が分からないし、お会いしたことがないような相手といきなり結婚しろって……貴族社会では普通なの?!」
一番気になっていることをみんなに問い掛けた。
すると、レンジ君とフィーちゃんは顔を見合わせ、
「よくある話だな」
「ええ、特に身分の高い家柄であれば」
と拍子抜けするくらい肯定した。
「実を言うと、私にも婚約者がいたのですわ」
しかも、フィーちゃんから衝撃の事実が告白された。
「はあッ?!いったいどこのどいつだ!お前か、レンジ!」
当然真っ先に喰いついてくるのが、シスコンのジークだ。
「どうして君は話をそこまで飛躍させようとするんだ!」
レンジ君は目を剥くが、
「そうですわ、お兄様!そんな、レンジさんと、こッ婚約だなんて……そんな、大それたことッ!」
とフィーちゃんはモジモジしながら赤くなった顔を手で隠す。
「そ、それにその婚約者の方のこと、私お会いしたこともなければ、そもそも名前すら知らないのです」
「え……どういうこと?」
さっきのグラハム様よりもよく分からない話なんだけど。
「母である皇帝から『婚約者を用意した』と申しつけられまして、確か40歳の時でしょうか。私が皇帝即位した暁に、正式に婚礼を執り行うと申されました」
300年も生きられるんだから40歳で婚約なんて全然遅くないんだろう。
エルフの人生設計はとんでもなく気が長い。
「ただ、なぜか母は頑なに婚約者に会わせては下さいませんでした。ならばせめてお手紙を出したいから御名前を教えて欲しいとお願いしたのですが、それも叶わず。結局、私は黒死病を発症してしまったため、婚約も立ち消えしたと思われます」
確かフィーちゃんって90歳だったよね。
それで、猛毒母からの婚約話があったのが40歳の時だから……
「そうすると……あの、婚約者なのに50年も会ったことがないってこと?」
「そういうことになりますわ」
「……本当に婚約してたの、それ?」
「母はそう申しておりました」
いや、フィーちゃん。
いくら気が長いからって、それは流石にのんびりし過ぎでしょう。
「まるで、『スライムの骨』ような婚約者ですね」
セインが呆れたように呟いた。
「ああ?スライムに骨なんてねえだろうが」
『何言ってんだ』と言わんばかりにジークが声を上げると、
「モノの例えだ、ジーク。初めからないものを、まるであるかのように話したり思わせたりするときに使うんだ。セインは、『最初から婚約者などいなかったにもかかわらず、まるでいたかのようにフィーは思わされていたのではないか』と言いたいわけだ」
レンジ君の丁寧な解説が付いてきた。
「そう言うことですから、ユーリさん。貴族であれば、会ったこともない方と婚約することは珍しいことではないのですわ。私の例はかなり特殊だとは思いますが」
「うん、私にはついていけない世界の話だということがよく分かった」
前世の雪の女王は『会ったばかりの人と結婚してはいけない』って言っていたよ?
なのにこっちの世界の氷の女帝は、『娘に婚約者を宛がって50年、婚約者と会わせるどころか音信不通に貫かせ、最終的に婚約破棄ならぬ婚約消滅させた』って。
貴族社会もそうだが、フィーちゃんと母親の歪んだ関係性も私には全く理解できない。
「安心しろ。あのイカレババアの考えについていけるヤツなんざどこにもいねえから」
とジークは鼻で嗤った。
ジークはジークで、母親に思うところは山のようにあるんだろう。
彼が母を語る言葉はいつだって辛辣だから。
「まあ、フィーの過去の婚約事情については分かったが、肝心なのはユーリの結婚問題についてだ」
頃合いを見計らい、レンジ君が本題に切り替えた。
「先ほどのグラハム卿の話や様子を見る限り、かなり切羽詰まっているようだったな。しかも、こうも言っていた。『息子には時間がない』と」
彼の冷静な口ぶりに私達もさっきまでの話し合いを振り返った。
「『正妻との離縁はこれからする予定だ』ということだが、これは『ルシアン卿は現在まだ離縁できるような状態ではない』というようにも解釈できる」
「離縁できる状態ではないって……ルシアン様の身に何かあったということですか?」
セインが目を見開いた。
「しかし、それはおかしな話ですよ。ルシアン様は雷魔法の名手であり、ご自身も武勇に優れた騎士です。若くして辺境伯を後継されていますが、立派に責務も果たされております。しかも、この要塞にはヒーラーであるディーノさんが常駐しています。彼だけで手に負えないのであれば私にも声がかかるはずです」
確かにその通りだ。
もし仮にルシアン様が大怪我を負ったり、大病を患っていたとしても、要塞にいるヒーラーが治してくれるのだ。
しかも、この要塞の近くのフラノ村にはセインだっている。
即死でもない限り、そう簡単には死ぬことはないんじゃないだろうか。
「そう言えば、こうも仰っておりましたわね。『我が家の存続にも関わる事情だから打ち明けることはできない』と」
フィーちゃんも、話し合いで気になったことを口に出して復唱する。
「そうすると?『ルーベルト家の存続に関わる重大な事情がルシアン様に起こったから伯爵令嬢と離縁する必要が出てきたけど、ルシアン様には時間がないから庶民の私を正妻にしようとした』っていう……こと?」
いや、自分で言っていて訳が分からなくなってしまった。
「それ、どういう意味なんだ?」
ジークにも突っ込まれてしまった。
だが、レンジ君は深刻な表情を浮かべる。
「それにこれも追加してくれないか……ヒーラーでは対処できない可能性がある事情」
セインが息を呑む。
「ま……まさか……!」
私、フィーちゃん、そしてジークも顔を見合わせる。
その時、
「おい、誰かこの部屋に近づいてきてるみてえだ」
ジークが鋭くドアの方を見た。
「グラハム卿か?」
「いや、あのオッサンじゃねえ」
ジーク、辺境伯をオッサン呼びは止めて。
「この足音だと……多分、女だ」
「なんでそこまで分かるの」
そんな話をしていたら、ドアの前で何か話し声がしている。
確かに、声の高さから女性のようだ。
―――コンッ、コンッ
ドアをノックする音がし、
「失礼します」
扉が開くと、そこにはこのお屋敷で私が唯一の顔馴染みが入ってきた。
亜麻色の長い髪は今日は下され、しかも毛先は軽く巻かれているようだ。
一緒に旅をしていた時は勇ましい銀色の鎧を身に着けていたが、ラベンダー色のシンプルだがいかにも高級なドレスを身に纏い、まさしく貴族の御令嬢に相応しい身なりだ。
そして、グラハム様とそっくりの紫紺色の瞳には、魔物と戦っていた時のような凛々しさはなく、悲痛な罪悪感に満ちていた。
「この度は誠に申し訳ないことをしてしまった……ユーリさん」
「カーラさん!」




